第11話 僕をご指名なの?
束の間の沈黙を破ったのは、かすかにこぼれたラギウスの笑い声だ。見れば楽しげに口角を上げている。
「へぇ。中途半端に解けた呪いも、意外と使い道はあったってことか。この力は便利だし、これからも役に立ちそうだな」
「楽観視しているところ悪いが、その力は魔狼の一部だからな。あまり依存するのはやめた方がいい」
「何でだよ。使えるモンは使った方が楽だろ?」
「何が起こるかわからないから注意しろと言っている。もしかしたら魔狼の力が体に馴染みすぎて、元に戻れなくなるかもしれないだろう?」
「そん時はコイツがいるだろ。フィロスの花を咲かせていけば、浄化の力も……って、そうだ!」
突然ラギウスがメルヴィオラの横にしゃがみ込んだ。頭に置かれたままの手で顔の向きを変えられれば、思った以上に近い位置でラギウスのマリンブルーと視線が絡み合う。
「な、何?」
「お前がぶっ倒れるから忘れてたが、エムリスで花咲かせたんだから、お前の力も強くなったんだろ? ちょっと舐めさせろ」
「言い方!」
問答無用で顔が近付いてきたので、メルヴィオラは慌ててラギウスの胸を強く押し返した。涙も出ていないのに何を舐めるというのか。そもそもここは甲板で人の目もあるというのに……と、そこに思考が至ったところでメルヴィオラの頬がかすかに色付いた。
「なに赤くなってんだよ。あぁ……もしかして、こうされるのを期待してたのか?」
勝ち誇ったように口角を上げるその顔が嫌味ったらしくて、でも思わず見惚れてしまうほど美しくもあって。少しだけ強引に顎を掴まれれば、朱に染まる顔を隠すこともできず、メルヴィオラは頬を膨らませることで拒絶の意思を示すしかなかった。
「まったく、君はサカりすぎだ。時と場所を考えろ」
心底呆れた溜息と共に、セラスがラギウスの口に串刺しの肉を押し込んだ。
「
「君の女に手を出す馬鹿は乗っていないが、そういうのは船員たちにとって目の毒だ。少しは彼らのことも考えてやれ」
セラスの言葉に周囲を見回せば、同じように甲板で食事を摂っていた船員たちが揃ってこちらを凝視していた。羨ましそうな、あるいは恨めしそうな視線から逃れたくて身を捩るものの、肩に回されたラギウスの腕がそれを許さない。反論の意を込めて睨み付けても、なぜか得意げに笑っているだけだ。
「へぇ? じゃぁ、お前もコイツに興味あるのかよ?」
「私にあるのは知識欲だけだ」
「枯れてんな」
肩に回された腕がぐっと引かれ、ラギウスが見せつけるように体を密着させてくる。さすがにくっつきすぎだ。我慢の限界でもあるし、密着したせいで汗で汚れた自分の臭いが鼻を突く。
決していい匂いとは言えない体臭をラギウスにも嗅がれているのかと思えば、今すぐここから逃げ出したいくらいだ。けれどもラギウスに離すつもりはないようで、腕の力は一向に弱まる気配がない。
「いい機会だし、お前は俺のモンだって見せつけとこうぜ?」
「大体おっ、おんっ……な、とか……そういうんじゃないでしょ! 私がここにいるのはあなたの呪いを解くためなんだから」
「その間に余計な虫がつかないとは限らないからな」
「既にあなたがタチの悪い虫なんじゃない!」
心より体。理性より本能が勝るラギウスの言動に、メルヴィオラは最初から翻弄されっぱなしだ。
今までメルヴィオラの周囲にいた、厳格で真面目な神官や礼儀正しい海軍兵士たちとは何もかもが違う。粗野で横暴、そして何より自由すぎるラギウスから目が離せない。
「そのタチの悪い男に、お前は捕まってんだよ。いい加減諦めろ」
「いやよ。あなたよりメーファの方が断然いいわ」
突然名を呼ばれたメーファが、肉を口に咥えたままメルヴィオラを仰ぎ見る。ぷっくりと膨れた頬がリスみたいで可愛い……なんて思っていると、銀色の目をふっと細めてやけに煽情的に微笑んだ。
「なに? お姉さん、僕をご指名なの?」
幼い外見に艶のある微笑。不思議な光を宿す銀色の瞳も相まって、何とも言えない中性的な魅力を撒き散らすメーファの口元は、肉の脂で汚れている。視覚情報がちぐはぐすぎて、ちょっとだけメルヴィオラの頭が混乱した。
