第2章 ひとつめの聖域

第6話 ほっぺにちゅー

「……んで、その場所っつーのはどこなんだ?」


 本を読むから出て行けとセラスに追い出されたので、メルヴィオラは再びラギウスと共に甲板へと戻って来ていた。さっき横になっていたぼろぼろの天幕の下に座り、今はイーゴンが用意してくれた冷たいお茶を飲んでいる。布に穴が開きすぎて正直日よけの意味は皆無だが、それでも話を聞けばイーゴンがメルヴィオラのために張ってくれたのだという。体は筋肉ムキムキで逞しいが、心は凄く女子だ。


「おい、聞いてんのか? なに暢気に茶、飲んでんだよ」

「せっかく用意してくれたんだもの。それに喉、渇いてたし。ありがとう、イーゴン」

「アラヤダ! もう名前で呼んでくれるの? 嬉しいわぁ。クッキーもあるわよ?」

「わ! おいしそう!」

「だから和んでんじゃねー!」


 天幕の下で開かれるお茶会――いつの間にかメーファも参加している――に痺れを切らしたのか、ラギウスがメルヴィオラの腕を強めに掴んだ。


「ちょっと、手は出さないって約束したでしょ!」

「ンなもん、出したうちに入らねぇよ。いいからさっさと樹の場所教えろ」

「んまっ! 手を出すならアタシにして! 体力には自信があるわ!」


 何の体力だろう……と余計な想像力が働き出したので、メルヴィオラは慌てて頭をぶんっと横に振った。

 いまは祈花きかの旅だ。メルヴィオラが訪れるはずだった、フィロスの樹がある場所は。


「ルオスノットの街と、エムリスの孤島。そして最後はローレインの墓所にあるわ」

「ローレインは真逆だな。ここから近いのは……エムリスの孤島か」


 わりと早口で捲し立てたのに、ラギウスは全部の場所を一回で覚えてしまった。海賊をやっているからだろうか。マノール海域の近辺の地図は、しっかりと頭に入っているらしい。


「エムリスの孤島までは、二日ってとこか。もう少し風が吹けば一日くらい短縮できそうだな。おい、メーファ」

「やだよ。大きな風を扱うのは疲れるもん」


 速攻で拒否したメーファは、ラギウスをちらりとも見ずにクッキーを頬張っている。ナッツの入ったクッキーを更に一つ手に取ったところでラギウスに襟首を掴まれ、小さなメーファの体はぶらんと宙吊りになってしまった。

 見た目は五、六歳の体つき。白い髪と白い服が、何となく彼の姿を小動物のように錯覚させてしまう。ふわふわ可愛い白うさぎのようでもあるし、自由気ままな白猫かもしれない。

 そんなメーファを掴み上げているラギウスの方が、耳と尻尾があるので動物味はあるのだが。


「何が疲れるだ。風の精霊に疲れも何もないだろ」

「それ、精霊差別だからね」

「エムリスの孤島に着いたら、好きなだけ寝てていいぞ」

「追加で三時におやつ」

「ガキかよ」

「ラギウスよりは数倍長く生きてるよ」


 唐突に、そしてあまりに自然と暴露されたメーファの正体に、メルヴィオラがぎょっと目を剥いた。


「ちょっと待って。メーファって、精霊なの!?」


 確かに風を操ったり、子供らしくない不思議な雰囲気は精霊と言われてもおかしくはない。けれども現代ではその姿を見ることの方が珍しく、精霊や神といった神秘の種族はもはや神話の中だけの存在だ。


「お姉さん、精霊見るのはじめて?」

「それはそうでしょ。精霊も神様も、とっくの昔に姿を消しちゃったんだもの」

「それにしては魔物の存在は普通に認めてるよね。アレも言い換えれば闇の精霊の一種なんだけどな」

「認めてるというか、目に見えるものを拒絶もできないでしょ」

「ふぅん。……それじゃぁ、お姉さんはもう精霊の存在を認めてくれたってことだね」


 そう言って、メーファが「ちゅっ」と投げキッスを飛ばしてくる。本当に見た目と言動がちぐはぐだ。


「無駄話はそのへんにして、さっさと風を喚べ。メーファ」

「お姉さんが可愛くおねだりしてくれたら、喚んであげてもいいよ」


 ラギウスに襟首を掴まれて宙吊り状態なのに、口にする言葉は一人前の男みたいだ。加えてその笑みも、幼い外見には不似合いなほどに艶々しすぎである。正直見た目とのギャップがかなりあるが、だからといってときめくことはない。むしろ、何だか底知れぬ危うさを感じるくらいだ。不用意に近付いてはいけないような、そんな本能が働いた。


「ほっぺにちゅー、でいいんだけどな」

「調子に乗んな!」


 そう言って、ラギウスがメーファの体を思いっきり船の向こうへ放り投げてしまった。思わず声を上げたメルヴィオラだったが、当の本人はやっぱり風の精霊ということだろうか。海に落ちることもなく、ふよふよと宙に浮いている。


「精霊って言うのは、本当なのね」

「自由奔放すぎるけどな。……ま、風の精霊なんだから仕方ねーか」

「その精霊が、どうして海賊船なんかに乗ってるのよ?」

「何だ? 俺たちのことが気になるのか?」

「……別にっ!」


 何となくはぐらかされた感はあるが、メルヴィオラもそれ以上深く追求することはしなかった。ラギウスの言葉の奥に、触れて欲しくないような……そんな感情が垣間見えたような気がする。

 それに海賊のことを深く知ったところで、一時的に行動を共にするだけのメルヴィオラには関係がないのだから。


「お姉さーん」


 メーファが空に浮いたまま、こちらに向かってひらひらと手を振っている。姿だけ見れば、幼い子供の無邪気さが溢れていてとても可愛らしい。


「お姉さんの乗船祝いに、特別大きな風を喚んであげる! お礼のちゅーは、後払いでいいよ。利息付きで」


 可愛らしいのだが、言うことがいちいち大人びていて可愛くない。


「だからせがむな。コイツは俺のモンだ」

「ほっぺでいいんだよ?」

「却下だ、却下。お前らもコイツに指一本、触れるんじゃねーぞ!」

「うわぁー、小さい男」

「ンだと……っ、おわ!」


 唐突に、びゅうっと強い風が吹いた。突風というか風の塊が体当たりしてきたような衝撃に船が大きく揺れる。海に慣れているはずのラギウスですらたたらを踏んだのだから、メルヴィオラに至っては軽く後ろに吹き飛ばされてしまった。


「きゃっ!」

「あ……っぶね!」


 咄嗟に伸びた腕にくんっと引き寄せられて、そのまま強く抱きしめられる。転倒は免れたが、これはこれで何だかとても恥ずかしい。周りからははやしたてる口笛とヤジが飛んできて、メルヴィオラは体が熱を帯びていくのを嫌でも感じてしまった。


「このまま全速力で行くから、明日には着くと思うよ。それまでお姉さん、ラギウスにしっかり支えてもらうといいよ」

「……だってよ。どうする?」


 にやりと笑って、ラギウスが抱きしめる腕に力を込めてくる。その勝ち誇った笑みが腹立たしくて、メルヴィオラはラギウスの腕の中から逃げるように抜け出した。


「結構よ! 一人でも大丈……ぶふっ」


 わざとではないかと思うほどのタイミングで、再び強風が船に体当たりする。そして今度こそメルヴィオラは、ラギウスの腕から逃げる術を完全に失ってしまった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る