貧血と母

「相変わらず、おじさん忙しそうだね」

 景子がベッドの隣の椅子に座りながらわたしに話し掛けてきた。

「さっきまで待合室に居たけど、おじいちゃんおばあちゃん達がずっとおじさん捕まえて話してたよ」

 ああ、やっぱり景子は待合室に居たのかと景子の言葉で答えを知る。そして、父も診察なのか、世間話の相手なのか分からないけれど手を離せない状況だったという裏付けが取れた。

「あすにゃんはしんどさや苦痛の知覚が遅いんだから、ちょっとおかしいなと思ったら大人しくしてた方がいいんだからね!」

 付き合いも長く、わたしの体質についても知り尽くしている景子からの指摘は痛い。

「そのちょっとおかしいと感じられるまでも割と時間かかるから気付けなくてですね…」

 苦笑しながら景子に言い訳を紡ぐ。

 そう。気付けるなら問題ないのだ。もしかしておかしい?と認識した段階で限界を迎える事の多いわたしには事前に気付くのか難しい。

「あす姉、骨折した時も腫れてるのをちー姉が気付かなかったら絶対ヤバかったもんな」

「あの骨折、自分で気付かなかったの? この子ったら!」

 博から景子に左手の小指を骨折していた時の真相を暴露されてわたしは慌てる。

「いや、ほら。そんなに痛くなくて折れてるとか思わなくてね!」

「痛覚鈍くて画鋲踏んで廊下を血塗れにして気付かなかったあすにゃんがそんなに痛く無いって痛みを少しでも感じていたのにって事か〜」

 景子からの視線が痛い。最早、言い逃れはさせてもらえないだろう。

 そもそも、画鋲を踏んで廊下を血塗れにしたのは小学生の頃の話で、今更蒸し返す話でも無いだろうに、どうしてその話を持ち出すのか。


「あら、景子ちゃん、来てたのね」

 ふんわりした口調で手に点滴用の一式を抱えた母が病室に入って来た。

「おばさん、お久し振りです」

 景子は母の方に視線を移すと軽く会釈をする。

 父と会う事は多くても、母と会う事があまりない景子が久し振りと口にするのは当然なのかも知れないが、なんとなく不思議な感じがしてしまう。久し振りと言っても週に一回くらいは必ず会っているからだ。

「明日奈に点滴をしたいのだけど、いいかしら?」

「それは、もちろん。あすにゃんをしっかり治して下さい! それにそろそろ千歳ちゃんが帰ってくる時間なので私は帰ろうと思います。千歳ちゃんに嫌われたくないですし」

 景子は腕時計で時間を見ながら母に向かってそう伝える。

「あの子もねぇ…。どうして拗らせちゃったのか。ごめんなさいね」

 おそらく、千歳の事だろう。景子を見るなりいつも邪険にしてしまうから、きっとそれを謝っているのだろう。

「でも、ちー姉のアレ、けーこ姉ちゃんだけになんだよなぁ…。あ、違う、あとかすみちゃんもそうか」

 かすみというのは、従姉妹で父の弟の娘で千歳と同じ歳の女の子だ。かすみは昔から千歳をライバル視してかなり面倒くさい関係になっている。

「かすみちゃんはちょっと別格でしょ。あれは千歳に嫌われてもしょうがないよ。隙あらば嫌がらせしてくるし。お父さんの立場がなければわたしも相手にしたくないし」

 かすみが千歳に対して、虚言や噂を使った嫌がらせを沢山している事は知っていた。それが虚言であっても、叔父がそれを正しい事だと肯定して吹聴して回るので、いつも千歳が泣く羽目になるのだ。父の立場がなければ叔父ごと切り捨てたいくらいの気持ちはある。

「明日奈も落ち着いてね。貧血を起こしているからちょっと短絡的になっているかな? 点滴でちょっと鉄分入れようか」

 鉄の経口接種を極端に嫌うわたしに、点滴での投与を行う指示が父から出たのだろう。それを指示されるくらいに貧血が酷くなっていたということか。


「色々、気にして鉄分の多い食事にしているけど、やっぱり吸収自体が苦手なようね…」

「お母さん、ごめんね」

「いいのよ。多分お母さんと同じ体質なのよ。お母さんも貧血がちだからね。フェロミアを飲めないのは辛いわね」

 そういえば、母も定期的にフェロミアを服用していた。頻度は多くなかったが、母もそういう体質だったのか。

「俺は、けーこ姉ちゃんを家まで送ってくる。外、結構暗くなってるし」

 博は注射針を見るのが苦手でもあるから、実際の処置に入る前に病室を出て行きたいという理由もあるのだろう。

「博、お願いね。あんまり、けいちゃんに諸々暴露するのはやめてね…ほんと」

 そんなに困るような話がある訳ではないけど、大した事ない話が景子にとっては大きな問題になったりする事があるのを知っていたから、博にそう言い含めた。

「そんなにあすにゃんは隠し事してるの?」

「してないけど、けいちゃん、すぐ大ごとにしちゃうから!」

「はいはい、明日奈、落ち着いて。安静にね」

 思わず声を荒げそうになって、母に起こしていた上半身ごとベッドに沈められる。

「むう」

「はーい、むくれないの。博、そろそろ針を出すから行くならいってらっしゃい。景子ちゃんも明日奈が元気な時にまた来てちょうだいね」

 母はにこやかに景子と博を病室から追い出し、病室には母と二人だけになった。

 手際良く、点滴の準備をする母を見てやっぱり凄いなと感心する。普段、ふんわりのんびりした雰囲気を出しているが、その手際の良さと、子供たちに注射する時の視線の誘導の仕方など、プロフェッショナルさを感じる。

 そして、何より、このふんわりとした母が怒ると非常に怖い。怖いなんてものではない。柔らかい雰囲気はそのままに正論を詰めて逃げ道を完全に塞いで回るという、えげつないやり方に千歳も博も絶対怒らせてはいけない人だと子供の頃から思い知っている。

 甘い顔をしているからと人を侮ってはいけないとその身を持って教えてくれた母だ。人は見た目や雰囲気で判断してはいけない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る