第15話 人を殺した日
ある日、いつものように朝食のパンを一瞬で平らげたヘイカーは、あくびをしながら伸びをした。
「はー、今日も行ってくっか」
朝はいつもギリギリまで寝ているが、遅刻をしたことはない。上司であるリゼットに、いい加減な男と思われたくないからだ。
しかここの日、玄関を出たようとした瞬間にノックが鳴った。ヘイカーは特に何も思わず、扉を開けて絶句する。
「おはよう、ヘイカー」
「っげ。おはようっす、アンナ様……」
そこにはなぜか、アンナの姿があった。
「ヘイカー、すまないが少し付き合ってくれ」
「え? 嫌ですよ、オレ今から出勤なんすから」
「走ればいい。頼みがあるんだ、早く来い。走りながら説明する」
人に頼み事をするには高圧的な物言いである。が、言い返せるわけもないので、仕方なくヘイカーはアンナについて走った。アンナは軽く流しているが、ヘイカーは全力疾走だ。街並みがビュンビュン流れる。
「雷の魔術師に、子を堕胎させる力があると聞いたことはあるか?」
「はぁ、はぁ、いや、ないっす」
「お前に、ある女性の手助けをしてもらいたい」
「ぜはー、え? なにするんですか」
アンナは白いエプロンを着けたまま、ニヤリと笑った。まるで悪魔のように。
「お前に、その女性の胎児を処分してもらう」
本当に悪魔だ。アンナは、悪魔な発言をいとも簡単にした。いつもは命を重んじる発言ばかりしているアンナがである。実はアンナは悪魔だったに違いない。
ヘイカーはゾーッとして立ち止まった。
「い、イヤです」
「なに?」
「イヤっす!!」
その物言いが気に食わなかったのか、アンナはヘイカーの首根っこを捕まえ、強引に移動させてきた。女とは思えぬ力。まさに悪魔の所業である。
「ちょ、本気っすか? オレ、ヤですよ、そんな役目」
「察してやれ。人には事情というものがある。いいから来い」
「いーや~だ~っ」
アンナはジタバタするヘイカーをズルズルと引っ張ってくる。そして彼女の家に連れて来られてしまった。
「ぎゃーーー、やめて~~~っ」
「聞け。魔法の出力を最小にして、腹に手を当てるだけでいい。それだけで、胎児は死に至る」
「へ? そんなので、本当に?」
「お前は魔法を放ったと言え。お腹の子は死んだと。それだけでいい」
「なんのためにそんなこと……」
「もうそろそろ来るかもしれん。少しここで待っていろ」
そう言われて大人しく待っていると、一人の妊婦と思われる女性が入って来た。アンナはその女性をダニエラと呼んでいる。
「最後に確認しておくけど、後悔しないのね?」
アンナの問いにダニエラは躊躇しつつも、頷きを見せている。アンナが『やれ』というようにこちらに視線を寄越してきた。ヘイカーは仕方なくダニエラに話し掛ける。
「言っておきますけどオレ、こんなの初めてだから力加減とかわからないんで、そこんとこヨロシク」
「つまり、堕ろせるか堕ろせないか、わからないってこと?」
「そだよ、あんまり強力だとあんたが死んじゃうだろうし、微弱だと胎児にも影響ないだろ?」
「堕ろせたかどうかは、翌月に月の物があるかどうかで判断するしかないということよ」
とりあえず適当言ってみると、アンナがフォローを入れてくれた。適当なアドリブは適切だったようで、アンナに受け入れられてほっとする。
「わかりました。どんな結果になっても恨んだりしません」
「げぇ、マジかよ。ってか、あんたの相手の男って誰なの? 子ども一人すら面倒見られないほどの甲斐性無しなわけ?」
世の中には、自分だけ楽しんで責任を取らない男がいることに憤慨する。もし自分であったなら。絶対に相手の女の子をつらい目には遭わせない。もちろん、ヘイカーの脳内相手はリゼットだったが。
ヘイカーの問いには、ダニエラではなくアンナの口から衝撃の事実が語られる。
「相手はイオスよ」
「へー、イオス様……げげっ」
イオスというのは、ミハエル騎士団の隊長兼参謀軍師という立場で、実質騎士団のナンバーツーだ。彼は確かに狡猾な男だが、計画性のないことはしない人物である。そのイオスが無計画に子供を作るなんて、信じられない。
「マジ? イオス様、堕ろせって言ったの?」
「同意書よ」
「うっわ、幻滅。カッコイイ人だと思ってたのに。てか、イオス様は奥さんいただろ? 浮気して堕ろさせるなんて、男としてどーなの」
「馬鹿ね、ダニエラがその奥さんなのよ」
「へー。へ? じゃ、何で堕ろすの? 問題なくねーか?」
「別れるそうよ。いいから早くしなさい」
「ちょっと待って下さいよ、アンナ様。オレ、イオス様といざこざ起こすのは嫌ですよ。辞退させてください」
あの人に睨まれるのだけは勘弁だ。この先騎士として生きるなら、絶対にプラス要素はない。
「お願いします! 他に頼める人がいなくて……このことを騎士団の誰にも漏らさなければ、何の問題も起きないはずです! だから……」
お願いします、と呟くように頭を下げられ、ヘイカーは息を吐き出す。仕方ない。ここで逃げたら、今度はアンナになにを言われるか分かったもんじゃない。
「……わかった。どうなっても、オレは知らねーからな」
そう言って、ヘイカーは無造作にダニエラのお腹に手を当てた。
「やるぞ」
「は、はい……!!」
ヘイカーは詠唱を始めた。最小の出力というのは逆に難しいものだそうだが、雷の魔法と相性の良いヘイカーは楽に調節することができる。
詠唱を終え、手をダニエラお腹に押し付けた。ダニエラの体がピクンと痙攣する。
本当にこんなことで、胎児を殺せたのだろうか。
「……終わったよ」
ダニエラは自分のお腹を見て不安気に聞いてくる。
「あの…… あまり痛くなかったんだけど、こんなのでいいの?」
「さぁな、オレも初めてだから知らね。けど、オレの雷の魔法は、あんたの子どもは死んだはずだぜ……多分」
「……そう……」
自分で言いながら、気分が悪くなった。
生まれる前と言えど、命は命だ。なんの罪も無い胎児の命を、自分の手で摘み取ってしまった。
初めて、人を殺しちまった……
罪悪感を振り切るように、ヘイカーはダニエラから顔を逸らした。
「……オレ行くわ、大遅刻だ。隊長に叱られっちまう」
「ああ、すまなかったな」
逃げるように玄関に向かうと、扉が勝手に開いた。勢い良く開かれたドアに驚きの声を上げると共に、その人物の顔を確認し、凍りつく。
「イオス様!」
「ダニエラはどこだ!?」
目の前にいるイオスに物凄い剣幕でそう問われて、ヘイカーは「あっち」と指だけで答える。イオスは遠慮もなく駆け上がっていった。どうしたものかとオロオロしていると、イオスの後から来ていたカールに、「お前はもう行け」と言われ、ヘイカーはそのまま出勤することになったのだった。
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