第三章④

 ここしばらくというもの、朝、メディアを持って出勤すると、まずは動きがあった時だけに作動する方のカメラの録画をチェックするまでが澪のルーティンとなっていた。

 録画された動画の本数は、大概、一、二本。

 ただし、撮影された動画に霊らしきものが映っていたことは一度もなく、窓の外を飛ぶ鳥や小さな地震に反応して録画がスタートしたものばかりだった。

 もし怪しいものが映っていれば、回しっぱなしにしている方の録画から前後の様子を確認するわけだが、澪はこれまでその作業に辿たどり着いたことがない。

 念のために早送りでひと通り再生はしているけれど、それも、過去の調査資料などを見ながらの、ただの垂れ流しだ。

 だけど、今日ばかりはすべてが違っていた。

 いつもは、澪が出勤しても仕事に集中して適当なあいさつしかしない次郎も、ドアが開いた音に反応して立ち上がる。

「おはようございます……」

「ついに反応がきたな」

 ただし、あくまで録画の結果が気になるだけのようで、挨拶もそこそこに澪をかした。

「あの、次郎さん、どうして異変があったってわかったんですか……?」

 澪はふと、素朴な疑問を投げかける。すると次郎はポケットの中から小さな紙切れを出した。まるで紙相撲に使うような人の形をした白い紙で、真ん中から真っ二つに裂けている。

「これは〝式神〟っていう、人間の身代わりのようなものだ。対になっていて、例えば片方が破れると、もう片方も破れる」

「は、はぁ……」

 聞いたことを後悔するくらいに現実離れした回答が返ってきて、澪は面食らった。けれど次郎はいたって真面目な表情で、式神に目を落とす。

「実は片方を、お前が調査してる物件の玄関に貼ってた。で、もう片方を俺が持ってたんだが……、今朝見たらこの有様だ。ここまでハッキリ反応が出るのは珍しい」

「えっと、あの……」

「とにかく、メディアを出せ。チェックするぞ」

 次郎は一体何者なのだろうかという疑問が、澪の心にふつふつと込み上げていた。思い出してみれば、適性審査の時に次郎が張った「結界」も、現実離れしていた。

 ただ、どんなに疑問に感じても、天下の吉原不動産に、実際に第六物件管理部が存在するのは事実なのだ。第六の存在が肯定されている以上、配属された澪は現実を受け入れるしかない。

 澪はカバンから回収してきたメディアを出し、早速パソコンにつないだ。すぐにプレイヤーが立ち上がり、メニュー画面にはサムネイルとともに【記録動画数:1】と表示される。

 そして再生を押して処理を待つ間、澪はふと、サムネイルに自分のパスケースが映っていることに気付いた。

「あ、このパスケース……」

 ポケットから大きな傷のついたパスケースを出すと、次郎はげんな表情でそれを眺める。同時に、動画の再生がスタートした。

 早速画面には、ふわふわと黒い糸状のものが一本映っている。

 澪が見る限りでは、それは録画のノイズにも思えた。ぼやけているし、カメラとの距離もわからない。画面の左下から右上に向かってあおられるように揺れている。

「なんだろう、これ。ノイズですかね……?」

 早送りしようと、澪はカーソルを動かした。──けれど、やけに深刻な様子の次郎がその手を制する。

「……待て。これはノイズじゃない」

「え?」

 澪に触れた次郎の手は、少し汗ばんでいた。不思議に思って見上げると、いつも冷静な次郎の表情がこわっている。

 澪の鼓動もつられるようにドクドクと速まり、込み上げる緊張の中、再生画面を見つめた、その時。

 ノイズと思い込んでいた黒い糸状の何かが、突然、一気に数を増やした。

 バサバサと波打つように揺れるそれは、徐々にピントが合い、独特の光沢を放つ。

 ──あれ……? これ……って……。

 突然、嫌な予想が澪の頭をよぎり、背筋がゾクリと冷えた。そうであって欲しくないと願うものの、画面で揺れるそれを見ていると、徐々に確信に変わっていく。──そして。

「髪の毛だな」

 次郎の無感情な声が部屋に響き、澪は口を覆った。

 それは、まるで生きているかのように、カメラの前でいくつかの束になりズルズルと動いている。一度気付いてしまえば、もう髪の毛以外に見えなかった。

「次郎さん……!」

 耐え難い恐怖から、澪は次郎の名を呼んだ。けれど次郎は真剣に画面に見入っていて、反応は無い。

 髪の毛は絡まりながら不自然に右上へと動き、やがて画面を覆い尽くした。──そして。間もなく画面の左下から、ぼんやりと白いものが映り込む。

 澪はもはや、言葉を発することができなかった。度を越えた恐怖に体は硬直し、瞬きをする隙も与えられない。次に映るものが何か。──髪の毛の根元にあるものが何なのかを、とうに予想してしまっていたからだ。

