第一章

空虚な自分を識る

 下校時間の汽車の中は騒がしい。

 田舎の海沿いの街を走るのは電車ではなく、ディーゼルで走る汽車だ。

 同じ学校の生徒たちが友人同士で盛り上がっている中、わたし、小暮明日奈はぼんやりと車窓に流れる海を見ていた。


 脳裏に過るのは午後にあった担任との面談。高校二年、二学期も始まり進路をそろそろ決めなければならない。

 わたしにとっては、とてもとても、頭の痛い問題だった。


 思わず大きなため息が零れる。


「どうしたらいいんだろうなぁ…」

「あすにゃん、また小難しい顔してるー。あんまりため息吐くと幸せが逃げちゃうよ?」

 思わずぼやきを口にしたわたしにのんびりとした声を掛けてきたのは幼馴染の景子だ。わたしの事情をよく知る親友でもある。

「それ、迷信だって聞いたことあるよ?」

 ボックス席の向かいに腰を下ろす景子に向かって苦笑しながら返事をする。

 そうすると、ペロっと舌を出す仕草をして、エヘヘと笑う彼女。クラスでも男女共に人気があるのが納得の気遣いの人だ。


「なんだか、また一人で抱え込んでそうだったからねー。まあ、理由はアレでしょ。進路」

「うん。まぁ、そう。…決まらなくてね」

「そうだろうと思った。おじさんとかおばさんと話はしてるの?」

「まったくしておりません」

「だよねー。あすにゃんならそうだよねー」

 景子が茶化すようにおちゃらけて言う。

 わたしがすぐに考える葦のようになってしまうから、それを阻止するためにこんな風に話し掛けてくれているのだ。本当に気を使わせてしまって申し訳ない…。


 進路に悩む理由。

 それは、わたしが何もない「空っぽ」なせいだ。やりたい事が見つからない、と言えば哲学的なのかもしれないけれど、本当に空っぽなのだ。

 空虚な自分をわたしは認識していた。中身のない自分にほとほと嫌気が差して気落ちしてしまう。


 わたしは、なにを、どうしたいのだろう。

 夢はなに?と聞かれても何も答えられない、夢すら持てないわたしはおかしいのかもしれない。


「…し? もしもーし? 聞いてる? あすにゃーん!」


 景子の声が聞こえてハッと顔を上げる。困った様な、心配している様な彼女の顔が目の前にはあった。

「けいちゃん…ご、ごめん」

「もうっ!」

 口を尖らせる景子に慌てて頭を下げる。

 彼女に頭を下げていたら汽車がゆっくりと減速し始めた。もうすぐ駅に着くのだ。

『まもなく大堂津に止まります』

 そのアナウンスを聞いてわたしは途中下車を決めた。

 停車駅の大堂津は駅のすぐ近くに海水浴場…砂浜があるからだ。気持ちを落ち着かせるためにも海を見たくなった。


「けいちゃん、わたしちょっと降りるね」

「え? ああ、海?」

「ん」

「一緒に降りたいけど、今日は颯太と約束があるんだ」

 申し訳なさそうに表情を曇らせる景子にわたしは心配させないように笑顔を貼り付ける。

「ちょっと一人で考えたいから気にしないで」

 そう伝えると、もっと苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべられてわたしは困ってしまう。何故、この親友には笑顔の仮面が通用しないのか。他の大人たちにも見破られないというのに。

「明日奈、今日、マジでヤバいでしょ?」

 わたしを呼び捨てにした彼女に降参、というようにわたしは両手を上げる。


 どうしてこう、景子は気付いてしまうのだろうか。

 自分でも自覚はある。今日は気持ちの揺れが大きい。自分の空虚を持て余して、自分が何者であるのかが揺らいでいる。

 わたしは覚えていないのだけれど、昔、一度完全に自分を見失って人形のようになったことがあるらしく、景子はそれを見ていたのだと両親から聞いたことがある。

 それ以来、景子はわたしから離れなくなったのだと。

「お願い、明日奈。今日は一人にならないで」

 下車するために立ち上がっていたわたしの腕を取った彼女は懇願するように見詰める。

「早目に帰る様にするから大丈夫。お父さんに一時間くらい遅くなるって伝えておいて」

 景子に少しでも安心してもらえる様に時間を区切って帰宅する事を示唆する。

「本当に、お願いね?」

 景子の事を心配性だと断じるのは簡単だけど、以前、彼女をとても泣かせてしまったのだと色々な人達に聞かされているので強くは出れない。


 わたしにその時の記憶はないし、気付いたら父の病院の病室に寝ていて、両親が心配そうにわたしを覗き込んでいた事しか覚えていない。他の誰かに泣きながら謝られていた様な気がするけれど、それもとてもぼんやりした記憶で朧気だ。

 両親も景子がわたしに縛られ続けるのは良くないと何度も景子の両親を含めて話し合いをしたけれど、景子は頑なに譲らなかった。

 終いには景子のお母さんが根負けして、気が済むまで好きにやらせてあげて欲しいとこちらに頭を下げる事となった。


 何がそんなに景子を駆り立てるのか、彼女は一切語ってはくれない。

 ただ、少し前から恋人が出来てわたしから少し距離を置いてくれる様になったから、それはそれで少しホッとした。空虚なわたしが人の人生を縛るのは良くない。

「じゃ、また明日。颯太さんによろしくね」

 景子に手を振りながら、わたしは大堂津駅で降りた。

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