「嬉しいなぁ。それじゃぁ、しっかりとお姉さんを満足させてあげないとね」
「小せぇ体で、何が満足だ。笑わせんな」
「えぇー? 自分さえ気持ちよければ他はどうでもいいラギウスより、僕の方がいいと思うんだけどな」
「顔と言葉にギャップがありすぎんだろ。あと俺はそんなに自分本位じゃねぇ」
「アタシは自分本位のラギウスも好きよ。抱い」
「黙ってろ」
会話に紛れ込んだイーゴンを、ラギウスがバッサリと一喝する。目も合わせないほど辛辣なのに、当の本人はまったくへこたれていない。むしろどこかが彼の性癖をくすぐったようで、浅黒い肌をポッと赤らめているくらいだ。
「お姉さんを喜ばせるのに、大人も子供も関係ないでしょ?」
「そんなに自信があるんなら、コイツを喜ばせてみろよ」
「いいよ」
口についた肉の脂を雑に拭い、その指先をぺろりと舐めたメーファが、立ち上がると同時にふわりと宙に浮いた。間近に向けられる銀色の瞳は眠そうにも見えるし、聡い光を内包しているようにも見える。正直、何を考えているのかわからない畏怖のようなものを感じるのは、メーファが風の精霊だからだろうか。
「お姉さん」
メルヴィオラの周りを一周したメーファが、正面に戻ってにっこりと笑った。
「お風呂、入ろっか」
「はぁぁ!?」
ラギウスが目を剥いて――ついでに尻尾もぶわっと逆立てて――声を荒げるので、メルヴィオラはメーファの言葉よりもむしろそっちに驚いてしまった。自分よりも感情の揺れが大きい人物を目にすると冷静になれるというのは本当のようだ。
「お前、なに言ってんだよ! いくらガキの姿だからって……」
「何でお姉さんよりラギウスの方が動揺してるの? もしかして僕とお姉さんのイケナイ想像でもした?」
「するかっ、阿呆!」
「あはは! ラギウスってホントおもしろーい」
「テメッ……海に放り投げるぞ!」
そう言ってメーファの首根っこを掴んだラギウスだったが、本当に彼を放り投げることはしない。宙に浮けるメーファを投げる意味はないし、懲らしめるという意味では自由を奪っていた方がまだましだ。とはいえ、宙吊り状態でもメーファは楽しそうだ。
「でも冗談は抜きにしても、ラギウスはもう少しお姉さんのこと考えてあげた方がいいと思うけどな」
「は? 何だよ、いきなり真面目な顔して」
「だってお姉さん、『おんなのひと』だよ?」
二人の視線に加えてセラスとイーゴン、そして近くの船員たちの視線が一斉にメルヴィオラへと向いた。
「せっかくの美人さんなのに、全身汗と泥まみれでかわいそうだなって。お風呂入るにしても、むさ苦しい男と一緒に甲板で全裸になって雨を浴びるわけにもいかないでしょ?」
メーファの言葉に、周りから色めいたどよめきがあがる。彼らが何を想像しているのか嫌でも想像できてしまい、メルヴィオラは粘着質な視線から逃げるように腕で胸元を隠して身を捩った。
それでもきっと今の彼らには、期間限定で透視能力が発動しているに違いない。とにかく安全な場所へ身を隠さなくてはと、メルヴィオラがイーゴンの方へ駆け出そうとした瞬間。一番危険視していたラギウスに、後ろからぐいっと腕を引かれてしまった。
「テメェら、なに勝手にコイツの裸想像してんだよっ!」
船員たちの視線から隠すように、ラギウスの背に庇われる。
エムリスの孤島ではラギウスだって同じようにいやらしい目で見てきたというのに、同じことを他の男がすることを良しとしない。その行動にラギウスの独占欲を感じてしまい、メルヴィオラは自分がどんな表情をしているのかわからなくなってしまった。とりあえず、ラギウスがこちらを見ていないことが唯一の救いだ。
「コイツは俺のモンだ。手ぇ出した奴は問答無用で海に突き落とすからな」
そう宣言したラギウスに手を引かれて、メルヴィオラはそのまま船長室へと連れて行かれてしまった。
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