第4話 解けてねーじゃん!

「……呪いって、狼の姿が……?」

「あぁ、そうだ。ひと月ほど前、ノルバドの遺跡でやられた」


 メルヴィオラから抵抗の意思が消えたことを感じて、狼――ラギウスが拘束の力を緩めた。その隙に逃げ出してみたが、もうラギウスは無理にメルヴィオラとの距離を縮めようとはしない。

 メルヴィオラも話くらいは聞いてやろうと……いや、聞かなければこの船からは降りられないことを悟ったので、ひとまずはおとなしくすることにした。


「ノルバドの遺跡って……国も立ち入りを禁止してる危険区域じゃない。そんなところに何しに行ったのよ」

「んなの決まってんだろ。海賊が宝を求めるのに理由がいるか?」

「宝のためだけに危険を冒す気がしれないわ」

「男のロマンだろ」

「ロマンより脳みそ詰めなさいよ。そのせいであなた、そんな体になったんでしょ? 自業自得じゃない」


 海賊の冒険心に共感はしないが、とりあえず話の大筋はおおむね理解した。

 ノルバドの遺跡で何らかの呪いにかかって、ラギウスこの男は体を狼に変えられてしまったらしい。その呪いを解くために、聖女であるメルヴィオラの浄化の力が必要――と、そういうことなのだろう。


 ただの狼にしては体も大きいし、メルヴィオラを背中に乗せて走ったり飛んだりと、その身体能力も普通ではあり得ないほどに高い。おそらく、これは魔狼の呪いだ。時間が経つほどに呪いは進行し、やがてその体は魔狼そのものに変化してしまうだろう。今はまだ自我がはっきりしているようだが、話の通りだと呪いを受けてからもう一ヶ月は経っている。浄化はできるだけ早いほうがいい。


「報酬に何か宝石も付けてやるから、さっさとこの呪いを解いてくれ。お前はフィロスの聖女なんだろ? 浄化なんて朝飯前のはず……って、お前なに泣いてんだよ!」

「何って、浄化するんでしょ」

「だからって泣く必要あるかよ。まるで俺が泣かせたみたいじゃねーか!」


 突然目を潤ませたメルヴィオラに、ラギウスがおもしろいくらいに動揺する。さっきまでの威勢はどこかへ飛んで消えたようで、おろおろとその場を行ったり来たりして落ち着きがない。


「もしかして女の涙に弱いタイプなの?」

「そういうんじゃねぇよ! ってか、何で泣いてるのに平然としてんだよ。アレか? 女の涙で油断させようってハラか?」

「あなたの呪いを解くんでしょ。浄化には私の涙フィロスが必要なの」


 ゆっくりと瞬きをすれば、メルヴィオラの睫毛を濡らして涙のしずくがこぼれ落ちる。その一粒は頬を滑り落ちると瞬く間に白く輝き、小指の先ほどの小さな真珠へと姿を変えた。


「これには私の浄化の力が込められているわ。飲めば、呪いは解けるはずよ」

「浄化の力ってのは、そういうことだったのか。……にしても秒で泣けるとは、やっぱり女ってのは怖ぇな」

「嫌なら飲まなくても結構よ。そのまま魔狼になって自分のこともわからなくなっちゃえばいいわ」

「それは困る。いい加減、俺もこの姿に飽き飽きしてんだよ。狼のまんまじゃ女も抱けねぇしな」

「っ、サイッテー!」


 露骨すぎる発言は、神殿暮らしのメルヴィオラには刺激が強い。自分でもわかるくらいに熱を持った頬を膨らませてぷいっと顔を背けると、いつの間にそばに来たのか、ラギウスの熱い吐息がメルヴィオラの無防備な耳元を掠めていった。


「せっかくだから、このままもらうぜ」

「このままって……ひゃっ!」


 振り向く間もなく、頬をべろりと舐められる。急な接近に驚いて仰け反ると、勢い余ってメルヴィオラの後頭部がゴンッと壁にぶつかった。

 本来なら真珠一粒で事足りるのに、そうと知らないのか、あるいは貪欲なのか。メルヴィオラの頬を舐めるラギウスの舌は止まらない。おまけに壁際に追い詰めたメルヴィオラにのし掛かって舐めてくるから、このまま本当に食べられてしまいそうな気がして背筋がぞくりと震えた。


