第12話 ティダールに行くか

 手を引かれるがまま船長室までついてきたメルヴィオラだったが、目の前でラギウスが上着を脱いだ途端、声を喉に詰まらせて硬直してしまった。そういうところだけは目ざとく気付くラギウスが、脱いだ上着をベッドに放り投げながらニヤリと意地悪く笑う。


「何だ? 期待してんのか? お前がその気なら抱いてやってもいいぞ。どのみち汗だくになるんだ。多少汚れてても気にならねぇだろ」

「いやよ。万年発情狼っ! 私を安く見ないで。そういうことをやりたいなら、そういうところに行けばいいでしょ」

「ははっ。確かにな。遊ぶにしては、お前は少しカタすぎるか」


 メルヴィオラの言葉に気を悪くした感じもなく、ラギウスは椅子にどっかりと腰を下ろしてテーブルに置いてあった酒瓶をあおっている。シャツのボタンはふたつほど外していて、すっかり寛ぎモードだ。

 対してメルヴィオラは万が一の時のために、すぐ逃げられるよう扉の前から一歩も動いていない。とはいえ、ここは逃げ場のない海の上の海賊船。部屋を出たところで周りは男だらけだ。しかもさっきメーファが変なことを言ったせいで甲板に戻るのも気が引ける。


 非常に癪だが、海賊船ここでメルヴィオラが無事でいられるのは、現状この船長室だけなのだ。一応、呪いを解くまで手は出さないとの約束も取り付けてはいるが、この男にそれがどこまで通用するかは疑問である。けれども、今はその約束を信じるしかないのだろう。

 だからメルヴィオラも今は我慢して、夜はこの部屋で寝ることにしていた。幸い横になれる大きさのソファーがあるので寝床には困らないし、今のところ寝込みを襲われるようなこともないので、ラギウスも約束は守ってくれている……と思いたい。


「あー……でも、アレだな。お前が来たことでアイツらが浮ついてんのも仕方ねぇか。俺が呪い受けちまったせいで、長いことおかに上がってねぇもんな」

「海賊なのにやっぱり地上が恋しいの?」

「恋しいのはおかより女だ。長いこと海の上にいれば、そりゃいろいろ溜まんだろ」

「……っ!」


 完全に墓穴を掘ってしまった。またいいようにからかってくるのだろうと思っていたのだが、メルヴィオラの予想に反してラギウスは言い返すこともしない。ただふっと軽く笑みをこぼして、残っていた酒を一気に飲み干すところだった。


「よし! ティダールに行くか」

「ティダール? え?」

「ルオスノットに向かう途中にある街だ。ちょっと寄り道してもたいして遠回りにはならねぇよ。治安は……まぁ、良くねぇが、俺たちと一緒にいりゃ大丈夫だろ」


 祈花きかの旅を早く終えて解放されたいメルヴィオラにとっては、少しの寄り道もできれば避けたいところだ。しかもわざわざ治安の悪い場所へ行くなど、何を考えているのかさっぱりわからない。

 不満げな気持ちが顔に表れていたのだろう。ラギウスが空になった酒瓶で、メルヴィオラの方――その汚れた服を指してきた。


「風呂、入りてぇんだろ。あとその服も、新しいものを用意してやる」


 そう言ったラギウスの頬が、かすかに赤みを帯びているのは酒のせいだろうか。

 もちろん船員たちのためというのも理由のひとつに違いない。けれど、おそらくそれは口実だ。なぜなら喜びに破顔したメルヴィオラの視線の先で、ラギウスの尻尾が大きくぶんぶんと揺れている。何ならそのまま床を掃除する勢いだ。

 表情は平静さを保っているのに、尻尾がそれをガン無視している状況があまりにおかしくて、ちょっとだけかわいい。


「何だよ?」

「ううん、何でもない。……ありがとう」

「お、おう……」


 今度は耳までピンッと立つものだから、メルヴィオラはとうとう声を漏らして笑ってしまった。



 ***



 ティダールは赤レンガの街並みが目を引く港町だ。ここから伸びる街道は大都市ロゼンに繋がっている。しかしその道のりは遠く、また足場の悪い森の中を通らなければならないため、港町として栄えるには少々場所が悪いのが難点だ。

