第二章②

 この部屋に通されて以来ただただ混乱していた澪の頭も、ようやく状況を理解しはじめている。

「えっと、じゃあ、適性審査っていうのは……」

「察しの通り、お前の霊感を量るための審査だ。お前の霊感が強いってことはもうわかってる。それも、ただえるだけじゃなく、寄せ付けるタイプだ。ただしそれを使いこなせるかどうかは、別問題だからな」

「…………」

 思い出すのは、日本橋での出来事。夢だ幻覚だと強引に頭の中から追い出した出来事はつまりすべて事実で、澪は次郎からその霊感を買われたことになる。

 なんという奇想天外な話だと、澪は途端に眩暈めまいを感じた。

「えっと、私が吉原不動産の内定を取れるかどうかは、この自覚のない霊感にかかってる……ってことで合ってます……?」

「そういうことだ。この部署は特殊な物件を管理してる。いわゆる訳あり物件と呼ばれるものだ。訳ありにも色々あるが、第六では霊障的な問題を抱える物件を調査し、問題を解決してる」

 この男は何を言っているんだろうと、澪はただぼうぜんと話を聞いていた。天下の吉原不動産が、心霊現象を肯定するような部署を作り、霊感を頼りに調査をしているなんて、とても信じられない。

 けれど次郎には、ふざけている様子はまったくなかった。

 それこそ、天下の吉原不動産が就活生をからかうだけのためにつく噓にしては、いきすぎている。

「あの、ちなみに……、この部って、他に人は……」

「いない。発足当時は数人いたが、すぐに逃げた。まあ、ここには適性のない人間がいても無意味だからな。ちなみに、まだ発足して一年の新しい部署だ」

 聞けば聞くほど頭はこんとんとする一方で、澪はついに考えるのをやめた。

 いくら能天気な性格をもってしても、次郎から聞いた話すべてをあっさり受け入れるのは、どう考えても困難だった。

 だから、澪は頭の中で、選択肢を極限までシンプルにしていく。

 馬鹿馬鹿しいと言ってここを去り、ゼロから就職活動をするか、──〝どんな手を使って〟も、吉原不動産の内定を取るか。

 澪が無言で考え込んでいる間、次郎は何も言わなかった。次郎はたった一人で部を切盛りしているにもかかわらず、困っている様子はうかがえない。きっと、一人でも十分成り立っている部署なのだろう。そんな次郎の態度は、澪を冷静にさせた。

 ──腐っても、たいさんくさくても、吉原不動産。

 澪は、静かに立ち上がる。古いパイプ椅子が、ギシッと音を鳴らした。

「とりあえず、受けてみます。適性審査」

 次郎は眺めていたパソコンから視線を外し、澪の心境を推し量るように無言で見つめる。

 そしておもむろに立ち上がると、出入り口のドアを開き、視線で出るように促した。

「ど、どこへ……?」

「審査会場だ。受けるんだろ?」

「審査会場……?」

「〝訳あり物件〟に決まってるだろう」

「え、ちょっ……!」

 動揺する澪に構わず、次郎はさっさと部屋を出ると早足で廊下を進む。そしてエレベーターを通り過ぎ、延々と続く資料庫を通りすぎると、ひときわ重そうな扉に突き当たった。澪が追いつくのも待たずに次郎が扉を開けると、空気の流れに乗って、ふわりとコンクリートの臭いが鼻をかすめる。

 そこは、二十台ほどが停められる、駐車場だった。半分ほどが、黒塗りの高級車で埋まっている。

「地下に駐車場があったんですね」

「ここは、上層部専用だ。社用車の駐車場は地上にあるし、基本、車通勤は禁止されてるからあまり知られてない」

 次郎は話しながらも、駐車場の奥へと向かって行く。そして、ずらりと並ぶ高級車の中で明らかに浮いている、古いワンボックスカーの前で足を止めた。

「乗れ」

「えっと、これは……」

「第六専用車だ」

「え、この駐車場は上層部専用って……」

「空いてるんだからいいんだよ」

 つまり、勝手に停めているらしい。澪は苦笑いし、言われるままに助手席に乗り込む。車内は想像通り何の飾り気もないどころか、荷台にはオフィス同様、謎の機材が雑然と積み込まれていた。

