第5話 ……っの、色ボケ狼ーっ!

「あはは! 何その中途半端。ウケる!」


 甲板で転げ回って笑うのは、白色の少年メーファだ。気怠い雰囲気は今はなりを潜めて、ラギウスの頭から生える獣耳に腹を抱えて爆笑している。その横ではガタイのいい体を奇妙にくねらせるイーゴンが、頬に両手を当ててひどく乙女チックにときめいていた。


「んまっ、なんて愛らしい姿なの! 尻尾に耳つきラギウスなんて国宝級に可愛すぎない? ヤダ、アタシ動悸が止まんない。不整脈で死にそう。責任とって」


 そう捲し立てて、ぶちゅっと音がするほどの投げキッスをする。目には見えないが、飛んできた投げキッスをひらりと交わす仕草をして、ラギウスは代わりに苛立たしげな舌打ちをこぼした。


「あー、くそ! 見せもんじゃねーぞ!」

「そう言われても、見るとこそこしかないし」


 そこ、とメーファに指差され、ラギウスの頭――赤毛の間から飛び出た狼の耳がぴくんっと動いた。その様子にまたメーファが笑い、ラギウスの眉間に深い皺が刻まれる。


「大丈夫よン。アタシはどんな姿でもラギウスひ・と・す・じ。だから、ねぇ……ちょっとその尻尾でアタシをぶってくれない?」

「イーゴン。お前はちょっと黙ってろ」

「あぁん、つれないわぁ」


 そう言って、イーゴンがまた腰をくねらせた。


「でも人間には一応戻ってるんだし、呪いは解けたってことでいいの? お姉さん、次の港で降ろす?」

「ダメに決まってんだろ。コイツの涙をどんだけ舐めても、もうこれ以上戻らねぇんだ。理由がわかるまで、コイツはここに置いておく」

「ふーん。……舐めたの、涙だけ?」

「は?」


 ラギウスの頬を指差して、メーファが意味深に笑う。少年の顔に浮かべるには、少々毒のあるいやらしい笑みだ。


「頬にバッチリ手形残ってるけど、もしかして節操なく聖女サマにまで手を出したの?」

「んなわけあるか」

「そのわりには後ろのお姉さん、顔が真っ赤になってるんだけど。肌が白いから、綺麗なくらいに赤く染まって……ふふ、お姉さん可愛い」


 少年とは思えないほど艶のある笑みに、メルヴィオラの頬がまた熱を持つ。船員たちのにやついた視線(とイーゴンの涙目)から顔を背けると、それとほぼ同時にラギウスに腕を掴まれた。


「お前らと遊んでる暇はねーんだよ。行くぞ」

「ちょっと、どこに……」

「セラスんとこだ」


 そう言って連れて来られた船内の一室には、驚くほど顔色の悪い金髪の青年が分厚い本を読み耽っていた。備え付けの本棚には難しそうな専門書がずらっと並んでいる。それ以外にも小説や図鑑など、大量の本が床にまで積み上げられており、まさに足の踏み場もない状態だ。

 何気にそのうちの一冊を手に取ると、表紙に描かれた女の裸体が目に入ってしまい、メルヴィオラは反射的にその本を部屋の隅へ放り投げてしまった。


「おい、セラス。お前の言った通り聖女を連れてきたけどよ、呪いが半分しか解けねーんだよ」


 書物から顔を上げたかと思うと、セラスは眼鏡越しにラギウスを一瞥しただけで、またすぐに手元の本へと目を戻した。


「無視すんな」

「問題ない」

「大ありだろ! お前が言ってた聖女コイツの力、本当に呪いに効くのか? この耳と尻尾、どうやったら消せるんだよ?」


 なおも騒ぐラギウスに観念したのか、読んでいた本をパタンっと閉じて、セラスが面倒臭そうに長い溜息をつく。眼鏡の奥で冷たく光るリーフグリーンの瞳を向けられると、なぜかメルヴィオラの方がぴくんと肩を震わせてしまった。


「フィロスの聖女は類い稀な浄化の力を持つ。その証拠に、君は人間の姿を取り戻したじゃないか」

「耳と尻尾が残ってんだろ」

「それについては私の範疇外だ。聖女の力不足を喚かれても、私にはどうすることもできない」


 面と向かって力不足と軽んじられたが、セラスが言うこともあながち間違いではないのだ。メルヴィオラが攫われたのは、祈花きかの旅に出発する直前だ。そして、その旅の目的は「一人前の聖女」になるためである。


