第18話 異動申請した日
リゼットとヘイカーが付き合っている、という噂が、団内で囁かれるようになっていた。
結局大っぴらにはしていないが、リゼットとの仲が深まったことで、そういう雰囲気を醸し出してしまっているのだろう。
いつかはちゃんと公にしなければいけないだろうが、今はこれで良さそうだ。
ある日、リゼット隊の朝礼で、隊長であるリゼットがいつも以上に厳しい目をして口を開いた。
「グゼン国との国境沿いで、小競り合いがあった。これを機に攻め入られる可能性もあるため、各部隊から一名ずつ、国境警備に派遣する。任務期間は半年から一年よ。特別手当が出るよう、私から中央官庁に掛け合っておくわ。各部隊で誰を出すか、よく話し合って決めるように」
隊長リゼットの言葉を聞いて、各部隊はざわついた。ヘイカーの所属する魔法部隊も、全員嫌そうな顔をしている。魔法部隊は二年前に新設した部隊だけあって、全員が若い。もちろん、ソルス一年戦争に参加した者はなく、紛争地帯に行くのは初めてだ。トレインチェの警備しかしたことがない人間の寄せ集めなのだから。
「おい、誰が行くよ?」
「最低半年だろ? やだなぁ。あそこ、なにもない地区じゃん」
「毎日テント暮らしで、いざとなったら命を張れって? 給料良くても割にあわねーよ」
「ソルス一年戦争が終わって、しばらくは平和だと思ったのになぁ」
ブツブツと文句ばかりが溢れ出て来る。それも仕方ないだろう。ヘイカーも同じ気持ちだ。
リゼットとようやく深い関係になれたというのに、半年以上も僻地に追いやられるなんて、絶対に嫌だ。
「誰か立候補者はいないのか?……いるわけないか」
「仕方ない。くじ引きだな」
誰かがそう言って、魔法部隊の面々はにやりと笑った。
やっぱ、そうなるよなぁ。
ヘイカーは溜め息を吐く。魔法部隊のメンバーは、こういうときヘイカーが当たりを引くことを知っている。ヘイカーは、もう一度溜め息を吐いた。
仕事が終わり、星が煌き始めた頃。
ヘイカーは、北水チーズ店の受け取り口で、ぼーっとしていた。僻地行きに、見事当選してしまったのである。自分の運の悪さを、これほどまでに呪ったことはない。
勝手に覚えてしまった雷の魔法。特に活躍することもなく、嫌なことばかりがのしかかってくる。
「ヘイカー、いるか?」
コンコンと受け取り口から音がした。ロレンツォの声だ。今日はロレンツォの注文したチーズはなかったはずだが。そう思いながら受け取り口の小窓を開けた。
「なんだよロレンツォ? チーズの受け取り日は、明後日だろ」
「ああ。まぁ……ちょっと頼みがあってな」
なんだか少し元気がないように思えた。ロレンツォも僻地行きだろうかと考えるも、騎士隊長が本格的な抗争でもないのに、そんなところに行くはずがない。
「すまないが、顧客にコリーンを追加してくれないか?」
その言葉に俺は首を傾げた。
ロレンツォとコリーンは、新聞で結婚秒読みと報道されている。『Aさん』が大学を卒業したら、この春にでも式を挙げるのではないか、と。
「別にわざわざ顧客リストに加えなくても、ロレンツォが注文しにくりゃいいだろ? 結婚すんだから」
そういうと、ロレンツォは悲しげに笑った。
「いや、俺達は別れることが決まっているんだ。コリーンが教師になって独身寮に入ったらな」
「……え?」
「報道されるのは先だから、まだ誰にも言わないでくれよ」
ヘイカーはこくんと頷き、顧客リストにコリーンを加えた。それを確認して、ロレンツォは帰って行く。ヘイカーはそれを見送り、パタンと小窓を閉じた。
ロレンツォが、あの女と別れる……?
なんのために……?
その理由を考えて、ヘイカーはゾッとした。もしかしたら、ロレンツォはまだリゼットを好きなのかもしれない。リゼットと再び付き合うために、コリーンと別れたのかもしれない。
考えすぎだと思いたかったが、一度そんな考えに取り憑かれるとそればかりを考えてしまう。
オレが僻地に行ってる間に、リゼットを取られっちまう……!
