第4章 ルオスノットへ

第19話 あの女、精霊憑きだ

 シャルバ港から延びる街道を東へ進むと、宿場町を二つ過ぎたその先にルオスノットはある。ヴァロナーク領を治める領主の館があり、そこにフィロスの樹が立っているのだ。


 港へ船を停め、ここからは馬を借りて街道を行く。馬車よりも速く自由が利くというのが理由だ。けれどメルヴィオラはひとりで馬に乗ったことがなく、二頭を連れて戻ってきたラギウスを見るなり思わず声を上げてしまった。


「え!? 私ひとりで乗るの!?」


 そう言ったあとに、メルヴィオラの頬がカッと赤くなった。当然のようにラギウスに甘えようとしていた自分を暴露してしまった気がする。けれどラギウスはそんなメルヴィオラには気付いていないようで、いつものようにからかうこともなく、顎で船の方を指してみせた。


「面倒くせぇのがついてくるんだと」


 振り返ると、ちょうどイーゴンが船から降りてくるところだった。太い腕を、乙女のように可愛らしく振っている。


「ウフフ。ラギウスと一緒に出かけられるなんて、アタシ楽しみすぎて昨夜眠れなかったのよ~。あ、ちゃんとお弁当も用意してきたわン」

「ピクニックじゃねぇんだぞ」

「旅は楽しい方がいいじゃないのぅ。アナタもそう思うでしょ?」


 同意を求めてきたイーゴンの視線が、メルヴィオラの着ている服で止まった。

 ティダールで着替えた服とは違い、今メルヴィオラが着ているのはこの港で買った質素な白いワンピースだ。青い髪を隠すためにフード付きのローブも羽織っており、全体的に飾り気がないのでとても地味に見える。


「アラ? アナタ着替えたの?」

「あの服で祈花きかの旅は、ちょっと無理があるかなって。元々着ていた服はティダールに置いてきちゃったし」

「ふぅん。でもあの服、女海賊みたいでアタシは好きよ。アタシたちの仲間になった感じがしたもの。……って、ヤダ! アタシたち、もう仲間みたいなものよね!」


 仲間、という言葉が宙に浮いているような気がしたが、訂正するほど嫌でもないと思ったことにメルヴィオラは自分でもびっくりしてしまった。

 ラギウスたちとの関係は一時的なものだ。ラギウスにかかった魔狼の呪いを完全に解けば、この旅も終わる。メルヴィオラはようやく海上生活から解放され、何の不便もないイスラ・レウスの白い都へ戻れるのだ。そう思うと、なぜか胸の奥がチクリと痛んだ気がした。


「ここからルオスノットまでは距離がある。タルテスの街で一泊することになるだろうが、目的を忘れるなよ。特にラギウス」

「何で俺に釘刺すんだよ?」

「君が一番羽目を外すからだ。聖女と二人だけだと欲に溺れそうだから、イーゴンを見張りにつけた。道中の護衛にも役に立つ」


 セラスの言うとおり、ラギウスとの二人旅に同行する者としてはイーゴンがもっとも適任だ。エルフィリーザ号のクルーたちの中で一番からだは大きいし、その体格に見合った力もある。確かに護衛としては申し分ない。おまけに心は女子なので、ラギウスよりも数倍メルヴィオラを気遣うことができるだろう。

 目が合うとバッチンと音がしそうなほど強烈なウインクを飛ばされて、メルヴィオラは自然と心がほぐれていくのを感じていた。


「海軍の船はメーファの風で少しくらい足止めできるはずだ。私たちは海上へ出るから、終わったら合図をしてくれ。迎えに来る」

「わかった。んじゃ、行ってくる」


 セラスにひらりと手を振って、ラギウスが馬の背に跨がった。手を引かれてメルヴィオラも馬に乗ると、高くなった視界と不安定な体勢にほんの少しだけ怖じ気づく。そんな気持ちを知ってか知らずが、左右から伸びたラギウスの手が手綱を握り、両腕の中にメルヴィオラをすっぽりと囲った。


「んな心配そうな顔すんな。落とさねぇよ」

「だって……はじめてなんだもの」

「怯えてると、その気持ちが馬に伝わる。お前は余計なこと考えずに、ただ景色だけ眺めて楽しんでろ」


 そう言うなり手綱を引かれ、心の準備もできないままメルヴィオラを乗せた馬が軽やかに走り出す。短い悲鳴を上げはしたが、多少強引でも走り出してしまえば怯えて狼狽える暇もなく。

 街を出る頃には、さっきまで居座っていた不安は風と共に吹き飛ばされていった。



 シャルバ港を出たのが昼過ぎだったため、最初の宿場町タルテスに着いたのは日が沈んで随分と経った頃だった。市場に並ぶ露店はほぼ閉まっており、明かりがついているのは宿屋と酒場くらいだ。


「部屋、空いてるかしら」


 ざっと見渡してみる限り、街の規模はそこまで大きくない。旅人の姿が多いのは、ここがシャルバ港から最初に立ち寄る街だからだろう。この分だと宿は埋まっているかもしれない。


