黒狼は舞い戻る

「セラスー! 見て見て。何か変なの見つけたー」


 そう言ってメーファが持ってきたのは、鍵穴もなければ蓋の境目もわからない宝箱だ。けれど普通の宝箱にしては少し小さく、小物入れにしてはちょっと大きい。持ち上げてみるとそれなりに重量があるので、空というわけではなさそうだ。


 メーファが森の奥で見つけたという宝箱を興味深く見つめるのは、この部屋の主セラス。隣では、ちょうど一緒に森を散歩していたイーゴンとメルヴィオラもいる。メーファは定位置イーゴンの頭で頬杖をついて、楽しそうに鼻歌を歌っていた。


「ただの錆びた宝箱のように見えるが……ん? いや、待て。この模様はどこかで見たことがあるような……」


 宝箱の側面についた汚れを軽く落としながら、そこに刻まれている古びた模様を指先でなぞる。メルヴィオラにはただのぐりぐりした意味のない模様に見えたが、セラスのリーフグリーンの瞳が鋭い光を宿しているので、きっと何か特別な意味があるのだろう。

 けれどもその記憶はずいぶんと古いものなのか、セラスは無言で本棚からいくつかの本を取り出して読み耽ってしまった。


「アラ。すぐに答えが出せないなんてめずらしいわねぇン」

「んー? だってこれ、すごーく古い魔法がかけられてるもん。最近の本には載ってないんじゃないかな?」

「え? メーファ、この宝箱が何か知ってて、セラスに探させてるの?」

「中身が何なのかは知らないけど、精霊の力が働いてるのは感じるよ。闇の」


 そう、しれっと答えるものだから、メルヴィオラは宝箱に近付けていた顔を慌てて引き戻した。


「闇って……っ。もしかして、これも呪われた魔法具なの!?」

「呪われた魔法具に宿る穢れた精霊も、確かに闇の精霊の部類にはなるんだけど、これはちょっと違う。もともと闇属性の力が働いてる……のかな、たぶん」

「メーファでもはっきりわからないの?」

「精霊の中でも闇と光の二属性は、めったに姿を現さないんだよねー。恥ずかしがり屋さんなのかな!」


 二属性というか、その他の精霊もメルヴィオラはまだ目にしたことがない。聞けばイーゴンたちもメーファ以外の精霊を見たことがないと言っていたので、そもそも精霊がこうしてメルヴィオラたちと行動を共にしていること自体が非常にめずらしいことなのだ。

 ヴァーシオン国には確かに精霊の力が満ちている。けれどもやはりルーテリエルが生きた時代に比べると、精霊と人との関係は希薄になっていると言わざるを得ない。


「わかったぞ。メーファが言うように、これはやはり闇の魔力によって封印がされているようだ」


 一冊の本を手に戻ってきたセラスが皆に見えるようにページを開くと、そこには見たこともない古い文字がびっしりと記されていた。正直何が書いてあるのか読めないし、そもそもこれが文字なのかも疑問である。ちらっと窺い見ればイーゴンも唇を尖らせて唸っていたので、読めないのはメルヴィオラだけではなさそうだ。


「闇の精霊の中にはイタズラをするものも多かったため、時々罰として箱や壺に閉じ込められていたそうだ。この宝箱に刻まれている模様は、謂わば闇の魔力で作られた鍵の役割をしているらしい」

「なら、この中にはいたずらっ子の闇の精霊が閉じ込められているってこと? お腹空かせてるかもしれないわン! 早く開けてあげないと!」


 セラスが止めるのも聞かずに、イーゴンが宝箱を鷲掴みにして力任せに開けようとする。けれども蓋の部分がどこかわからない上に、鍵は闇魔法なので、開けるには同じ闇か弱点にあたる光魔法しか効果がない。なのでどんなに怪力のイーゴンが相手でも、宝箱はうんともすんとも言わなかった。


「お前ら、皆で集まって何やってんだよ?」


 ちょうど通りかかったラギウスが、開けっぱなしにしていた扉の向こうからひょいっと顔をのぞかせた。その耳に揺れる黒い牙の耳飾りを見た瞬間、メルヴィオラをはじめその場にいた全員が申し合わせたように声を上げた。