 それでもティダールが寂れることはない。なぜならこの町は暫しの休息を求めて立ち寄る船乗りたち――主に海賊たちを相手に商売をしているからだ。


「大佐。町を一通り見て回りましたが、それらしい目撃情報はありませんでした。それに、ここしばらくは海賊船エルフィリーザ号も停泊はしていないようです」


 部下からの報告を受けて、パトリックは手元の資料に目を落とした。ティダールでは一番大きな店の目録だ。どの船から何を買い取ったのかが、雑ではあるが書き記されている。

 表向きは正規の船乗りたちと売買した記録だが、注意して見れば海賊とのやりとりが巧妙に隠されている。幾つか覚えのある名前が暗号化されているのを見つけたパトリックだったが、そこに探している海賊船の名を見つけることはできなかった。


 目録を閉じて顔を上げると、挙動不審な様子でこちらを窺う店主と目が合った。海賊相手に商売していることに対して、多少は負い目もあるらしい。さっきからずっと、止まらない汗を拭っている。


「確かにここには名も記されていないようですが……。エルフィリーザ号を最後に見たのはいつ頃ですか?」

「詳しくは覚えていない。ひと月は見ていない気がするが」

「……予想が外れたか……?」


 自身に問いかけるように、パトリックは口元に指先を当てて思考を巡らせる。

 イスラ・レウスで聖女メルヴィオラが黒狼に攫われたあと、近海で海賊船エルフィリーザ号の目撃情報があった。念のため半分に分けた隊をイスラ・レウス近辺の捜索に充て、自身は海賊船エルフィリーザ号に聖女がいると仮定して後を追った。


 エルフィリーザ号の船長ラギウスとは、何度か剣を交えたことがある。彼の性格や行動もそれなりに把握しているつもりだ。聖女を攫った目的はわからないが、金になると踏んでいるのなら、売り飛ばすためにティダールここへ寄るはずだ。


 ティダールには海軍の詰所がない。元は海賊崩れが寄り集まってできた町だと言われており、そのためか遺跡で手に入れた財宝を売り買いしにくる海賊が多く集まるのだ。財宝の中には、もちろんも含まれる。

 そう予想して訪れたティダールだったが、いたのは海軍大佐パトリックの訪問に目を泳がせる店主だけだった。


「こちらでしたか。大佐」


 思考を中断され、パトリックの青い瞳に光が戻る。顔を上げれば、部下のひとりが足早に駆け込んでくるのが見えた。


「どうした」

「イスラ・レウスに残した隊から連絡が来ています」


 手渡された一通の手紙には、交差した剣と水飛沫を表す封蝋が押されている。封蝋自体に魔法が施されており、その色によって届け先を変えることができる、海軍の中でもよく使われる連絡手段のひとつだ。

 イスラ・レウスから届いた手紙に押された封蝋は真紅。それは炎の剣技に長けたパトリックを示す色だ。


 手紙に記された文字を追うたびに、パトリックの眉間に皺が寄る。青い瞳は訝しむように細められ、まったく関係のない店主が剣呑さを増す空気にびくりと震えた。


「手紙には何と?」

「エムリスの孤島にあるフィロスの樹が祈花きかしたと、神殿に連絡があったそうだ」

「それはまた……奇妙ですね。フィロスに花を咲かせることができるのは聖女のみ。とすれば、攫われたはずの聖女がエムリスに上陸していたということになりますが」

「そうだな。しかし、聖女がひとりで祈花きかの旅を続けているとは考えにくい。旅にはどうしても船が必要だ。……やはり黒狼とエルフィリーザ号は繋がっていると考えた方が妥当か」

「では、奴らが次に向かうのはルオスノットの可能性が高いですね。すぐに向かいますか?」


 綺麗に折りたたまれた手紙が、パトリックの指先で突然炎に包まれた。瞬く間に炭化した手紙が黒い破片に崩れ去る中、パトリックの右手――その中指に嵌められた赤い石の指輪が爆ぜる炎のように煌めいている。


「エムリスからの距離を考えると、明日にはちょうどこの辺りを通るはずだ。もしかしたら物資の補給に立ち寄るかもしれない。近海と市中に監視を置き、一晩ここで待機だ」


 そう指示を出すと、パトリックは白いマントを翻して足早に店を後にした。


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