君を想って過ごす日々

第10話 フィオに相談した日

　時刻は日付を跨ごうとしている。

　この時間は凍りつくように寒い。つん裂くような風が、二人に吹き付けてくる。

　辺りの家に明かりはなく、新月のために本当に真っ暗だ。

　この真っ暗闇の中、さっきはどうやってロレンツォの家にまで辿り着いたのか、自分でも不思議に思った。

　今は手元に小さな明かりとりを持っていて、足元を照らしながらリゼットとゆっくり歩いて行く。

「リゼット、なんでうちにいたんだ？」

　ヘイカーは先ほどから気になっていた疑問を口にした。

「あなたがあんなことを言って出てったからに決まってるでしょう」

『あんなこと』が思い出せず、ヘイカーは記憶をたどっていく。しかしその前に、リゼットが発言した。

「私の涙はもう止まったわ。だから、無茶はしないで」

　そう言えばそんな恥ずかしい発言をしていたなと、ヘイカーは顔を赤らめる。他の男がそんなことを言っていたら、唾を捨てるところだ。

「オレがロレンツォのところに行ってるのわかってたんだろ？ なんでリゼットはそっちに来なかったんだ？」

「私はイースト地区の彼の家しか知らなかった。まさか、二件も家を持っているなんて、ね」

　おそらくリゼットは、先にイースト地区のロレンツォの家に向かったのだろう。そこに誰もいなかったので、ヘイカーの家で待っていたに違いない。

「ロレンツォは……なにか言っていた……？」

　気になるのは、やはりそのことらしい。

　もしここで、『ロレンツォはリゼットとどうこうなる気はないと言っていた』と言えば、きっぱり諦めてくれるのだろうか。

　しかし、それはすぐバレてしまう嘘だ。ヘイカーは、ロレンツォの言葉をなるべく正確に伝えるよう心掛けて言った。

「ロレンツォは、リゼットと話し合うっつってた……約束を破る気はなかった、なんて言ってたけど……」

　それを聞いたリゼットは、驚いたように目を見広げ、ヘイカーを見上げてくる。

「本当？！」

　その嬉しそうな顔に、ヘイカーは心を痛めながらもなんとか微笑み返す。

「うん……マジ」

「そう……けれど」

　一転、リゼットの顔は曇った。

「あのコリーンという女性……」

「……うん」

　リゼットの言わんとしていることがヘイカーにもわかる。

　ロレンツォを庇う発言をし、涙していた女性。ロレンツォの方はわからないが、コリーンの方は惚れているということが、リゼットにもわかったのだろう。

「……綺麗で、可愛い女性だったわね……」

　リゼットの方が、断然綺麗で可愛いけどな。

　ヘイカーは、目の前で沈んでいるリゼットを見ながらそう思う。それを言葉にすれば、リゼットは喜んでくれるだろうか。ただの慰めとしか捉えられないだろうか。

　結局、ヘイカーはなにも言わなかった。ロレンツォなら美しいだとか綺麗だとか素敵だとか可愛いだとか、たくさんの言葉を言えるのだろう。けれど、ヘイカーはそんなことを言える気がしなかった。

　言いたい気持ちがあっても、恥ずかしさの方が先立ってしまって。

　リゼットとロレンツォ、また付き合い始めんのかな……

　胸がしくしくと痛む。結局自分のしたことは、二人のキューピッド役でしかなかった。今更後悔しても遅いが、余計なことをするんじゃなかったと息を漏らす。

「どうしたの、ヘイカー」

　不思議そうにヘイカーを覗き込むリゼットを、ヘイカーは穴が空くほど見つめた。

　もし、今好きだと言ったらどうなるだろうか。

　ロレンツォの方を断るきっかけにならないだろうか。

「ヘイカー？」

「リゼット……オ、オレ……」

　リゼットはヘイカーを見上げてくる。このまま抱き寄せてキスしてやったら、どんなに気持ちいいことだろう。

　だがヘイカーは想像してしまった。そうした時の、悲しそうなリゼットの顔を。困って俯く彼女の姿を。

「寒いの？ 震えているわよ」

「……いや、ダイジョブ」

　なにも言えなかった。なにも出来なかった。

　結局ヘイカーは自分の心を打ち明けることなく、リゼットを家まで送り届ける。

「ありがとう、ヘイカー。気をつけて帰るようにね」

「……うん」

　ヘイカーは歯を食いしばりながらリゼットに背を向けた。

　明日からはリゼットの笑顔が見られることだろう。ロレンツォと付き合う、幸せな彼女の姿を。

「つ、付き合うなよ……」

「……え？」

　ヘイカーはハッとする。心の声が勝手に漏れ出していたことに。

「な、なんでもねー！ おやすみ！！」

　ヘイカーは、その場を駆け出した。

　風が吹き荒ぶ真っ暗闇の中を、全力で。

　目を瞑ってでもたどり着けるくらい、何度も往復したその道を。

　また失恋するのだという絶望感だけを心にかかえたまま、ヘイカーは家へと帰って行った。

＊＊＊

　それから一週間。ヘイカーは、滅多に見ることのない新聞に目を通している。

　リゼットとロレンツォはどうなっただろうか。

　が、記事を読んでも、ミハエル騎士団の隊長リゼットに恋人が……なんて見出しはどこにも見つからなかった。もしかすると前回のようにひっそりと付き合っているのかもしれない。

