第22話 海賊のくせに
翌朝、メルヴィオラたちは早めに起きて宿屋を出た。朝食をゆっくり食べる余裕はなく、パンと飲み物を買ってバスケットに詰めていると「デザートも必要よねン」と言いながら、イーゴンが林檎をひとつ追加した。
身支度を終え、ラギウスに手伝ってもらいながら馬に乗る。昨日から思っていたが、ラギウスもイーゴンも馬の扱いにはよく慣れている方だ。陸で暮らしているメルヴィオラは一人で馬にも乗れないのに、海賊の方が陸の暮らしに馴染んでいるというのもおかしな話だ。そもそも聖女であるメルヴィオラの生活範囲が、極端に狭いということも理由のひとつなのだろうけれど。
「海賊のくせに、馬にも慣れているのね」
「惚れ直したか?」
「元々惚れてない」
「そりゃ、残念」
昨夜のことをまるで感じさせないほど、ラギウスとのやりとりはいつもの調子に戻っている。イーゴンも特に言及することがなかったので、お互いにギクシャクしているということはなさそうだ。
タルテスの街を出発して、間に短い休憩を挟みながら二時間ほど馬を走らせる。そろそろお腹も空いてきた頃合いに、昼食も兼ねた遅めの朝食を摂ることにした。
パン屋で買っておいたサンドイッチと、柑橘系の爽やかな果実水。デザートの林檎はイーゴンが綺麗に剥いてくれている。大きくて太い指なのに、ナイフの扱いにも長けているようで、丸い林檎をくるくると剥いていく様子がまるで魔法みたいだと見惚れてしまった。
「イーゴンって、手先が器用なのね」
「アラ、ありがと。いつかラギウスのためにおいしいご飯を作る日が来るかもしれないし、出来てて損はないわよン」
「一生来ねぇよ」
「やぁね! どこでどう運命が転がるかわからないでしょ? 何ならヴィオラもやってみる?」
イスラ・レウスでは常に身の回りの世話をしてくれる神官がいたので、実のところメルヴィオラは家事全般を一切やったことがない。食事用のナイフは持ったことがあるが、調理するための刃物を触るのはこれが初めてだ。
できないと断ってもよかったのだが、何となく……林檎の皮も剥けない自分を恥ずかしく思ってしまった。
神殿でも神官が林檎を剥く場面を見たことがあるので、やり方ならわかるのだ。イーゴンから受け取った林檎は既に半分ほど綺麗に皮が剥かれていて、続きを任されたメルヴィオラは恐る恐るといったように果物ナイフを果肉に食い込ませる。
指を切らないように、ゆっくりと。焦らず、丁寧に皮を剥いた結果――なぜかラギウスがこらえきれずに爆笑した。
「ひでぇな、それ! 皮、分厚すぎんだろ。実ぃ、どこいった?」
「そんなに笑わなくたっていいじゃない!」
「って言うか、林檎の原型なくなってんじゃねぇか。何だ、その形。新種の魔物か?」
丸い林檎……だったはずのものは、空気に触れて茶色く酸化しており、さらに真ん中から下が極端に細長くなっている。逆三角形もいいところだ。
「仕方ないでしょ! 初めてなんだもの」
「初めてにしては上出来よぅ! 見ててちょっとハラハラしたのは内緒だけど、指を切らなくてよかったわぁ」
「あ? コイツ、聖女だから怪我しねぇだろ?」
「人を化け物扱いしないでくれる? 聖女って言っても人間なんだから、怪我くらいするわよ」
「そうじゃねぇよ。怪我しても、癒やしの力で治癒できんだろって話だ」
「できないわよ」
そう言うと、ラギウスとイーゴンが二人揃ってメルヴィオラを見つめてきた。あまりにびっくりした表情だったので、メルヴィオラの方が慌ててしまう。
「何……?」
「何、じゃねぇ。お前……その力、自分には効かねぇのか?」
「え? うん……そう、だけど。知ってると思ってた」
イスラ・レウスの神殿では当たり前の事実。人の穢れを浄化し、傷も治せる聖女の力は、けれど本人にはまったく効果を発揮しない。だから聖女は丁重に扱われ、神殿でもなるべく怪我をしないように刃物等も遠ざけられているのだ。
「んな情報、当然
「まぁ、本来はアナタを守るために秘密にしているんでしょうけど……何にせよ、聞いててよかったわン。アナタがいるから多少の無理もしてたけど、これからはもっとアナタのことを大事にしないとねン」
そう言って、イーゴンがメルヴィオラから林檎と果物ナイフを引き取った。果肉の半分を失った林檎を綺麗に切り分る様子を見ていると、隣に座ったラギウスがメルヴィオラのスカートの上に散らばった分厚い林檎の皮を摘まみ上げる。それを端から草食動物みたいにモシャモシャと食べはじめた。
「なぁ、もしもお前に万が一があった時……俺らはどうすりゃいい?」
