第三章②

「──というわけで、ありがちな案件だ。とっとと終わらせるぞ」

「は、はぁ……」

 移動中の車の中で、澪は初仕事の案件内容を聞いた。

 場所は東京都ねり区。数年前に西せい線とふくしん線・とうきゆうとうよこ線・みなとみらい線の直通運行が始まり、しぶを経由してよこはまもとまちまで一本でアクセスできるようになったおかげで、一気に利便性が上がったエリアだ。

 駅周辺の開発もまたたく間に進み、環境が良くなったおかげか、新しいマンションも続々と増えている。

 自然の多い練馬区は、元々ファミリー層には高い人気があった。今は前述の理由もあり、女性の一人暮らしも多いとのことだ。吉原不動産も当然その流れに乗り、早速周辺エリアの古かった賃貸物件をリノベーションしたらしい。

 今回調査する案件も、その中のひとつだ。築三十年と古く、空き部屋も目立っていたマンションをフルリノベーションしたのは二年前。

 元々2Kだった間取りを人気の1LDKに変更し、キッチンを広くしてセキュリティを強化するなど、徹底的に女性にターゲットを絞った結果、狙い通りに女性の入居希望者が続々と問い合わせをしてきたのだそうだ。

 ただし、その中の一室、二〇三号室だけは、異常に回転が早く、この二年で六回も入居者が変わっているらしい。そして、ただ回転が早いだけならまだしも、おかしな噂が流れていると、移動中に次郎は話した。

「空き部屋のはずなのに、女性の姿が頻繁に目撃される……ですか」

「ああ。ベランダに人が立ってる姿を見たって専用ダイヤルに訴えて来た隣人も、結局引越してる」

「ただの侵入者ってことはありえないのでしょうか……」

「ありえないくらい、おぞましい見た目だったんだろう」

「…………」

 澪の背筋がゾクリと冷える。脳裏には、九ヶ月前、霊を目の当たりにした時の恐怖がリアルによみがえっていた。

「おい、こういう案件はアホほど多いんだからいちいちおびえるな。正直俺はあまり興味を持てないが、お前の初仕事には丁度いい。場慣れするためにお前主体でやってみろ」

「え!? 私、昨日入社したばっかりですよ!?」

「第六にはお前しかいないのに、お前がやらなきゃ誰がやるんだ」

「そ、そんな……!」

 澪はうんざりする気持ちで資料を眺める。ある程度覚悟をして入社を決めたとはいえ、早速与えられた気味の悪い仕事に、心底げんなりしていた。

「てか……次郎さん。異動願を出していいって言ってたの、ちゃんと覚えてますよね?」

「覚えてる。つか、なんだその呼び方」

「だって、長崎は慣れないって言うから……、嫌なのかと」

「嫌ってことじゃない。呼ばれても気付かないってだけだ」

「それは、大問題です」

「上司を下の名前で呼ぶ新入社員なんて聞いたことねぇぞ。……まあ、好きにしろ」

 意外にもすんなり許可が下りて、澪はほっとする。

 やがて車は練馬に入り、ほどなくして物件に辿たどり着いた。該当の物件は、白壁に黒はりのかわいらしい外装で、いかにも女性に好まれそうな雰囲気を醸しだしている。──けれど。車を降りた途端、澪は不思議な寒気と頭痛を感じて両腕をさすった。