　今日はクルーゼ家への配達がある。はっきり言って気が重いが、仕事なので仕方ない。

「ういす……北水チーズ店す」

　ドアノッカーを叩くと、クージェンドが姿を現した。

「いつもご苦労様でございます。おや？ ヘイカー君、元気がないようですね」

「んー……まぁ、な」

「それに今日はいつもより時間が早い。お嬢様を避けておいでですか？」

「……」

　いつもリゼットの家は最後に回るのだが、今日は真っ先に来た。リゼットが仕事から帰って来る前にと思って。

「寄って行かれませんか？ 時期にお嬢様が帰って来ると思いますので」

「いや、いいよ。まだまだ仕事残ってるし」

「そうですか。もし良ければ、お仕事が終わった後にまたお立ち寄り下さい」

　クージェンドの言葉を背中で聞きながら、ヘイカーは次の配達先に向かった。

「ういす、北水チーズ店すー」

　やはり元気なく挨拶をすると、その店の主人は困ったように笑っていた。

「どうしたのよ、ヘイカー。元気ないじゃない？」

「フィオさんはいつも元気だな」

「それだけが取り柄ですもの！」

　フィオの物言いに、ヘイカーは少し笑った。

　彼女は四年前にご主人を亡くしている。当時は物凄く落ち込んでいたのを、ヘイカーは知っていた。

「なにかあったの？ 話してごらんなさいよ」

「えー……いいよ、別に」

「いいからいいから！ いつも味見してもらってるお礼に、相談に乗ってあげるわよ！ ね？」

　まだ配達があるというのに、無理やり席に座らされる。話せる訳がないというのに、フィオはノリノリだ。

「で、なにかな青少年！ お姉さんが解決してあげましょう～」

「三十八歳でお姉さんって、図々しくないか？」

「いいじゃないの。で、どういう相談？」

「だから、言うつもりねーから」

「はっは～、わかった！ 恋の悩みだな！？」

　ヘイカーはフィオの顔を見て、その直後思いっきり逸らした。モロバレの行為である。

「へ～、ヘイカーが恋煩いねぇ！」

「べ、別に恋煩いってわけじゃ……」

「相手はだぁれ？ 士官学校の子？ 今度ここに連れていらっしゃいよ」

「もう連れて来たことあるし」

　ヘイカーがボソリと呟くと、フィオは驚いたように目を見広げる。そして少し慌て始めた。さすがに相手がミハエル騎士団の隊長だとわかれば、驚きもするだろう。

「そ、そう……そうだったの……それはなんて言っていいか……」

「だろ？ だからもうほっといてくれる？」

「そ、それでもちゃんと気持ちは伝えなさい！ そりゃ、上手く行く可能性は低いかもしれないけど」

「低いんじゃなくて、ゼロだよ。ゼロゼロゼロ」

「まぁ、最近恋人が出来たようだし……」

　その言葉を聞いてヘイカーは固まった。やはり、リゼットとロレンツォは上手くいってしまったのか。涙が出てきそうだ。

「それ……いつの話？」

「三日前だったわね。二人で来て、スモークサーモンと二種のチーズパスタを食べて行ってくれたわ」

　リゼットとロレンツォが、仲睦まじくパスタを食べている姿が浮かぶ。

　ここは、オレとリゼットが初めてデートした場所だったのにな……

　折角の思い出が汚されたように感じて、ヘイカーは唇を噛んだ。

「ヘイカー……あの、大丈夫？」

「……」

「他にも良い子はたくさんいるわよ……」

　フィオの勝手な言い草に、ヘイカーはカチンとくる。いるわけがない。リゼット以上のいい女なんて、この世に存在するわけがないのだ。

「じゃーなんでフィオさんは再婚しねーの！？ 死んだ旦那さん以上にいい奴がいねーからだろ！！」

「ヘイカー……」

「オレだって同じだよ！ あいつ以上にいい奴なんて、いねーから！」

　ヘイカーはフェリーチェを飛び出した。絶望しかない情報を手に入れてしまい、配達が終わっても、クルーゼ家には行けなかった。