「「「「あ!!」」」」

「な……なんだよ?」

「ラギウス! ちょうどよかったわ。ねぇ、この箱を開けてくれない?」


 怪訝そうに眉を顰めてはいても、メルヴィオラから(かわいく?)お願いされれば断る理由などラギウスにはない。仕方ないなと一応面倒臭そうな小芝居をしつつ、メルヴィオラから古びた宝箱を受け取った。


「何だ、コレ?」

「メーファが見つけてきたんだけど、セラスの見立てでは中に闇の精霊が閉じ込められているかもしれないんですって」

「闇の? ふぅん……めずらしいな」


 闇の精霊と聞いて少し興味が湧いたのか、ラギウスは宝箱を一通りぐるりと観察している。彼の黒い牙のピアスは全属性の魔法を無効化する魔法具だ。純粋な闇の魔法にも効果があるか試したことはないが、宝箱は相当古く、かけられている魔法も脆くなっているかもしれない。

 もしかしたらと淡い期待を抱いて宝箱をピアスの揺れる耳に近付けてみると――ややあって、カチッと解錠する音が聞こえた。


「お! 開い……」


 ラギウスが最後まで言うより早く、宝箱の蓋が内側から勢いよく吹き飛ばされた。そして中から一匹の、両手に乗るくらいの小さな黒い狼が飛び出した。


「ガウッ!」

「狼!?」


 狼にいい思い出のないラギウスが、条件反射で後退する。けれども一番近くにいたのも、またラギウスだ。

 結果。


「ガウゥッ!」


 宝箱に顔を近付けていたラギウスの耳に、小さな黒狼がガブリッと噛み付いてしまった。


「ってぇぇ!」

「ヤダッ! ラギウスをおかずにしていいのはアタシだけよ!」


 何かよからぬことを叫びながら、イーゴンがラギウス救出に手を伸ばした。けれどもその手が届く前に、黒狼はすぅーっと薄れて消えてしまう。


「消えた?」

「幻……ではなさそうだな。噛み付かれたラギウスが痛がっている」

「何なんだよっ、痛ぇな! くそっ、アイツどこ行った!?」

「ラギウス。大丈……」


 不自然に言葉を切ったメルヴィオラが、ラギウスを凝視して固まっている。どうしたのかと思えば、メルヴィオラだけでなくイーゴンやセラスまでが同じように目を丸くして硬直していた。メーファだけはなぜか笑いをこらえているようだ。

 

「……何だよ?」

「ラギ……おかえり……」


 絞り出すようにそれだけ言って、メーファがついに笑い出した。


「あぁ? お前ら一体なに……」


 ふぁさ……と、足元に尻尾の気配がする。さっきの黒狼かと思って振り返れば、小さな体には不釣り合いなほどに大きな尻尾が揺れていた。もう逃がすまいと尻尾をガシッと掴めば、ラギウスの予想に反してビリッとした不快な――あるいは馴染みのある感触が全身に広がって。


「おぁぁっ!?」


 少しだけ気の抜けた叫び声に合わせて、ラギウスの頭で狼の黒い耳がピンッと自己主張するように伸び上がった。尻尾は尻尾でぶわっと膨らんで、ラギウスの手から抜け落ちると、激しい動揺を隠しきれずに縦に横にと忙しなく揺れている。


「ああああぁぁぁぁ~~~~っ! 嘘だろーーーーっ!!」


 精霊国ヴァーシオン。

 いまは姿さえ見ることのなくなった精霊たちが、いまもなお存在する不思議な国。神秘の力に満ちたこの国は、今日も変わらず賑やかな時間が流れている。




「ラ、ラギウス……? その、私は好きよ? その尻尾と耳。かわいい、もの……」

「男に可愛げはいらねぇーんだよっ! オイ、ヴィオラ。ちょっと舐めさせろ!」

「いやよ!」

「ンだと、コラ!」


 逃げるメルヴィオラと、追うラギウス。人目も憚らずキスを強要するラギウスに呆れるセラスと、後ろで唇を突き出しているイーゴン。

 もはや見慣れた光景は懐かしくもあって。


「僕もまぜてー」

「遊んでんじゃねぇ!」


 騒がしい日常にこぼれるのは、いつも眩しい彼らの笑顔だ。






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