第36話 お前は何を知っている?

「ヴィオラ!」


 何度揺すっても、腕の中のメルヴィオラは目を開かない。なのに涙だけが止むことなく、瞼を押し上げてはらはらとこぼれ落ちていく。


「ヤダっ、ちょっとヴィオラ? どうしちゃったの!?」


 イスラ・レウスからの手紙で、最後のフィロスを祈花きかさせた後、メルヴィオラは体調を崩すと記してあった。神殿がメルヴィオラの不調を把握していたのなら、護衛につくはずだったパトリックも何かしら知っているのではないか。

 そう思ってパトリックを探したが、彼はイーゴンの隣で同じように目をみはっているだけだった。


「リッキー! お前は何も聞いていないのか!?」

「元々メルヴィオラ様についていくはずだった神官ならば、何か知っていたかもしれないが……」


 神殿の管理下で行われるはずだった祈花きかの儀式は、ラギウスがメルヴィオラを攫うことで台無しにした。花を咲かせるだけならと強引に旅を続行したが、もしかしたら儀式に必要な何かが足りなかったのだろうか。

 聖女に関してはそのすべてが極秘事項であり、ラギウスもつい最近までメルヴィオラに自身の癒やしの力が効かないことを知ったくらいだ。

 一瞬メルヴィオラを抱いたまま海へ潜ろうかとも思ったが、ラギウスが行動を起こす前に、海岸へイスラ・レウスの白い船が到着し、海兵を伴って神官長が姿を現した。


「大佐殿、一体なにが起こっているのか説明をもらえるだろうか」


 白地に金糸の刺繍を施したローブを羽織った高齢の男、彼がイスラ・レウスの神官長であることは、その威厳ある佇まいからも十分に伝わった。

 冷厳な雰囲気を纏いつつも、倒れたメルヴィオラを見て驚愕に目を見開いている。おそらく彼にもこの事態は予想外のことだったのだろう。パトリックから説明を受けた後も、神官長の男はしばらく難しい顔をして何やら思考に耽っているようだった。

 その目が、不意にメルヴィオラを抱き支えるラギウスへ移る。


「君が……そうか。あの時の黒狼だな」

「……ヴィオラはどうしちまったんだよ。ルオスノットでも倒れたぞ。祈花きかの時に見る、ルーテリエルの幻影が関係しているんじゃねぇのか?」

「確かに祈花きかの儀式は、ルーテリエルが残した力の残滓に触れることで完成する。しかしメルヴィオラのように強く反応を示した聖女は……少なくとも私が知る限りでは、彼女ひとりだ」

「体調を崩すとはいっても、ここまでではなかったということか」


 神官長に返答したのは、セラスだ。ラギウスやイーゴンたちが焦る中、彼だけはひとり些細な反応も見逃すまいとメルヴィオラを観察するように凝視している。

 そのメルヴィオラはさっきからずっと、意識を失ってもなお泣き続けている。そのせいで、彼女を支えるラギウスの周りには既に真珠の粒が溜まりはじめていた。


 日の差さないローレインの墓所では、白い真珠も本来の輝きを放てずにくすんでしまっている。そう思った瞬間、セラスは二人の間にこぼれ落ちていた真珠をいくつか拾い上げてラギウスの前に差し出した。


「ラギウス、見ろ」


 セラスの右手に握られていた真珠は、白を塗り替えて黒く変色をはじめていた。


「どういうことだ。コイツの涙には癒やしの力があるはずだろ。……これじゃ、まるで……」

「呪いのようだな」


 ラギウスがあえて口にしなかった言葉をセラスが引き継ぐ。この現状に一旦感情を抑えることができるのは、今のところセラスだけだ。本人もそれがわかっているからこそ、現実を見極めてわけのわからない状況を打開しようとしている。


「これがもしも呪いなら……」


 セラスが手にした真珠をラギウスの左耳で揺れる黒い牙のイヤリングに近付けると、それは黒から本来の白へすぅっと色を変えていく。


「やはりな。君の黒い魔石ノクリムで無効化できる」

「待てよ。それじゃ、コイツの涙は……」

「そうだ。聖女の涙フィロスは呪われた魔法具に由来している」

「何だとっ!? メルヴィオラ様はそのような……っ」


 真っ先に声を荒げたパトリックを制したのは、意外にも神官長だった。セラスの考察に興味があるのか、あるいは自身も思うところがあるのか。本人は口を挟まず、小さく頷くことでセラスに続きを促す。


「今までも浄化をしてきたのだから、聖女の力は完全に呪われているわけではないと思う。変化が見られたのは間違いなく、ここローレインの墓所だ。歴代の聖女もみな体調を崩していたらしいから、おそらく聖女の力が強まることで何らかの異変が生じたのだろうと推測する」