「そもそも、私はまだ早いとも言ったはずだが? フィロスの聖女は祈花きかの旅を経て、完全な聖女の力を継承する。それを待てずに攫ってきたのは君の落ち度だ。魔狼の呪いは強力だから、半端な浄化は効かないと再三伝えたつもりだったが、君の頭はそれすら理解できないのか」

「ちょっと待て! そんなこと……っ」

「言った」

「……かもしれないけど……ぁー、なんだホラ、ちょっと様子見に行ったらよ。神殿のフィロスの樹がスゲー綺麗に満開だったし? これならもしかしてイケんじゃないかって」


 さっきまでの威勢はどこへやら。仮にも海賊船の船長を名乗る男が、本に埋もれた顔色の悪い優男に完全に萎縮しまくっている。リーフグリーンの冷たい眼光に、ラギウスの耳と尻尾も萎れっぱなしだ。


「それにコイツ見たら、何つーか……いま攫っとかねぇとやべぇ、みたいな?」

「ちょっと、何よそれ。勝手に攫ったくせに、人のせいにしないで」

「あんなにキラキラしてたら極上の宝に見えんだろーが! 他の奴に奪われる前にかっ攫うのは海賊の性だ!」

「……っ」


 怒鳴られているのに褒められているようでもあって、意図せずにメルヴィオラの顔からボンッと火が噴いた。それを見てラギウスも「あ」とか「う」とか言葉にならない呻きを漏らしている。終いには「テメェのせいだ」と責任を押し付けられてしまった。


「結局は君の感情論で動いた結果だ、ラギウス」


 冷ややかな溜息にさすがのラギウスも非を認めたのか、唇を尖らせたものの、もう反論する気はないようだ。わしわしっと赤毛を掻きむしりながら、ばつが悪そうに俯いている。


「悪かったよ」

「お灸を据える意味でも、その耳と尻尾はそのままでもいいかと思ったが……多分そのままにしておくとまた魔狼に戻るだろう」

「マジかよ」

「だから今度こそ私の言うことをちゃんと聞いてくれ。でないと、君は本当に人ではなくなってしまうぞ」

「お、おう……わかった」


 これではどちらが船長なのかわからない。そんな二人のやりとりを眺めていると、不意にセラスの鋭い眼光がメルヴィオラへと向けられた。眼鏡の奥のリーフグリーンが、探るように見つめてくる。


「君の呪いを完全に解くには、聖女にも完全になってもらわねばならない」


 セラスが言わんとすることをいち早く理解して、メルヴィオラが赤い瞳をこれでもかと大きく見開いた。


「我々はこの船で、聖女の祈花きかの旅を遂行する。四カ所の聖域でフィロスの樹に花を咲かせることができれば聖女は一人前となり、その浄化の力で君の魔狼の呪いは完全に解けるだろう」

「四カ所もあんのかよ。……面倒くせえな」

「何か言ったか?」

「いいや、何も。……んで、その場所はどこにあるんだ?」

「ひとつはイスラ・レウスの神殿にある神木だ。そっちは君が見たように、もう花をつけているから除外していい。残りの場所は聖女の方が詳しいだろう」


 二人分の視線を受けて、後ずさったメルヴィオラの背がとんっと扉に当たる。部屋に逃げ場もなければ、どうやらこの海賊たちから逃げる手段もないらしい。

 唯一の救いは、祈花きかの旅を終えるまで、彼らは「聖女」であるメルヴィオラに危害を加えることはないということだ。……多分だが。

 ならば今、メルヴィオラが選べる道はただひとつ。


「教えてあげてもいいけど、全部終わったらちゃんと船から降ろして。あと絶っ対、手を出さないって誓ってちょうだい」

「ハンッ! 誰がお前なんか」

「どの口がそう言うのよ! あなたには既に前科があるんだからっ」

「あれくらいでギャーギャー喚くなよ。手を出すっつーのは、もっとこう……」


 くいっと指先で顎を攫われる。おまけに腰まで引き寄せられ、眼前にマリンブルーの瞳が迫ったかと思うと――。


「……っの、色ボケ狼ーっ!」


 メルヴィオラの平手が、また綺麗なくらいに決まった。


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