第20話 人の秘密を知るってことは

 夕飯を食べても、心待ちにしていたお風呂に入っても、メルヴィオラの中から居心地の悪いモヤモヤは消えなかった。お風呂上がりの火照った体のままベッドにダイブすると、向かいのベッドに腰を下ろしてくつろいでいたイーゴンが困ったように笑う。すべてを見透かすような、やわらかい目だ。


「そんな顔しないで、ヴィオラ」


 ラギウスがメルヴィオラのことをそう呼ぶので、いつの間にかイーゴンも愛称を使うようになっていた。確かに名前や聖女と呼ばれるより、距離は近く感じる。とはいえ、一番にヴィオラ呼びしたラギウスは今ここにおらず、近く感じていた距離はまた離れたような気がした。


「そんな顔って……別に普通よ」

「アタシに嘘つくなんて百年早いわよ。ラギウスのこと、考えてるんでしょ?」

「知らない」


 いつものように素っ気なく応えたつもりなのに、出てきた声は覇気がなかった。自分が思うよりも、心は随分と落ち込んでいたらしい。

 ラギウスが向かったのは、街ですれ違ったあの女のところだ。イーゴンとの会話で精霊がどうとか言っていたが、目的が何であれ娼婦のところへ行ったラギウスが何もせずに戻ってくるはずはない。

 脳裏に浮かびかけた想像を振り払うように頭からベッドに潜り込めば、薄いシーツ越しにイーゴンの小さな笑い声が聞こえた。


「アラ、かわいい。今のアナタの姿をラギウスが見たら、一発で落ちるわね。アタシだって落ちちゃいそうよン」

「イーゴンはラギウスオンリーじゃないの」

「それとこれとは別よ、別」


 そう言いながらも、イーゴンは向かいのベッドから動く気配はない。一応は男と女の二人きり。いくら心が女性でも、体と力は男性のままだ。不用意に近付いて怯えさせないようにとの彼の配慮は、正直メルヴィオラにはありがたかった。


「ねぇ。……精霊憑き、って何なの?」


 顔を見なくとも、イーゴンが息を呑んで躊躇う様子が伝わってくる。


「魔法具に封じられた、闇の精霊が関係あるの?」

「ヤダ、知ってたの!?」

「セラスに聞いたわ。精霊そのものを閉じ込めた魔法具があるって。あなたたちはそれを集めて回っているんでしょう?」

「アラ、そう……セラスが……ふぅん」


 歯切れが悪いと思ったら、何やら含みのある笑いが漏れ聞こえる。何か間違っていただろうかとシーツから顔をのぞかせると、目の合ったイーゴンが何でもないと首を緩く振った。


「セラスは、他に何か言ってた?」

「他に? 特には……。呪われた海賊が本当に呪われちゃったから、いい笑いぐさだって嘆いてたくらい」

「あはは! さすがセラス。相変わらず辛辣ねぇ」

「ねぇ、イーゴン。あなたたちはどうしてそんなものを集めてるの? 闇の精霊はやがて魔物になる、ともセラスは言ってたわ。危険なんでしょ? 他の海賊は近付かないし、そのせいであなたたちは呪われた海賊なんて呼ばれてる」


 闇の魔法具について現物を見たことはないが、魔物の脅威はメルヴィオラにだってわかる。イスラ・レウスの周辺の海にも出たことはあるし、討伐に行った海軍兵の怪我を治したこともあった。

 ラギウスが魔狼の呪いを受けたノルバドの遺跡だって、魔物の巣窟として知られているほど危険だ。オルトリスが討伐隊を派遣したこともあったようだが、そのすべてが全滅したと聞いている。


「危険だからこそ、よン」

「え?」

「闇の魔法具は威力が高い分、反動もえげつないのよ~。下手すれば、使用者の命すら削りかねないわン」

「そんなに危険なものが出回ってるの!?」

「ヴァーシオンの正規品じゃないのよ。違法だけど、それでも欲しいって言う人がいるから、裏では高値で取引されてるわン」

「それを……あの女の人が、持ってた?」

「そういうこと」


 今までに見た魔法具には魔石と呼ばれるものが必ず取り付けられていた。ラギウスの黒い牙のイヤリングや、仲間を呼ぶ翡翠色の笛。パトリックの炎の指輪もそうだし、手紙に使う封蝋には魔石を砕いた粉が使われている。

 とすれば娼婦が持っている魔法具というのは、彼女の胸に埋もれていた赤い宝石のネックレスなのだろう。


「……海賊が、人助けってこと?」

「フフ、どうかしら? 回収した後に、もっと高値で売りさばいてるかも知れないわよン」

「そっちの方が海賊らしいけど、わざわざ危険を選んで行くなんて……ますますわけがわからないわ」

「アラ、混乱させちゃったかしら? ごめんなさいね。でもアタシが言えるのはココまでよ。セラスも全部は話さなかったみたいだし、これ以上を求めるならラギウスに直接聞いてちょうだい」


 精霊を閉じ込めた魔法具。それを持つ者を「精霊憑き」と呼んでいることはわかったが、それ以上の話はセラスから聞いたものとほぼ同じだった。イーゴンの口振りからすると、まだ隠された何かがあるようだったが、その先はラギウスの許可がなければ話せないということなのだろう。


「でも、ヴィオラ。聞くからには、それ相応の覚悟が必要になるかも知れない……とだけ言っておくわねン」

「そんなに危険なの!?」

「そう言う意味じゃなくて……。人の秘密を知るってことは、それだけ相手と深い関係になるってことよ。アナタだって、たいして仲良くもない人に自分の秘密なんて打ち明けないでしょ?」


 言われてみれば確かにその通りだと思う。秘密の共有は、相手との信頼関係の上に成り立つものだ。

 本音を言えばラギウスのことは気になる。とはいえ、そうまでして秘密を知りたいかと問われれば戸惑う自分がいるのも感じている。イーゴンが言う深い関係がどれほどの深さなのか。それは友人としてなのか、あるいは男女間の繋がりなのか。

 そもそもメルヴィオラとラギウスは魔狼の呪いを解くまでの関係で、それ以上でも以下でもない。だとすれば、いずれ別れるであろうメルヴィオラに、ラギウスは自身のことを話す必要性もないのだろう。


 そう思い至ったところで胸の奥がちくりと痛んだ。

 秘密を知ることは戸惑うくせに、互いの関係が浅いことに不満を抱いている。自分でもちぐはぐな感情を持て余し、メルヴィオラの頭の中はぐちゃぐちゃだ。


「もう寝るわ」


 これ以上考えても、答えは出ないどころかずっとモヤモヤとしてしまうだけだ。そんなメルヴィオラの心情を敏感に悟ったのか、イーゴンは優しく微笑みを浮かべただけで何も言わずにベッドから立ち上がった。


「そうね。明日も早いから、もう寝ちゃいましょ。おやすみなさい、ヴィオラ」


 ふっと息を吹きかける音が聞こえたかと思うと、ランプの灯りが消えた室内に夜の闇が忍び込んでくる。薄いカーテンから淡く差し込む月光で、かろうじて部屋の入口が見えるくらいだ。

 廊下の明かりが扉の隙間から漏れている。けれどその明かりが遮られることはなく、メルヴィオラが起きている間にラギウスが戻ってくることはなかった。




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