「万が一って……物騒なこと言わないでよ」
「もしもの話だ。知ってるのと知らねぇのじゃ、今後の対応に遅れが出る」
こちらを見る青い瞳は真剣で、いつもの茶化すような雰囲気がまるでない。本気で心配していることがわかるから、またメルヴィオラの心の奥で名前のない熱が生まれてしまった。
「私たち聖女はルーテリエルの加護を受けているから、海に入れば自然治癒力があがるって神官長様が言ってたわ」
「試したことはないのか?」
「そんな大怪我したことないもの。病気の時は海に浸かるより薬を飲んでベッドで寝てた方があったかいし」
さすがに神殿の方も、熱があるのに海に入れとは言わないらしい。メルヴィオラも多少調子の悪い時はベッドで休んでいたし、歴代の聖女で実際に海に浸かって怪我を治したという話は聞いてない。ただそういった記載が、神殿に残る書物にあるというだけだ。
「そうか。じゃぁ、今後もしお前が大怪我したら、海に放り投げればいいんだな」
「言い方! それに怪我人に対して乱暴すぎるでしょ」
「治癒の仕方はそれでいいとして」
「よくない!」
「要するに、お前が怪我しねぇように守ればいいだけの話だろ」
言葉を被せて恥ずかしげもなく言ってくるから、メルヴィオラはつい言葉を詰まらせてしまった。何か言わなくては照れているのがバレてしまう。焦るメルヴィオラの心を読んだのか読んでいないのか、代わりにイーゴンが「きゃっ」と頬に手を当てて照れていた。
「さすがアタシのラギウス! 男らしいわぁン。アタシも守ってほ・し・い」
「怪力のお前には必要ねぇだろ。ほら、食ったならさっさと着替えるぞ」
立ち上がったかと思うと、ラギウスがいきなり上着を脱ぎはじめた。元々が細身なので筋骨隆々というほどではないが、しっかりと鍛えられた腹筋は綺麗に割れていて、嫌でも男であることを認識させられる。
筋張った逞しい腕に何度も抱き支えられていたのかと思うと、メルヴィオラの頬が無意識に紅潮した。
「ちょ……っと、いきなり着替えないでよっ」
「んだよ。昼間っから俺に欲情でもしてんのか?」
「デリカシーがないって言ってるの! すぐ話をそっちに持っていくんだから」
ぷいっと顔を背けたところに着ていた上着を投げられて、メルヴィオラの視界がすっぽりと闇に覆われた。まだぬくもりの残る上着はほんのりとラギウスの匂いがして、それをいつもの香りだと安心してしまう自分に羞恥心が膨れ上がる。
頬が更に熱を持ったのがわかった。心を騒がせるものが上着に残るラギウスの匂いであるのに、メルヴィオラの赤い顔を隠してくれるのも、またラギウスの上着だ。
結局メルヴィオラは心を乱す香りに包まれながら、それを手放すこともできないまま、二人が着替えを終えるのをただおとなしく待つしかなかった。
「終わったぞ」
ラギウスの合図に上着を頭から外すと、目の前に青を基調とした海軍の制服を着た二人が立っていた。襟元も、袖口も、着崩すことなくかっちりとボタンを閉めていてる。いつものラフな服しか見たことがなかったが、海軍の制服は想像していたよりもはるかに似合っていて、どことなく……着慣れているような感じを覚えた。
それはラギウスだけでなく、イーゴンもそうだ。申し訳ないが、まさかイーゴンまで着こなすとは思っていなかったので、メルヴィオラは口をポカンと開けて見入ってしまった。
「見惚れすぎだ」
「そっ、そんなんじゃないわ! ただ……予想していたより、全然おかしくなかったから……。っていうか、海賊のくせに何でそういう服が似合うのよ」
「海賊に対する偏見だぞ、それ」
「きっと制服の方が誰にでも似合う設計なのね。そうしてるとイーゴンも騎士みたいに見えるもの」
「アラ、鋭い」
「え?」
「何でもないわぁ」
そう言って曖昧に笑うイーゴンに、ラギウスが帽子を投げて寄越した。ラギウスは既に帽子を被っていて、頭に生えた狼の耳は綺麗に隠されている。尻尾はというと制服の上から羽織る長めのコートでしっかりと覆われていた。
「んじゃ、そろそろ行くか。いくらメーファが風で妨害してるっつっても、さすがにリッキーたちも上陸してるだろうからな」
海軍の制服を着て馬に乗れば、海賊と言うよりむしろ本当に騎士か何かのようだ。そんな想像をしてしまう自分に気付いて必死に思考を変えようとしたが、結局メルヴィオラの鼓動はしばらくのあいだ落ち着くことはなかった。
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