 しかし。──その瞬間、突然プツンと再生が止まる。

 澪は身動きを取れず、暗転した画面からも目をらすことができない。──すると、その直後。

 止まったはずの画面が突然、再び再生を始めた。

 途端にぼんやりと白くなる画面。

 澪は一瞬、それが何なのかを判断することができなかった。

 さっきまで映っていた髪の毛ではなく、部屋の様子でもない。ぼんやりとした白の中にあるのは、まるでシミのような、黒い塊。

 ──これって、まるで……。

「いやぁっ!!」

 その黒い塊が形を変えるのと、澪が悲鳴を上げるのは同時だった。

 黒い塊とは──瞳だ。

 いきなり開かれて、どろんと濁った黒目がまっすぐに澪たちをいている。

 澪はあまりのショックと恐怖と混乱から、はじかれるように画面から離れた。椅子がガタンと音を立てて倒れる。次郎は画面に集中しながらも、いたって冷静にそれを起こした。

 やがて、今度こそ再生が終わり画面が暗転すると、次郎は床でひざを抱える澪の前までやってきて、め息をつく。

「……おい」

「無理です」

「何も言ってねぇだろ」

 次郎は笑い声をこぼしながら、澪の前に座った。

 そんな余裕の態度に、澪の不満はどんどん膨らんでいく。

「何なんですか、あれ……。あんなのがいたんですか? あの部屋……。私、毎日行ってたんですけど……!」

「会わなくてよかったな」

「からかわないでください!」

 怒りにまかせて叫ぶと、恐怖が少しだけ和らぐ心地がした。澪は無意識に流れていた涙を雑にぬぐいながら、次郎をにらみつける。

 けれど次郎はいたって真面目な表情で、澪を真っすぐに見つめた。

「だが、残念なお知らせがある」

「はい……」

「ついに尻尾しつぽを現したんだ。……調査は、次の段階に進む」

「次、って……、まさか……!」

「泊まり込み調──」

「嫌です!」

 次郎が言い終えないうちに全力で拒否した澪に、次郎は面食らう。けれどすぐにいつもの冷たい表情に戻り、ゆっくりと立ち上がった。

「嫌も何も、お前の仕事だろ。嫌なら辞めるか、早く一人前になって部署異動の希望を出せ」

「……っ」

 澪は何も反論できずに唇をむ。すると次郎はやれやれといった様子で、再び溜め息をついた。

「ま、さすがに一人とは言わねぇから安心しろ。助っをつけてやる」

「助っ人……って──」


    *


「やあ、澪ちゃん。今回の問題物件、相当ヤバいのがいるって聞いたけど、大丈夫?」

 週末の金曜。早速練馬の物件へ向かうと、現地には既に、高木が到着していた。高木はレクサスの運転席からさわやかに手を振っている。

「高木さん……!」

 それは、いつの間にやら〝澪ちゃん〟呼ばわりされていることすら気にならないほどの存在感だった。

 練馬に現れた高木は、まるで川に流れついたアザラシのように存在が浮いている。

 けれど、社内で無愛想な次郎以外と会話をすることが無い澪としては、笑顔を振りまく高木の存在は新鮮だし、何より心強く思えた。

「高木、今日も頼む」

「もちろん! 面倒な物件を回してるのはウチなんだから、全然気にしないで」

 澪はその会話から、次郎は頻繁に高木に調査の手伝いを頼んでいるのだと察する。ただし、泊まり込み調査のペアが高木という事実は、一方で落ち着かない気持ちもあった。

 ──怖いくらいイケメンなんだよね……。

 澪が遠目に眺めながら考えていると、まるで心を読まれたかのようなタイミングで高木が笑いかける。澪の顔の熱は、一気に上昇した。

 澪は別に、何かを期待しているわけではない。むしろ、ここまで突き抜けたイケメンだと、期待するのもおこがましいような気すらしていた。

 だからこそ、落ち着かない。そこにいるだけで、緊張してしまうのだ。

 次郎と高木はそんな澪の気持ちなどお構いなしに、早速物件へ入って行く。澪は違う種類の不安を抱えながら、後に続いた。



◎この続きは『丸の内で就職したら、幽霊物件担当でした。』(角川文庫刊)にてお楽しみください!

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丸の内で就職したら、幽霊物件担当でした。 竹村優希/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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