 気温は朝の天気予報で聞いた通り、五月下旬並みだ。ながそでを着ていたら汗ばむほどに暑かったというのに。

「寒いか?」

「なんか、急に……」

「さすが、いい反応だ」

「はい?」

 澪は首をかしげる。けれど次郎はそれ以上なにも説明をくれないまま、さっさとエントランスへ向かった。

 そしてオートロックを開け、階段を使って二階へ。次郎は機材の入った大きな荷物を抱えているというのに、軽々と上がっていく。

 運動不足の澪は早速息切れしながら、次郎の後に続いた。そして、二〇三号室の前まで来ると、背筋に再びゾワッと寒気が走る。

「なんか……、いやな感じがするんですけど……」

「そりゃ、お前ほど霊感があればそうなるだろうな。でも車酔いと一緒でいずれ慣れる。ほら、準備するから入れ」

 ──車酔いと一緒にしないでよ……。

 ブツブツと文句を言いながら、澪はようやく中へ入る。そして、玄関から見通した中の様子に、途端に目を輝かせた。

「か、かわいい!」

 内装も、外装と同じく白壁に黒梁で合わせてあり、床材には白い木を使っていて、全体的に明るい印象だ。

 玄関には大きなシューズクロークがあり、靴好きな女性であろうとも十分と思われる収納力がある。

 通路を進めば十二畳ほどのリビングがあり、手前にはカウンターキッチン。三口あるIHコンロの壁面はアイボリーのタイルが貼られ、掃除もずいぶん楽そうだ。

 澪はまるで内見にきた一般客のように、隅々までチェックしては感嘆の声を上げた。

「おい、ウロチョロするな。準備するぞ」

「あ、すみません……!」

 次郎は荷物を広げながら、淡々と機材の確認をしている。澪がその様子を眺めていると、伸縮式の三脚をおもむろに四台分手渡された。セットしろという意味だろうと、三脚の脚を伸ばし固定していく。そして、渡された小型のカメラを上部に設置した。

 触ってみてわかるのは、その軽量感と安定感。普段はDVDレコーダーすらロクに扱えないメカオンチの澪ですらも、それがかなり高性能なものだとわかる。

 ──機材に結構お金かかってそう……。

 なぜそんな高性能なものが必要なのかは、見当もつかなかった。けれど、澪はふと、適性審査の時にも次郎は数台のカメラを設置していたと思い出す。

「あの、監視するんですか? この部屋を」

「いや、今回は録画だ」

「一晩中?」

「一つは連続録画用だが、もう一つは動きがあった時だけ反応して録画できるようになってる。各一台ずつを二箇所に設置して、しばらく観察するんだ。連続録画用の方が暗闇での感度が高いから、動きがあった場合、前後の時間をそっちで検証する」

「へ、へぇ……、ってか霊ってカメラに映るんですか……?」

 それは素朴な疑問だった。

 澪としては、例えば心霊的な問題を解決するとなった場合、迷い無く寺に駆け込むところだ。知識はまったくないけれど、火をいたり白い紙のついた棒を使ってとうしたりするイメージが強い。かたや次郎の方法は、まるで野生動物の観察のようだ。

 しかし、次郎は平然とうなずく。

「映る。霊はカメラや映像の機材と相性がいい」

「え……、そうなんですか? 霊が?」

「目に見えなくても、映像や写真に写ってることは実際に多い。心霊写真とか、見たことあるだろう」

「そういわれると……、確かにそうですね」

「ま、心霊写真の九割は、勘違いか加工だけどな。でもこうして待ち構えていれば、何らかの反応がある。むしろ何もない場合は、心霊現象とは無関係の可能性もあるが」

「ハイテクなんですね、心霊調査って……」

 澪は感心しながら、徐々に準備の進んでいく部屋を見渡す。やがて、カメラはリビングからキッチンまでを広く見渡せる位置と、洋室にそれぞれ設置された。

 そして次郎は注意深く画角を確認すると、荷物を抱えてさっさと玄関へ向かう。

「次郎さん……?」

「何ぼーっとしてる。会社に戻るぞ」

「あれ……、戻るんですね」

「お前だけ泊まって行くか?」

「いえ!!」

 調査の一連の流れをまだ理解していない澪は、戸惑いながらも次郎の後へ続く。次郎は部屋から出るとかぎを閉め、車へ戻った。

「あの……、次は、何をするんですか?」

「後は、毎日録画をチェックして、ひたすら霊の反応を待つだけだ。朝にメディアを回収しに行き、会社でチェックして、夕方録画を開始しに行く。お前がな」

「それだけ!? で、私が!?」

「当たり前だろう。お前の仕事だ」

 澪は、ようやく調査の流れを把握した。つまり、調査の第一段階は、霊が出ると噂される物件を根気良く録画して観察するということらしい。

「結構地道なんですね、調査って」

「霊は警戒心が強い。調べに行ってすぐ出てくるなら楽だが、普通はそうじゃない」

「でも、適性審査の時は、すぐ出てきましたよね……?」

「バカ。あの物件は事前調査済みだ」

 澪は初めて知った事実に驚き、ある意味納得もしていた。当時は、いくらなんでも、危険な霊が現れるかもしれない物件に一般人を泊まらせるなんて無謀すぎると思っていたし、次郎が「初歩的」だと、まるで知っているかのように説明していたことも不思議に思っていた。

 つまり、ある程度調査を進めた上で、初歩的であると判断し、適性審査に使用したのだ。

「なるほど……、そうだったんですね。じゃあ、しばらくはひたすら録画して確認しての繰り返しってことですよね」

「そうなるな」

 それはいかにも退屈そうだったけれど、色々と恐ろしい想像を膨らませていた澪は、少しほっとしていた。

 それから二人は会社へと戻る。

 澪の初出社でもある調査初日は、そうして、なにごともなく終了した。

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