「……聖女メルヴィオラは、その傾向が特に強い。彼女に他の聖女と違うことがあるとすれば、その原因は君たちに他ならないだろう。違うか? エルフィリーザの海賊たちよ」


 非難ではなく、ただ静かに事実を述べる神官長に、ラギウスはいつものように噛み付くことはない。メルヴィオラを攫ったのは事実で、そして倒れた彼女を皆が救いたいと願っていることもわかるのだ。ならば焦る気持ちを今は押さえて、話を進めた方が有益だと判断する。


「君たちのことは多少なりとも聞き及んでいる。いわくつきの宝ばかりを集めて回っていると。そんな君たちが聖女に与えた影響とは何だ? 心当たりがあるのならば、些細なことでも構わないから言ってくれ。そこに聖女を救う道があるかもしれない」


 セラスもイーゴンも、パトリックでさえ一瞬口を噤んだ。思い当たることといえば、ひとつしかないのを誰もがわかっている。けれどもそれを口にすることは、その判断も含めてラギウス本人にしかできない。

 国を背負う者。口にするだけで、覚悟を求められる名前。


「ラギウス・レオ・ノール・ヴァーシオン。……俺の名だ」


 神官長の目が、わずかに見開かれた。その名が示すものを、彼もまた知っているらしい。


「俺たちは国から違法に輸出された呪われた魔法具を集めてる。ヴィオラを攫ったのは、ノルバドの遺跡で俺が魔狼の呪いにかかっちまったからだ」

「ノルバドの遺跡へ向かう目的は何だ?」


 ラギウスの正体でも、呪われた魔法具のことでもない。神官長が最初に反応を示したのは、ノルバドの遺跡だった。


「あそこには、大昔から放置されてる魔法具がある。周囲に魔物が引き寄せられるのもそのせいだ。俺たちは王命を受けてその魔法具の回収のために海へ出た、ヴァーシオンの調査隊だ。動きやすいから海賊の真似をしている」

「君の話を裏付ける証拠はあるか?」

「持ってるのはこれだけだ」


 そう言ってラギウスがポケットから出した金の羅針盤を、セラスが神官長によく見えるように差し出した。その裏面に刻まれた名と紋章を見て、彼は一言「そうか」と短く呟いただけだった。


「海の女神ルーテリエルの加護を受ける聖女と、精霊の国とも言われるヴァーシオン。このふたつが同時期に重なり合うとはまさに奇跡。もしくは……引き寄せられたのかもしれんな」

「お前は何を知っている?」


 訝しむラギウスを一瞥したまま、神官長の男はまだ何かを迷っているようにも見えた。ラギウスからメルヴィオラへと視線を移し、そして地面に落ちた黒い聖女の涙フィロスを見て、ゆっくりと瞼を閉じる。けれども彼の眉間には、痛みに耐えるかの如く深い皺が刻まれたままだ。


「それがヴィオラを救うかもしれないのなら、迷ってる暇はねぇ。頼む。教えてくれ」


 薄く、息を吐く音が聞こえる。ラギウスがハッとして顔を上げると、澱みのない神官長の瞳がまっすぐにこちらを見つめていた。


「古い文献に、こう記してある。のひとりルーテリエルは、かつて人の子ローレインと夫婦の契りを交わしたと。しかしその美貌と希有な治癒の力を時の権力者に求められ、ローレインと共に逃げたそうだ」

「ローレイン……この墓所は、まさか」

「そうだ。逃亡の果てにローレインは命を落とし、ルーテリエルはそのまま連れ去られてしまった。……けれど、彼女の癒やしの力は、既に失われたあとだったのだ」


 冷たい風が吹き抜けて、地面のレーシアとフィロスの白い花を揺らしていく。そのさざめきをローレインの嘆きと感じてしまうのは、神官長の話を聞いたからなのかもしれない。けれどメーファだけは、大人びた表情を浮かべて、フィロスの樹をじっと見つめていた。


「逃亡の際に、ルーテリエルは自身の力をなくそうと試みたらしい。力がなくなれば、自分を執拗に求めることはなくなるかもしれないと。そうして四つに分けられた癒やしの力は大地に隠され、彼女に残ったのはほんのわずか。けれども彼は諦めきれずに、ヴァーシオンに伝わる魔法具の精製を試みたそうだ」

「ちょっと待て! それって……」


 驚愕に目を見開いたラギウスたちに、神官長が重々しく頷いた。


「ルーテリエルは呪われた魔法具になってしまったのだ」




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