第一章①

「外から見て、当社はどのように見えていますか? 例えば、ここはこうした方がいいとか……、課題などを、遠慮せずに言ってもらえるとうれしいのですが。……新垣さん、どうでしょうか」

「へっ……?」

 初めて吉原不動産を訪れた日に感じた運命が現実味を帯びてきたのは、二次面接に受かった頃のこと。

 思えば、本命は吉原不動産だと宣言した当初、大学の友人たちはずいぶんあきれていた。

 というのも、吉原不動産という会社の規模は、大企業というひと言で片付けられるようなものではない。巨大財閥系企業連合体である「吉原グループ」のグループ会社であり、オフィスビルや商業施設の建設・運用から一般向け賃貸まで、ありとあらゆる不動産の需要をカバーする企業として、知らない者はほとんどいないほどの、日本屈指の超一流企業なのだ。

 しかし、結果的に澪は二次面接を通過し、呆れていた友人たちは奇跡だと言った。澪自身、並々ならぬ気合い以外にこれといったアピールポイントも特技もないことを自覚していたから、それは、なおさら運命だと感じざるを得なかったし、すっかり舞い上がっていた。

 そんな澪の気合いが無残にも打ち砕かれたのは、最終面接当日。

「取締役 吉原さつき」という、迫力満点のネームプレートが置かれたデスクに座る面接官から質問をされ、澪の頭は真っ白になった。

 一次面接や二次面接とは、聞かれる内容が違う。運命という言葉に甘えきっていた澪には、明らかに下調べが不足していた。

 ──課題……、ありませんはダメな気がする……。あったとしても言っていいの? 正解がわからない……!

 時計の音が響くほどに静まり返った最終面接会場で、目の前にはいかにも偉そうな面接官が四名。あからさまに目が泳いでいる澪を、冷静に見つめている。

 背後の大きな窓からは、競うように建つ高層ビル群と、地元で見るのとは色が少し違う空。

 場違いだ、と。今更それを痛感していた。

 澪は、埼玉県やま市のはずれ、茶畑に囲まれたのどかな地域でおおらかに育った。高校も大学すらも実家から近い学校を選び、電車で簡単に行ける東京には一度も興味をかれたことがない。そういった面で、最近の若者の中では圧倒的に少数派だった。

 マイペースでのん気な女だと、これまでの人生で、何度言われてきたかわからない。けれど両親がそれを長所だと言ってくれていたから、澪はそれを個性だと、前向きに考えていられた。

 しかし、目の前の四人とその背後のやけに攻撃的な風景が、それは間違いだったと訴えている。

「ええと、あえて言うなら……、し、自然……破壊……でしょう、か」

「ふはっ」

 澪が苦し紛れに答えた瞬間、右端の面接官がたまらないとばかりに噴き出した。澪は居たたまれずに、ひざの上でこぶしを握る。

 しかし、正面に座る吉原取締役は右端の男を「やめなさい」と制し、優しい笑顔を向けた。

「それは確かにごもっともな、重要な課題です」

「……すみません」

 その優しさは逆につらく、澪は消え入るような声で謝る。部屋は再び沈黙に包まれた。

 逃げたい、と、澪は心の底からそう思っていた。かなうなら今すぐにこの場から逃げて、家に帰りたいと。

 一分一秒がおそろしく長く感じる空間で、張り詰めた空気に耐えること数分。

「僕からも、質問いいですか?」

 沈黙を破ったのは、さっき噴き出した右端の面接官だった。

 視線を上げ、初めてまともに顔を見ると、その男だけは他の面接官に比べてずいぶん若い。

 ひと目で高級だとわかるスーツに身を包んだ面々がズラリと並ぶ中、一人だけネクタイも緩く、この場においてはかなり異色に感じられた。

 ネームプレートには「第六物件管理部部長 ながさきろう」と書かれている。けれど、失礼ながらもこの面接官からは、いわゆる役職者の持つかんろくをあまり感じられなかった。

「質問、いいですか?」

「え!? あ、……はい! すみません!」

 慌てて返事をすると、長崎は気の強そうな目線をまっすぐに向ける。それは、すべてを見抜かれてしまうんじゃないかと不安になるような、鋭い視線だった。

 途端に全身に緊張が走り、澪はぴんと背筋を伸ばす。いくら若く見えても、仕事においては優秀なのだろうと、そう思わざるを得ないような迫力が、この男にはあった。

 しかし、そんな緊張感は、飛んできた質問により一瞬で崩れ去る。

「新垣さんに丁度いい質問を用意していまして」

「はい!」

「この部屋に、面接官は何人いると思います?」

「……は?」

 一瞬、頭が真っ白になった。けれど、頭で考えるよりも先にふつふつと込み上げてくるのは、バカにされているといういらち。

「何人いますか? 面接官」

「…………」

 面接というものは、受かりたければこういう場合においても笑顔で対応すべきなのだと、澪は就活生の常識として理解している。けれど、面接官の数を問われるなんて、さすがに侮辱されているとしか思えなかった。

