第6章 ルーテリエル

第33話 どうしてあなたなんかを

 シュメルトス諸島は観光地として栄えている島もいくつかあるが、今回メルヴィオラたちが上陸したのは原生林に覆われた無人島だ。エムリスよりも規模は小さいが、島の中央は山のように聳えており、染み出た雨水が滝となって海へ流れ出ている。

 パトリックとしては設備の整った島でメルヴィオラを休ませたかったのだろうが、海賊船が観光地の島に堂々と入るわけにもいかず、イダ島を選んだのはかなり苦渋の決断だったらしい。浜辺にメルヴィオラ専用のテントを張りながら、イーゴンが教えてくれた。


「さてと、アタシたちはちょっと食料を調達しに行ってくるわねン」

「どこに行くの?」

「この辺りの海ではエトルが釣れるのよ。一匹あれば五人分の食料になるし、煮ても焼いても干してもおいしいの。おまけに釣り上げてからも平気で五日は生きるから、鮮度も抜群よぉ。夕飯、楽しみにしてて」

「私も一緒に……」


 ついていくと言おうとしたところで、イーゴンが自身の口に人差し指を当てて軽くウインクを飛ばしてきた。


「手紙の通りなら、アナタはちゃんと休んでおかなくちゃね。そ・れ・に! あの滝の下にはちょうどいい水場があるらしいから、水浴びにはもってこいよ。アタシたちが漁に出てる間、ゆっくりしてらっしゃい」


 そう言って、いつに間に用意していたのか、メルヴィオラにタオルを手渡してくれた。

 エトルの魚を釣りに船を出すことで、島からクルーたちを遠ざけてくれるのだろう。いつもながらイーゴンの細やかな気配りには驚かされる。


「あ、もちろんひとりにはしないわよン。護衛にラギウス置いていくから安心してちょうだい」

「むしろラギウスから護衛してほしいくらいだわ」


 ラギウスには今朝の件がある。ちょっとでも隙を見せればすぐにメルヴィオラを捕まえて、本気か冗談かわからない触れ方をしてくるからタチが悪い。

 護衛というのならパトリックの方が適任だ。なのに向こうから歩いてくるラギウスを見ていると、拒否する言葉はひとつも出てこなくて。結局自分もラギウスと一緒にいたいのだと、認めるしかなかった。



 島の中央にあると言う水場を目指して、メルヴィオラはラギウスと一緒に小さな川を上流へ向かってのんびりと歩いていた。

 海岸には必要最低限のクルーを残して、イーゴンはエトル釣りに行った後だ。セラスは残って本を読み耽っており、パトリックはイーゴンに羽交い締めにされながら船に乗せられていた。風を喚ぶメーファも当然海へ出ている。


 時刻はお昼過ぎ。日が沈むにはまだ早く、踏み入った島内にもまだ光は満ちている。遠くに聞こえる波の音と、時折強めに吹く風にさわさわと揺れる葉擦れの音が、午後のまったりとした時間に似合っていてとても居心地がいい。


 整備されていない自然のままの島を歩くのは、これが二度目だ。


「だいぶ山歩きにも慣れたな」


 エムリスの孤島で石に躓き、蛇に驚いて腰を抜かした記憶はまだ新しい。虫や爬虫類にはまだ驚くが、あの時とは違って今は歩きやすいブーツも履いている。水場への道がけもの道になっていることもあるが、前を行くラギウスが雑草などを避けてくれるので、むしろ彼のおかげで歩きやすいとも言えるだろう。それを素直に伝えるのは、何だか少しだけ恥ずかしかった。


「しかし女ってのは風呂が好きだな」

「否定はしないけれど、本来なら儀式の前には身を清めるのよ」

「エムリスでもルオスノットでも汗だくのままで大丈夫だったろ。教会とか国って奴は、そういう形式が好きだよな」

「形式っていうか、礼儀のひとつなんじゃないの?」


 確かに自由気ままなラギウスにとって、規律を重んじる教会のあり方は堅苦しく感じるだろう。海賊ではないメルヴィオラでさえ、時々嫌になって神殿を抜け出していたくらいだ。気持ちはわからないでもない。


「ぶっ倒れるくらい力使って花咲かせてやってんのはコッチだ。礼儀っつーんなら、むしろ樹の方だろ」

「樹の方って……それはさすがに」

「わーってるよ! 物のたとえだ」

「びっくりした……。本気で言ってるのかと思ったわ」

「馬鹿にしてるだろ」

「してないこともないけど……」

「テメェ」

「心配してくれてることは、何となくわかる。……だから、ありがとう」


 むっとして振り返ったはずのラギウスが、メルヴィオラの感謝の言葉に不意を突かれて声を失う。一瞬だけ重なり合った視線は、ばつが悪そうに逸らされて。まるで持て余す気持ちを抑えるように、わしわしっと前髪を掻きむしっている。