 次郎は慣れた様子でエンジンをかけ、発進させると駐車場のスロープを上って行く。

 出口から差し込む強い日差しは、地下に慣れた目には刺激が強すぎて、澪はとつに目を閉じた。

 夏の日光は、固く目を閉じていてもまぶたを通過してくるほどに、エネルギーが強い。澪はなかなか目を開けられないまま、車の揺れに身を任せる。

 次に目を開けた時、知らない世界へ誘われているのではないかと不安になってしまうような、不思議な心地がしていた。


    *


 四十分ほど車に揺られ、辿たどり着いたのはだち区の住宅街。

 次郎は路肩に車を停めると、真横にある白いアパートを指差した。

 三階建てで、キャパは十五戸ほど。道路側にはてつさくのベランダが無機質に並び、真夏の日暮れ前だというのになぜかどんよりと暗く、陰気な雰囲気を放っている。

「ここだ。降りるぞ」

「あの、つまりその、ここが訳あり物件ってことですよね……?」

「そうだな。入居者が次々と慌てて出て行くヤバい部屋がある。どうだ、気分は」

「なんというか、言葉にできない不穏さを感じますが……」

「思った通り、敏感だな。いい傾向だ」

 次郎は怖がる澪にまゆ一つ動かさず、淡々と荷台に回って機材を物色していた。澪は渋々車から降り、あらためてアパートを見上げる。

 よく見れば、ところどころにカーテンのかかっていない窓があった。空き部屋は多いようだ。

 次郎はいくつか荷物を抱えると、荷台を閉めてアパートの逆側に向かう。慌ててついて行くと、そこにはむき出しの鉄階段があり、次郎はそこを三階まで上った。そして、一番端の部屋の前で足を止め、持っていたあいかぎを使ってドアを開ける。

「あ、あの……、霊が、いるんですよね、この部屋の中に」

 あまりに淡々とした動作に、澪は玄関口でただ戸惑うだけだった。

 次郎は澪に冷たい視線を向ける。当たり前だと物語っているように。

 ──もう……!

 澪は覚悟を決めて、部屋へ入る。

 中は、簡易的なキッチンの奥に二間続きの和室がある、いわゆる2Kの間取りだった。

 次郎は手前の和室にあぐらをかいて座り、バッグからゴソゴソと機材を出して並べている。

「あの……」

「水道と電気は調査のために通してある。入るならガスも通すが、どうする」

「は?」

 澪には次郎の質問の意味がひとつも理解できず、ポカンと口を開ける。すると次郎は用途のわからない黒い機材をいくつもセットしながら、衝撃のひと言を口にした。

「言ってなかったな。審査の内容は、訳あり物件の泊まり込み調査だ」

「泊ま……!」

「時間は明朝八時まで。それまでにこの部屋の〝訳あり〟の原因を突き止めろ。その成果で合否を決める。もし八時より前に物件から出たり、何も収獲がなかった場合は不合格だ」

 次郎は、まるでコピーを頼むような気軽さで、泊まり込み調査の内容を説明する。

 澪は放心していた。吉原不動産に意気揚々とやってきてからここへ辿り着くまで、数々の選択肢に迫られ、そのたびになんとか自分を奮い立たせてきたけれど、泊まり込み調査というのはさすがに予想の限界を超えている。しかも、霊が出るとわかりきっている物件で、だ。

 次郎はそんな澪の様子に構わず、今度は畳の上に怪しげな紙を、コンパスを見ながら円を描くように並べ始めた。

「もし、危険だと思ったらこの中にいろ。結界だから、最低限の身の安全は守れる」

 並べられた紙は、全部で八枚。それぞれに達筆な筆文字が書かれている。

 コンパスを見ながら並べている様子から察するに、八方位を示しているのだろう。澪はキャパオーバーした頭の中で、ぼんやりとそんなことを考えていた。

 そして、ふと込み上げる違和感。

「あの……、中にいろって言いますけど、まさか、ここに泊まるのって、私一人ですか……?」

「は? 当たり前だろ。審査だぞ、これは。俺がいたら意味がない」

「そ、そんな!」

「嫌ならいつでもリタイアしていいぞ。通知にも書いたが、強要する気はまったくない。それに、こんな初歩的な物件で音を上げる奴ならそもそも要らない」

「…………」

 澪には、反論のすべはなかった。

 確かに、通知には参加は任意と書いてあったし、次郎は一度も強要していない。むしろ、嫌なら帰れとたびたび言われている。

 あまりに異常な状況につい混乱してしまうけれど、澪は今、自分の意思でここにいるのだ。目的は、吉原不動産の内定を取るため。

 状況を整理すると、次第に肝が据わるのを実感した。

「やります……。やってやります……、内定のために」

「案外、頭の中が合理的だな。見た目より賢そうだ。……じゃあ俺は行くから、困ったら電話しろ」

 次郎は番号の書かれた名刺を澪に渡すと、何の余韻も残さずさっさと玄関へ向かう。そして、明日八時にとひと言だけ言い残し、出て行ってしまった。

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