心配性

 眩しい…?

 目を開けて飛び込んで来たのは明るい蛍光灯。水色のカーテンで囲まれたその場所は覚えのある場所だった。

 ウチの病院? なんで?

「あ、あす姉、起きた?」

 カーテンの隙間からひょっこりと顔を覗かせる中学校の制服に身を包んだ細身の男の子がホッとしたように笑った。弟の博だ。

「あす姉、また貧血起こしてぶっ倒れたんだろ? けーこ姉ちゃんがめっちゃ心配してたよ」

「貧血…?」

 ああ、海で気が遠くなったのは貧血だったのか。

 わたしはゆっくりと病院のベッドの上で身体を起こす。少し、くらりと眩暈を感じた。博の言う通り、貧血を起こしてしまったのだろう。

 何かを、忘れているような気はするけれど。


「大丈夫そうだね。けーこ姉ちゃんにあす姉が起きたこと伝えに行っていい?」

 博は気を使ってわたしに伺いを立てる。こういう事が起こると、景子はすぐに飛んで来てしまうからだ。心配性というか、少し過保護な感じすらする。

「伝えておいて。言わないとずっと心配しちゃうから」

「いいの? 絶対すぐ来るよ。あのけーこ姉ちゃんだし」

 博の景子へのその信頼も考えてみればおかしいものだ。

 博は景子に対しては拒絶感もないから気にせず話せるけれど、妹の千歳だったら景子の名前を出すのを少しだけ躊躇う。千歳は博と違って景子に対して不信感というか、なんらかの違和感を持っていて、わたしが彼女と親友である事も面白くないようなのだ。まあ、景子のわたしへの過保護はやっぱり普通ではないから仕方のないことなのかもしれない。

 景子自身、千歳に関しては余り刺激をしないように振る舞うくらいには気にしている。


「じゃ、ちー姉が帰ってくる前にけーこ姉ちゃん呼んでくるね」

 本当によく気の利く弟だ。この歳から気を使いすぎていて将来が心配になる。本当に。

 博も千歳もわたしみたいにはなって欲しくない。千歳は自分の気持ちをきちんと言える子だからまだそこまで心配はしていないけど、博はなんとなくわたしに似ている。周りの空気を読んでそれに合わせている時がちらほらある。まだ中学一年生なのだから、そんな事気遣わず我儘を言ってくれていいのにと常々思っている。

 博と千歳は、がらんどうなわたしを支えてくれる大事な宝物だ。幸せでいて欲しいのだ。


「明日奈!」

「っゴホ、ゴホっ。早すぎ!」

 博が出て行って五分もしないうちに景子が勢いよく飛び込んできて、わたしは思わず咽た。

 これは待合室に居たでしょ、絶対…。家から来たにしては早すぎる。

「当たり前でしょう? 明らかに様子がおかしかったのに、その上倒れたとか。こんなんなら颯太との約束破ってでも一緒に行けば良かった…」

「それは颯太さんに悪いのでやめて欲しいかな…」

 真剣に恋人を後回しにしようとする景子に苦笑するしかない。本当にブレないというか、少しくらいはわたし以外を大切にして欲しいところだ。

「でも、思ったより元気そうで良かった」

「けいちゃんが心配しすぎなんだよ…。わたしなら大丈夫」

「あすにゃんの大丈夫は信用できません!」

 にこっと笑いながら景子がおちゃらける。言っている事自体は本気なのだろうけれど、わたしの呼称がいつもの『あすにゃん』に戻ったあたり、本当に安心したのだろう。


「冗談はともかくね、本当に心配したんだよ。私が心配しすぎなんじゃない。あすにゃんが自分を大切にしなさすぎなの」

「それに関してはおれもけーこ姉ちゃんと同じ意見かなー。あす姉っていつも危なっかしい」

「そう、そうなのよ! 博くん、よく分かってる!」

 まずい二人がタッグを組み始めて、わたしは苦笑いする。博も割と心配性な部分があって、わたしに関わる話だと景子と一緒に暴走してしまうのだ。


「随分とにぎやかだね」

 そこに穏やかな大人の声が割って入ってきた。

「お父さん」

「親父」

「おじさん」

 三者三様の呼びかけに、父の博明が穏やかな笑顔を向ける。

 病室の外の廊下からゆっくりとベッドに近付きながら、父はわたしに話し掛ける。

「明日奈、体の具合はどうだい? まだ眩暈が残っていたりするんじゃないか? 母さんが気を付けてはいたけど、随分と貯蔵鉄が足りていなかったよ。やっぱり治療を…」

「フェロミアは嫌です」

 わたしは父の言葉を遮るように口にする。


 フェロミアという鉄剤が体質的に合わなくて、吐き気が酷く通常生活に支障が出るのだ。だからいつも治療を勧められる度に断っている。それを分かっている母はいつも鉄分の多い食事を作ってくれてはいたけれどやはり間に合っていなかったようだ。

 わたしの即答ぶりに父はやれやれ、と肩を竦める。

「気が変わったらいつでも父さんに声を掛けてくれよ」

 父はわたしの頭を軽く撫でると背中を向けて歩き出した。きっとまだ診察中だったのだろう。わたしが起きたと聞いて、診察の合間に顔を見に来てくれたのだろう。


 この病院は個人病院で、父は地元の人たちのためにと遅い時間まで診察をしている。近くの大きな病院の様に沢山の患者さんが居たりはしないけれど、誰かしら常に診察に訪れている。ただ話をしたいお年寄りなどに待合室も開放しているので、なんだかんだでこの病院は愛されているとわたしは思っている。

 父の代で閉じてしまうというのはもったいない気もするけれど、採算を考えるともう限界というのはきっとそうなのだろう。わたしが医者になってこの病院を継ぐと両親に言った時に、父の友人からの寄付がなければもう経営自体が無理だと聞かされた時は驚いたものだ。

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