第18話 呪われた海賊

 海賊船の一室。船長室とは別にある唯一の個室の前で、メルヴィオラは立ち尽くしていた。代わり映えのない木の扉を叩こうかどうか、さっきからずっと悩んでいる。

 部屋の主はセラスだ。船がルオスノットへ航路を決めた後、また自室へ戻ってしまったセラスを追ってメルヴィオラも後をついてきたのだ。


 ティダールで感じた疑問。パトリックの炎を無効化したラギウスの力について、セラスなら何か知っていると思った。当の本人はピアスの魔法具の効果だと言っていたが、それ以上はうまくはぐらかされたような気がする。

 思えば風の精霊メーファのことも、言及を避けた節があった。もしそうならセラスも教えてはくれないだろうが、彼の部屋にはたくさんの書物がある。もしかしたら魔法具について調べることで何かわかることがあるかもしれないと、そう思ってメルヴィオラはひとりセラスの部屋を訪れたのだ。


 意を決してノックをする。そう時間はかからずに「どうぞ」と、静かな声が扉越しに聞こえた。


「お邪魔します」


 そろそろと扉を開けると、椅子に座って本を読んでいたセラスがちらりとこちらへ視線を投げる。そして「ふぅ……」とひとつ、呆れたような溜息をこぼした。


「扉の前で悩む間に、君はもう三分時間を無駄にした」

「私がいるって、知ってたの?」

「あれだけソワソワした気配を出していれば嫌でも気付く。それで? 要件は何だ?」


 荒事には縁遠い雰囲気なのに、さすがは海賊船の一員というところか。剣も銃も持たないセラスの武器はその頭脳だったと、メルヴィオラは改めて思い出した。


「魔法具のことについて知りたいんだけど……そういう本、あるかしら?」


 一瞬訝しむように眉間に皺を寄せたセラスだったが、特に理由を追及することもなく本棚から取り出した数冊の本をメルヴィオラに渡してくれた。

 一般的に流通しているものから希少価値の高いものまで記された魔法具の一覧や、魔法具がどんなものであるかを説明した本など、セラスが選んでくれたのは比較的初心者向けの読みやすそうなものばかりだ。


「ありがとう。ここで読んでもいい?」


 無言を了承と受け取って、床の空いたスペースに腰を下ろす。渡された本のうち、一冊をぱらぱらと捲ってみると、そこにはメルヴィオラも見たことのある一般的な魔法具の絵が記されていた。


 暗闇を照らす杖や、水を出す桶など、生活に密着した魔法具は誰もが使える代わりに耐久性はあまりよくない。

 武器などに使用される魔法具は耐久性も込められた魔力も強い反面、使用者との相性が必要になる。パトリックの所持する炎の指輪がそうだ。他の者が同じ指輪を使っても、パトリックほどの炎を操ることはできないだろう。


 人が魔法を使う時、魔法具は必ず必要になる。けれども唯一の例外として、メルヴィオラだけは魔法具を使わずとも癒やしの術を扱うことができる。聖女が海の女神ルーテリエルの愛し子と呼ばれるのには、そういう意味も含まれているのだ。


「……あら?」


 軽く一冊目を読み終えると、巻末に妖精の羽根をモチーフにした刻印が記されていた。あまり頻繁に目にするものではないが、その印の特別性はメルヴィオラも知っている。


「この印って……確か、ヴァーシオン王国の……」

「著者が王宮仕えの魔法具職人だからな」


 ヴァーシオンはオルトリスから海を隔てた大陸にあり、主に魔法具の輸出によって名を知られる大国だ。精霊力を込める魔法具は精霊と絆の深いヴァーシオンでしか製造できず、それゆえに他国からは精霊国とも呼ばれている。