「一部屋あれば十分だろ」

「えっ!? 一緒なんていやよ!」

「今更なに言ってんだ。船の上じゃ一緒に寝てただろ」

「一緒のでね! 陸に上がってまで一緒なんて息が詰まるわ。それに男二人と同じ部屋なんて、ほんっとあなたってデリカシーがないんだから!」


 ぷいっと頬を膨らませて言い返すと、メルヴィオラよりも頬を膨らませたイーゴンが拳にした両手をブンブンと振って唇を尖らせた。


「アラ、心外! アタシ、心は女よ!」


 本気で殴る気はないのだが、何しろ体が大きいので腕を振る風圧だけで飛ばされそうだ。そう思うとメルヴィオラのフードも、ふわっと浮いたような気がする。


「ほらな。コイツがコレじゃ、襲われる心配もねぇだろ」

「イーゴンじゃなくて、問題はあなたの方!」

「その言い方だと、まるで俺に襲われるのを期待してるみたいだぞ」

「し・て・な・い! ほんっと、都合よく解釈するんだから!」

「赤い顔して言われても説得力なさすぎなんだよ」


 不意に伸びてきた指先に頬をするりと撫でられる。骨張った指は硬くて、それが男であることを鮮明に突き付けてくるから、このところメルヴィオラの心はずっと落ち着かない。

 ラギウスとの距離は常に近く、船でも一緒にいることが多いので、どうしても意識は彼に向きがちだ。口を開けば文句ばかりついて出るが、彼に触れられるたびに心の奥が熱を持つ。その熱に溶けて剥き出しになる心が怖くて、メルヴィオラはそれ以上考えるのをやめてしまった。


「まぁ、俺は別に宿じゃなくても寝る場所くらいはありそうだからな」

「どこ……」


 ラギウスの視線を追えば、街角の暗がりに夜でも映える化粧をした女が立っていた。着崩した……というより、わざと肩を出して、女性的な体のラインをギリギリまで見せつけている。首飾りの赤い石が豊満な胸の谷間に埋もれていて、何だかとてもいやらしい。

 こちらに気付いた女が魅惑的な投げキッスを飛ばしてくると、ラギウスが嬉しそうに口笛を吹いた。


「ここははじめてだが、結構イイ女いるんだな」

「サイテー」

「拗ねんなよ。何ならお前が相手してくれてもいいぜ?」

「私にはイーゴンがいるもの! あなたに構ってる暇なんてないわ」


 ラギウスに見せつけるようにしてイーゴンの腕に絡みつくと、振りほどかれはしなかったが何だか物凄く申し訳なさそうな顔をされた。


「ごめんなさいねぇ。アナタのこと嫌いじゃないけど、アタシ、ラギウスじゃないと役に立たないのよ」


 何の役かはあえて聞かないことにする。そうこうしているうちに目的の宿屋の前に着き、馬番のイーゴンを残してラギウスはさっさと中に入ってしまった。


「馬なら見てるから、アナタも行ってきていいのよン」

「ううん。ここにいる。ティダールの宿に、あんまりいい思い出ないから」

「あぁ、そうだったわね。ごめんなさいねぇ。怖かったでしょう?」

「どうしてイーゴンが謝るの? 確かに怖かったけど、あなたたちは他の海賊とはどこか違うもの。ラギウスだってふざけてばかりだけど……危険な時は、ちゃんと助けてくれたし」


 攫われた身の上とはいえ、呪いを解くこと以外にメルヴィオラは行動を制限されていない。何かを無理強いされることはないのだ。

 海賊という言葉から想像する荒くれ者とは随分と様子が違う。けれどその予想外は、メルヴィオラにとって幸運であることに違いはない。もしもラギウスたちがティダールで見た海賊と同じなら、いまメルヴィオラはこんなにも穏やかな気持ちでここにはいないだろう。何なら、この旅を少し楽しんでいるかもしれない。


「ラギウスのこと、ちゃんと見てくれているようで嬉しいわぁ。ウフフ。彼、いい男でしょ。好きになってもいいけど、ライバルとしては手加減できないわよン」

「好きって……っ!」

「照れないの。恋する乙女の瞳って美しいわよねぇ」

「別にそういうんじゃ」

「何だ? えらく盛り上がってるな」


 いつの間に戻ってきたのか、メルヴィオラの後ろにはラギウスが立っていた。


「女同士、秘密の話よン。部屋は取れたの?」

「あぁ。先に行って休んでろ」


 イーゴンに投げて渡された鍵はひとつ。そのことに苦情を言おうとしたメルヴィオラだったが、ラギウスは宿ではなく来た道を戻ろうとしている。その背を追って、イーゴンがラギウスの肩を掴んだ。


「ラギ……」

「あの女、精霊憑きだ」


 言葉は聞き取れたが、それが何を意味するのかメルヴィオラにはわからない。二人の間に一瞬だけ走った空気はどこか張り詰めているようで、その中に口を挟んで入り込む勇気はとてもじゃないが持てそうになかった。


 結局何も聞くことができないまま、ラギウスはひとり夜の街へ消えてしまった。



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