それだけは、絶対に嫌だ。だからと言って、そんな理由で僻地に行きたくないなどと言えるはずもない。リゼットに言えばなんとかしてもらえるかもしれないが、仕事に厳しい彼女だ。そんなことを言って蔑まれては、本末転倒である。
リゼットを置いて、行くしかない。ロレンツォとはなにもならないことを祈って。
***
翌日。
派遣部隊への異動申請をリゼットに提出をするため、彼女の執務室に入った。ヘイカーがその紙を手渡すと、リゼットの顔色が変わる。
「……まさか、あなたが?!」
「……ま、仕方ねぇよな……」
リゼットはその書類を机の上に置くと、立ち上がってヘイカーの目の前に移動した。
「なぜ……! あなたは、私と一緒にいたいとは思ってくれないの?!」
この恋人は、僻地行きに立候補したとでも思っているのだろうか。そんなこと、するはずがないというのに。
「いてえよ、一緒に。……でも、仕方ないだろ? 仕事なんだから」
本当は、やだやだ行きたくない! リゼットなんとかしてくれ! と泣きつきたい気分だ。でも、どうせ行かなくてはならないのなら、リゼットに格好良く思われたい。
「待ってて、くれるだろ?」
「……嫌よ」
「……」
聞き違いだろうか。今、嫌だと聞こえた気がしたが。
「えっと……待ってて、くれるよな?」
「嫌よ、待たない!」
ヘイカーは、頭に岩をガンと乗せられたかのような衝撃を受けた。
リゼットは自分を待っていてはくれない。
やべぇ、泣きそうだ……。
ヘイカーは下唇を噛んだ。所詮、その程度だったのだ。ヘタレで運の悪い、ただの平騎士。僻地に飛ばされ、恋人に見限られ、きっと彼女はロレンツォに奪われてしまう。
ずっと好きで、なんとか付き合うことができて、ようやく結ばれることができた恋人を……リゼットを、失う。
絶対に、それだけは嫌だ。
「頼むよ、リゼット……待ってるって、約束してくれよ」
「それだけは、絶対に嫌」
「く、リゼット……」
なんでだよ、と呟いた瞬間、勝手に涙がポロリと落ちた。折角男らしく格好良く決めようと思っていたのに、涙を流すなんて女々しすぎる。
「ヘイカー……?」
「なんでだよ……俺は、リゼットにとってその程度の男なのかよ!?」
「なにを……」
「わかったよ! リゼットはロレンツォとでも付き合っちまえよ!!」
「ヘイカー?!」
それだけ言い捨てると、ヘイカーは執務室を飛び出した。扉の向こうには異動届を出しに来た者が幾人かいて、ヘイカーが出ると同時に中へと入って行った。当然リゼットはその者の相手をしなければいけないわけで、追ってきてくれるはずもない。
ヘイカーは誰にも見つからぬよう、廊下の死角で三角座りをして身を隠した。仕事に戻るのは、涙が止まってからだ。
これって、別れたことになるんだろうな……。
付き合うのは難しいというのに、別れる時のなんと簡単なことか。
最も愛する人を失ってしまった。死にたい気分だ。
いや、実際死ぬかもしれない。僻地での戦闘で。実力のない、さらには運の悪い者など、真っ先にやられてしまうだろう。
ヘイカーは運の悪さを、自力でカバーできるだけの実力を備えていないのだから。
オレが死んだら、泣いてくれっかな。
涙を止めようと隠れているのに、後から後から溢れてくる。悲しい、なんて生易しい言葉じゃ、その気持ちは表現できないだろう。そう、ヘイカーの胸の内は、絶望に近い。
「う、くう……ひ、ひっく」
「……ヘイカー?」
ヘイカーの気配に気付いて、その死角を覗き込む者がいた。ヘイカーはビクッと身を震わせて顔を上げる。そこにはロレンツォが立っていて、慌ててヘイカーは涙を拭いた。
「こんなところでなにをしている?」
「ひ、っひっく……な、なんでもね……なんでもありませんよ、ロレンツォ様……ひっく」
ヘイカー立ち上がり、ロレンツォの横をすり抜けようとする。拭き上げたはずの涙が、また勝手にボロボロと流れ出している。
「お前もしかして……国境警備隊に異動か?」
「だったら、なんっすか……嬉しいんすか? リゼット様の恋人っていう邪魔な存在が、トレインチェからいなくなって!」
「ヘイカー、本当にリゼットと付き合ってたのか」
ロレンツォは驚いたようにこちらを見ている。不釣り合いなカップルだと思われていそうで、ヘイカーはロレンツォから目を逸らした。
「……今、別れましたよ。だから、ロレンツォ様がリゼット様とよりを戻そうと、自由っすから」
「お前、それでいいのか?」
いいわけがない。でも、だからといってどうすればいいというのか。なにも言えずにいると、ロレンツォの方が先に口を開いた。
「あんまりひねくれるなよ、ヘイカー。俺もリゼットも、よりを戻そうなんて考えちゃいないさ」
本当だろうか。この男の言うことは、なんだか嘘くさくて信用できない。
「僻地行きが嫌か?」
「嫌に決まってんだろ……」
「それを、リゼットに伝えたか?」
「……いや」
ヘイカーが否定すると、ロレンツォはくすりと笑った。
「伝えてやれ。リゼットはあれで、さみしがり屋だからな」
それだけを言うと、ロレンツォはヘイカーに背を向けて、去って行く。ヘイカーはブビッと鼻水を垂れ流していた。
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