 国土を囲む結界は精霊を守るためとも言われており、魔法具の輸出以外にヴァーシオンが他国と顔を合わせることはあまりない。


「でもヴァーシオンは秘された国だと聞いているわ。貿易品は国の許可が下りた魔法具だけだって」


 魔法具以外の、ヴァーシオンに関係する書物。しかも王宮仕えの職人が書いた本ともなれば、それなりに……いや、もしかすると国家機密に近いかもしれない。

 残りの本も見てみると、そのすべてにヴァーシオンの刻印が記されていた。


「ねぇ。この本、もしかして盗んだもの……だったりする?」

「それは私物だ」

「よく手に入ったわね。ヴァーシオンに行ったことがあるの?」

「そうだな」

「すごい! ねぇ、どんなところなの? 国民は精霊の血を引いているって本当? 何でも王族の人たちは、この世のものとは思えないほど美しい姿をしているって聞いたことがあるわ」


 秘密の多い国はそれだけで興味をそそられる。ましてやヴァーシオンは、精霊とゆかりの深い国。人智を超えた力――魔法を人に授けた精霊の、愛し育てた国だとも言われているのだ。


「ヴァーシオンに興味が?」

「誰だって気になるわよ。メーファみたいに、目に見える精霊がたくさんいるの? 私、メーファを見た時すごく驚いたんだけど……」

「そんなに気になるなら、ラギウスに連れていってもらえばいい」

「どうしてラギウスに? ……あ、あの人ああ見えて船長だものね。自分の行きたい場所に、どこへでも行けるんだったわ」


 聖女であるメルヴィオラは、祈花きかの旅くらいしかイスラ・レウスから出る機会はない。その旅も常に護衛がつくので、本当の意味で自由になることがないのだ。

 気ままなラギウスをほんの少しでも羨ましいと思ったことは認めるが、彼は自由を手に入れる代わりにそれ相応の覚悟を持って海賊をしている。衣食住を保証されているメルヴィオラとは違って、彼はそのすべてを自分で手にしなくてはならない。それだけでなく、時に命すら奪い合いになるのだ。


 どこへでも自由に羽ばたける翼に憧れはしたものの、メルヴィオラは自分がそう生きていけるのかと問われれば首を横に振らざるを得なかった。


「まぁ、そのせいで魔狼の呪いにかかったんだがな」

「ノルバドの遺跡でしょ。ラギウスは宝を求めて行ったって言ってたけど本当なの?  あんな危険な場所に喜々として向かう気が知れないわ」


 ノルバドの遺跡はオルトリスも危険区域として立ち入りを禁止している場所だ。オルトリスの西にある無人島で、密林に覆われた内部の詳細は未だにわからない。

 以前はラギウスのように宝を求めて向かう海賊たちもいたようだが、誰ひとりとして戻った者はいない。最近では島周辺の海域にまで魔物が出るようになったので、オルトリスは一般の漁船も近寄ることを禁止している。


「向かう理由はあるが……時期尚早だった。彼は人の話に耳を傾けない時があるからな。あの時も"なんか行けそうな気がする"……と言っていた」

「その時の様子が目に浮かぶようだわ。……でも、何だかんだ言っても、あなたもやっぱり海賊なのね」

「どういうことだ?」

「だって時期尚早だって言うけど、準備が整えばノルバドの遺跡にだって行っちゃうんでしょ? あなたもラギウスと同じで、宝にロマンを求めるのね。意外だわ」


 知識を深めることにしか興味がなさそうなセラスも、やはり見たことのない財宝には心惹かれるのだろうか。そう思っていると、心外だと言わんばかりに、セラスの眉間に深い皺が刻まれた。


「あんなものにロマンなど、爪の欠片ほども詰まっていない」

「あんなものって……」

「ノルバドの遺跡に眠るのは、呪われた魔法具だ。魔石に精霊力ではなく、精霊そのものを閉じ込めた違法品。嘆き悲しむ精霊はやがて穢れ、闇の精霊となった彼らの成れの果てが魔物だ」

「えっ!?」

「私たちは、その呪われた魔法具を求めて海を渡る海賊だ」


 呪われた、という言葉に、ティダールで耳にした海賊たちの話を思い出す。メルヴィオラを競りにかけた男が、確かラギウスのことをそう呼んでいたような気がする。


「……呪われた海賊?」

「そう呼ぶ者もいる。まさか船長が本当に呪われるとは、笑い話もいいところだ」


 そう言うセラスの顔は全く笑っていない。当然メルヴィオラも同じで、不吉な言葉に背筋が少しだけひやりと震えるのを感じるのだった。




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