「あ、僕を入れて、です」

 なかなか答えない澪に、男は平然とそう追加した。

 澪は、真っ白になるほど拳を握り締めながら、にらみつける。

 ダメだとわかってはいたけれど、もはや感情にあらがえなかった。むしろ、今にも暴れ出しそうな苛立ちを抑えられただけでも、奇跡と言えた。

「四人です」

 低い声でそう答えると、面接官たちが一斉にまゆをひそめる。素直に答えたことに逆に驚いているのかもしれないと、澪はうつむいて奥歯をみ締めた。

「なるほど。ありがとうございます」

 そして、最低最悪な面接は、ようやく終わりを迎える。


 最終面接会場を出てからほんばしの高速高架下まで、ふらふらと歩き着くまでの道のりを、澪はもはや記憶していない。

 ──数くらい数えられるわけですよ、いくら私でも。

 頭に浮かんでくるのは、卑屈な文句ばかり。そして、右端の男のバカにした笑顔。

「あーっ」

 日本橋の欄干から濁った日本橋川に向かって叫ぶと、後ろを歩くビジネスマンたちから不審者を見るような視線が一気に集まった。けれど、彼らはすぐに、なにごともなかったように通り過ぎていく。

 この時期はとくに、日本橋川に向かってうつぷんを晴らすリクルートスーツの若者は珍しくないのかもしれない、と澪は苦笑いした。

 ──それにしても、だよ。その他大勢の就活生と一緒にしないでほしいんですよ、ビジネスマンの皆さん。数を数えろって言われたんですよ、最終面接で。こんなの、「すべらない話」以外に使い道ある?

 あふれ出る文句が消化されないまま、頭の中はみるみるこんとんとしていく。

 澪は、もはや愚痴を言ってもキリがないと、め息をついてようやく視線を上げた。──その時。

 真横に現れた、何者かの気配。

 反射的に視線を向けると、そこには中年男性が立っていた。

 ピンストライプの立派なスーツに、しわひとつないシャツ。その姿は記憶に新しく、澪はとつに会釈をする。それは、最終面接会場にいた、面接官の一人だった。

「先ほどはお世話になりました……!」

 もしかして愚痴を聞かれていたのではないかと、澪の首筋に嫌な汗が流れる。しかも、この面接官の名前すら記憶していない。

 ただし、百パーセント落ちたという確信を持っていたせいか、ある意味もう怖いものもなく、やがて心は落ち着きを取り戻した。

 面接官はそんな澪を、無表情でじっとりと見つめている。

「あの……?」

 反応はない。

 よく見れば顔色はすこぶる悪く、頰はげっそりとやつれていた。最終面接会場では緊張しすぎていたせいか気付かなかったけれど、相当に疲労しているようだ。

 ──吉原不動産ってけっこうブラックなんじゃ……。

 面接官には、一向にしやべる様子がない。それどころか表情もなく、どろんと濁った目はどこを見ているのかすらもあいまいだ。

 澪はふと気味悪さを感じて、じりじりと後ずさる。しかしその途端、面接官はぐいっと身を乗り出し、澪の両肩をつかもうと手を伸ばした。

「え……? なんっ……!」

 突然の出来事に、澪はパニックになりながらも手を振り払う。けれど、何度振り払おうとも、面接官は腕や肩に摑みかかり、異常な力で澪の体を拘束した。

「ちょっ……、なんなんですか……」

 声は裏返っていた。けれど今はそんなことに構っている場合ではない。なんとか逃げ出そうと暴れても、もはや抵抗は無意味だった。

 そして、澪は半ば引きずられるような形で、日本橋の真ん中へ向かって強引に誘導される。

「ちょっと……! 黙ってないで何か言ってよ……!」

 もはや言葉遣いになんて構っていられる状況ではなかった。目的はサッパリわからないけれど、この面接官がしていることは間違いなく異常だ。

 助けを呼ぼうと辺りを見渡しても、あれだけ往来があったはずの日本橋から、気味が悪いほどに人の気配が消えている。まるで時間が止まってしまったかのように、音も無い。

 そして面接官は、橋の真ん中まで来るとなんの躊躇ためらいもなく欄干へひょいと上り、澪の腕をぐいと引くと、いとも簡単に欄干の上へと引っ張り上げた。

「っ……」

 いくら男の力でも、人間ひとりを片腕で引っ張り上げるなんて尋常じゃない。

 引っ張り上げられた澪は恐怖から咄嗟にしゃがみ、片手で必死に欄干を摑んだ。

 石造りの欄干の幅は、三十センチほど。冷静な状態ならばそこまで難しいことでもないけれど、心を恐怖に支配され、ガタガタと震える体では、今にも落ちてしまいそうだった。

 面接官は澪の手首を強く握り、欄干の上に平然と立つと、遠くを見るように目を細める。

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