第9話 殴り込んで行った日

「おい、ロレンツォッ! 開けろっ!!」


 ドンドンと扉を遠慮なく叩いていると、その扉は開かれた。諸悪の根源、ロレンツォの手によって。


「ロレンツォ! てめ……」


 と言いかけて、ヘイカーは女の存在に気付く。この住所は、ロレンツォの家の住所のはずだ。それなのに、女を連れ込んでいる。こんな夜も遅い時間に。その関係は聞かずともわかるというものだ。特定の人はいないと言いながら、不誠実極まりない。


「女と暮らしてたのかよ!! てめぇって男は……っ!!」


 ヘイカーは大きく振りかぶって、拳を突き出した。

 と同時に、何故か自分の頬に衝撃が走る。

 え? と思う間もなく、お腹に拳をねじ込まれるのが目に入る。

 理解が追いつかぬ間に、ヘイカーはドタンと見事な音を立てて床に倒れた。


「きゃ、きゃーーーーーーっ!?」

「なんなんだ。お前は、いきなり」

「っぐ、げほっ!げほっ!」


 息ができない。苦しい。痛い。

 脳がぐわんぐわんと回り、ただ自分の置かれた状況を理解するので必死だ。

 ロレンツォは何事かを女と話している。その会話から、女の名はコリーンというらしかった。


「だ、大丈夫?」


 コリーンはヘイカーを気に掛けてくる。しばらくそのままでいたヘイカーだったが、少しマシになると起き上がり、ロレンツォを睨んだ。

 コリーンはヘイカーから離れ、ロレンツォの後ろへと隠れている。


「さて、人の家に上がり込んで来ていきなり殴りかかるとは、どういう了見だ? 理由を聞かせてもらおうか」

「ロレンツォ、あんた、心当たりがないってのか!?」

「ああ、ない」

「よくもヌケヌケと……ッ! リゼットが今、どんな思いでいるのか、わかんねーのかよ!!」

「……リゼット?」


 なぜヘイカーがリゼットの名を出すのかわからない、とでも言わんばかりにロレンツォは眉を寄せている。この男は本当に忘れているのだ。あのリゼットと交わした約束を。自分だったなら、決して忘れはしないであろう約束を。


「リゼットが、どうかしたのか」

「リゼットとの約束を、すっかり忘れやがって! どれだけ傷付いてると思ってんだ!」

「約……束……」


 ここまで言って思い出せないなら、男として許せない。相手が強いのは百も承知だが、雷の魔法を用いてでも、一発ぶん殴ってやる、と心に決める。


「まだ思い出せないってのか!?」

「……ああ」

「じゃあ、俺が教えてやるよ! あんたはリゼットにこう約束したんだ! ウェルス様とその恋人が幸せになった時、互いに特定の人物がいなければもう一度付き合おうって!」


 ヘイカーがそう言うと、ロレンツォは驚いたように口を動かした。声にはならなかったが、確かに「言った」と唇が動いていた。


「なのに! あんたは! 恋人はいないとか言ってリゼットに期待を持たせといて! なんだよ、女と暮らしてんじゃねーかよ!」

「あの、私は……」

「黙ってろ、コリーン」


 ヘイカーは小さな声で詠唱を始める。最速の魔法ならば、いかなロレンツォでも躱せまい。


 魔法発動と同時に、顔に一発食らわせてやるっ!!


「わかった、ヘイカー。もう一度リゼットと話をする。それでいいか」

「……っえ」


 ヘイカーは固まった。と同時に詠唱も止まってしまう。こんな話になるとは思っていなかった。ロレンツォはリゼットとなにを話すつもりなのか。


 まさか、マジで付き合っ……?!