「……時々、反則技使うのやめろ」


 言い負かされた子供のように、ぷいっと顔を逸らすラギウスをかわいいと思ってしまうのは、彼の背中でふぁっさふぁっさと揺れる尻尾のせいだろうか。それともほんのりと染まる頬がめずらしいからかもしれない。


「ねぇ。その尻尾、触ってもいい?」

「はぁ!?」

「だって呪いを完全に解いたらなくなっちゃうんでしょ? その前にちょっと触らせてくれない? 実はずっと気になってたの」

「ダメに決まってんだろ!」

「どうしてよ。減るもんじゃないでしょ。あなただっていつも断りなく触ってくるくせに」


 むりやり触ろうと手を伸ばせば、反対に手首を容易く掴まれてしまった。ラギウスの尻尾は垂れ下がったまま、大きく揺れたり小刻みに震えたりと規則性のない動きを繰り返している。


「尻尾はダメだ。触られると何かムズムズすんだよ」

「そんなのただのわがままじゃない。私だってあなたにれられるとおかしくなるの、我慢してるんだから!」


 そう言ってしまった後で、空気が変わったのを嫌でも感じてしまった。ラギウスを見れば、案の定意地の悪い笑みを浮かべている。


「へぇ? 俺に触られると、どんな風におかしくなるんだ?」


 囁くように問いながら、掴んだ手首の内側に親指を擦り付けるようにして何度も撫でてくる。


「ちょ……っ、と! 言ったそばから変な風に触らないで!」

「別にこれくらい普通だろ。お前がいちいち反応しすぎるんだよ」

「普通じゃない! あなたの基準には付き合いきれないわ」

「そう言いつつ、お前も逃げねぇよな? ……本当はもうわかってんだろ?」


 口元は緩く弧を描いたまま、こちらを見つめるマリンブルーに真剣な熱が灯る。同じような眼差しで見つめられた今朝のことを思い出して、メルヴィオラは言葉を失って唇をキュッと噛み締めてしまった。


「あなたこそ、呪いが解ければ……それで終わりなんじゃないの?」


 あの夜、甲板でラギウスたちが話していた内容が頭の中によみがえる。

 旅の終わりは二人の終わりだ。それを引き延ばすための「何か」を必死に手繰ろうとしているのは、きっとお互いがそうなのだとメルヴィオラは肌で感じている。


 互いに、このまま終わりにしたくない。

 けれど、二人共があと一歩を踏み出せないでいる。


 メルヴィオラを攫った時のように、強引に腕を引いてくれたらいいのに。そうしたら、今度はちゃんと素直に頷けるのに。

 けれどラギウスは腕を掴んだまま無言で、そのわずかな時間の静寂さえ今のメルヴィオラには重くのし掛かる。だからつい、いつもの調子で突っかかってしまった。


「所詮わたしは魔狼の呪いを解くための道具なんでしょ。呪いが解けたら、わたしを船から降ろすくせにっ」

「何だよ、それ。お前だって早く船を降りてぇって言ってただろうが」

「それは最初の話でしょ! 今は違うもの!」

「じゃぁ今はどうなんだよ? 俺たちと一緒にいく覚悟があるのか? お前がそう思ってんなら、俺はもうお前を離してやれねぇぞ」

「今まで散々振り回しといて、気にするなって言う方が無理なのよっ。どうしてあなたなんかを好きに……っ」


 そこまで一気に捲し立てて、ハッと我に気付く。勢いに任せて叫んでしまった言葉は、最後まで言わずともきっとその意味が伝わってしまう。それに、自分でもわかるくらいに熱を持つ頬を見られれば一目瞭然だ。

 羞恥と混乱に考えが纏まらず、気付けばメルヴィオラはラギウスの腕を振り払って駆け出していた。


「あ、おい! 待て、コラ!」

「ヤダ! ついてこないで!」


 雑草の生い茂るけもの道を、奥へ奥へと走って行く。障害物があった方が追いかけて来づらいかと思ったのだが、道は意外とすぐに開けてしまい、メルヴィオラの前には目的地だった水場が姿を現した。

 滝から流れ落ちた水が川となって流れ、その途中にちょうど人が浸かれるくらいの大きな窪みが出来ている。まるでちょっとした泉のようだ。


 そう思った瞬間、メルヴィオラの腰を攫って、ラギウスの力強い腕が絡みついた。



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