「ちょ……っと、待って。落ち着いて」


 少し距離を取ろうと押しやった手が、狼の体ではなく硬い胸板に当たる。体毛の柔らかさを感じない手触りに目を開くと、視界いっぱいに燃えるような赤髪が映り込んだ。


 至近距離で見つめられる瞳は、狼の時と同じ鮮やかなマリンブルー。無精に伸びた赤髪は後ろで雑に括られて、短い毛先はまるで犬の尻尾のようだ。右腕にタトゥー、左頬と鼻梁には古い傷跡が刻まれていて、ほどよく日に焼けた男の肌は何だかとても騒がしい。


 想像していたよりも、随分と若い男が目の前にいた。メルヴィオラとたいして変わらないか、少し年上くらいだろうか。それでも海賊船の船長を名乗るには、十分に若い年齢のように思えた。

 そんな年の近い男と密室で向かい合い、あろうことか頬をベロベロ舐められている。本人はまだ狼のつもりなのか知らないが、合間に漏れる荒い息づかいが無駄に艶っぽく聞こえてしまい、メルヴィオラは慌ててラギウスの体を力一杯押しのけて引き剥がした。


「戻ってる……っ、戻ってるから!」

「あ?」

「あ、じゃないっ。もう浄化終わってるから離れて!」


 若干キレ気味に叫ぶと、ようやくラギウスが離れていく。圧迫感がなくなってホッと息を吐くメルヴィオラの前では、自分の両手が元に戻っているのを確認したラギウスが喜びに頬を緩ませていた。


「お! マジで戻ってる。スゲェな、お前!」


 ペタペタと頬を触って、一ヶ月ぶりの人肌の感触を十分に堪能したラギウスが、少年のように眩しい笑顔を浮かべてメルヴィオラの両肩をぐっと掴む。


「呪い解いてくれてサンキューな! 次の港に着いたら降ろしてやるよ。少ししたら海軍も追いついてくるだろうし、そこで拾ってもらうといい」


 人の姿に戻れたことが、余程嬉しいのだろう。ラギウスの背中越しでは、がぱたぱたと揺れているのが見える。


「あっ!」


 思わず叫んでしまったメルヴィオラの声に驚いて、今度はラギウスの赤い髪の中からぴょこんっと黒銀色の三角耳が飛び出した。


「何だよ?」

「あぁー……えぇと、その……何て言うか」

「はっきりしねぇな。何だ? 報酬か? ちゃんとお前の好きそうな宝石を幾つか持たせてやるから安心しな」


 そう言って立ち上がったラギウスが、部屋の隅に置かれていた宝箱を漁り始めた。その後ろ姿を見るだけで、メルヴィオラは何だかもう居たたまれない気持ちになってしまう。なぜならさっきから、呪いが解けた喜びに尻尾が上機嫌で揺れているのだ。


「ほら、これなんかどうだ? お前の赤い目に似たルビーの髪飾、り……」


 綺麗な髪留めを手に立ち上がったラギウスが、不自然に言葉を切って硬直する。視線の先には、壁に掛けられた丸い鏡――そこに映るのは、狼の耳を生やした自分の姿だ。ピキッと引き攣る眉間に合わせて、可愛い耳がピンッと伸びる。


「……おい」

「呪いは解けてる、はずよ。……一応ね」

「解けてねーじゃん! 何だよっ、この耳と……おまけに尻尾もかよっ!」

「い、癒やし効果は抜群だと思うわ。それにちょっと可愛いし」

「海賊に癒やしとか可愛げはいらねーんだよっ。おいコラ、テメェ、ちゃんと元に戻すまで逃がさねぇからな!」


 マリンブルーの瞳が、獲物を狙う獣のように揺らめく。宝はメルヴィオラだ。海賊が宝を求める執着に、メルヴィオラは自分が絡め取られてしまったことを無意識に悟ってしまった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る