 ヘイカーは激しく動揺し、焦りから汗が流れ落ちる。


「も、もう終わったことなんだろ?」

「約束を反故にするつもりはなかった。恋人がいないのは本当だ。今後のことを、ちゃんとリゼットと話し合って決めたい」

「……」


 マジか。


 墓穴を掘ってしまった。

 再びカールに言われた言葉が頭を掠める。


 オレがリゼットの恋路を開かせて、どうすんだっ


 しかし後の祭りであった。ロレンツォに「いいな?」と問われ、ヘイカーは頷くしかなく。


「帰る」


 とヘイカーはその場を後にした。なぜか、ロレンツォの女……コリーンと共に。

 なぜコリーンと一緒に家を出ることになったのか、その辺の事情はよく覚えていない。精神的にも物理的にも、身体中がぐわんぐわんとし過ぎていたから。


「っつつつつつ」

「……ごめんなさい」

「なんであんたが謝んだよ?」

「……それは……」

「くっそ、ロレンツォの野郎、マジで殴りやがって……」


 外に出ると、ヘイカーはなぜか隣にいるロレンツォの女に手を借りながら歩いた。

 顔面がやばい。腹もやばい。

 やばいということが、確認せずともわかる。

 少し歩くと、北水チーズ店が見えた。近くで助かったなと思いながらコリーンから離れようとした時、ヘイカーはふらりと倒れそうになった。


「大丈夫!?」

「うっさいんだよ、近所迷惑……」


 コリーンに迷惑顔を向けた時。ヘイカーは自分の目を疑った。北水チーズ店から、リゼットが飛び出してきたからだ。


「どうしたの、ヘイカー!!」

「リ、リゼット!?」


 リゼットはヘイカーの腫れ上がった顔を見て、驚きを隠せないでいる。


「その顔は……まさか、あなた……」

「……ロレンツォんとこ行ってきた」


 正直に話すと、リゼットは一度引いてから大声を上げた。


「無茶な! なにを考えているの、あなたは! 彼は、あなたが敵うような男ではないのよ!!」

「わかってっよ! けど、黙ってらんなかったんだもんよ!」


 思わず大声で返すと、リゼットは睫毛を伏せた。


「ヘイカー……私のために、無茶しないで……」


 リゼットは魔法を詠唱し始めた。

 彼女の右手がヘイカーの頬に触れる。

 リゼットとの距離が、近い。

 その魔法を詠唱する唇が、目の前にある。


「リゼット……」


 彼女の治癒魔術が発動し、頬の痛みは引いた。が、依然距離は近く、今ならキスできんじゃねーかな、などと考えてしまう。


「すみません、彼はお腹も殴られたので、治してあげてもらえませんか?」

「なんですって!? 見せてみなさい!」

「う、うわっ」


 コリーンの言葉を受けて、ヘイカーはリゼットに上着をグイっと捲られた。露わになったお腹に冬の風が突き刺さり、キスの夢は儚くも散る。


「さ、さびーって! 後にしてくれよ!」

「これは強烈に殴られたわね。はぁ、まったく……ところであなたは確か、ウェルスの結婚式でも会った……」

「コリーンと申します」

「……ヘイカーの、彼女?」

「っち! ちげーよ! ロレンツォの彼女だ、ロレンツォの!」


 全くこの女は、どういう勘違いをしてくれるかわかったものではない。慌てて否定すると、今度はコリーンが否定していた。


「ロレンツォの?」

「ち、違います! 彼女じゃ、ないんです」

「嘘つけ、一緒に暮らしてんじゃねーのか!」

「それは……でも、違うんです!」


 一緒に暮らしておいて彼女じゃないなんて、どういう言い訳か。納得のいかないヘイカーに、コリーンは続ける。


「ロレンツォは身寄りのない私に、色々支援をしてくれているだけなんです。私にとってはその……兄のような人で……彼を殴ったのも、理由も分からず殴り掛かられたからで、悪気はないんです!」

「コリーン」


 リゼットは彼女の名を呼んだ。その理由は、ヘイカーにもわかった。

 彼女は説明しながら、なぜか涙を流していた。


「だから、その……リゼット様との約束をうっかり忘れていたかもしれないけど、知った以上ロレンツォはその約束を……」

「コリーン、涙を拭いて。凍ってしまいそうよ」

「……え」


 コリーンは今気付いたかのように、自身の頬に手を当てる。

 そして涙を確認した彼女は、袖で涙をグシっと拭き上げていた。


「あの……すみません、失礼します」


 コリーンは逃げるようにその場を去って行く。残されたヘイカーとリゼットは顔を見合わせた。


「……とりあえず、あなたの治療をするわ」

「あ、ああ。オレん部屋に行こう」

「歩ける?」

「ん、脳震とうみたいなのはなくなった」


 言ってしまってから、やっぱり歩けないと言って手を貸してもらえば良かったと思う。

 家に入ると、エイベルが椅子にもたれながら大あくびをしていた。


「ふああ~あ……あ、リゼット様、こりゃ失礼」

「いえ、エイベル殿、こちらこそお休み前の所を突然訪問し、申し訳ありませんでした」

「いえいえ。ではわたしはお先に失礼して休ませていただきますよ」


 エイベルが自室に入って行く。ヘイカーとリゼットは玄関先で互いの顔を見つめ合った。


「見せて」

「え? なにを?」

「お腹よ」

「ここじゃ、さびーよ」

「外よりマシでしょう。すぐ治すわ」


 あわよくば自室に誘いたかったが、そうもいかないらしい。仕方なくヘイカーは、その場で自身の上着を捲りあげた。

 明るい所でヘイカーの体を見たリゼットは、少し顔を赤らめながら魔法を詠唱してくれた。強制的に与えられた痛みがスーッと引いて行く。


「治ったわよ」

「……うん」


 恥ずかしそうにヘイカーの体から目を逸らすリゼット。そんな態度を取られると、意識されているんじゃないかと勘違いしてしまいそうになる。


「あの、さ、リゼット……ちょっと、その」


 オレの部屋に、と言う前に、いきなりエイベルの私室の扉がガチャと開いた。


「ヘイカー」

「な、なんだよ、父ちゃん!!」

「ちゃんとリゼット様を送って行けよ」


 その言葉に答えたのは、リゼットの方だ。


「いいえ。私は一人で大丈夫ですから」


 それはそうだ。いざという時、ヘイカーは足手まといになりさえすれ、リゼットの助けになどならない。しかしエイベルは首を振った。


「リゼット様が強いのは存じております。が、それでもあなたは女性。イースト地区の事件が頻発している昨今、一人では歩かせられません。飾りにヘイカーをつければ、少しは危険を回避出来るはずです」


 オレは飾りか。


 少し気に食わぬ表現はあったが、確かに男連れの女をわざわざ襲ったりはしないだろう。リゼットも理解してくれたようで、首肯している。


「ではお言葉に甘えて……いい? ヘイカー」

「も、モチロン!!」


 ヘイカーは二つ返事で承諾し、リゼットと共に家を出た。

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