第6話
痛いほどの太陽光線が降り注いでいた。日焼け止めも何も塗らずに衝動的に出てきてしまったことを後悔した。
仕方なく外をぶらぶらしていると、大通りに出る道から、人が足早に歩いているのが見える。その人は、私に向かって大きく手を振っているように見えた。
後ろを振り向いても誰もいない。左右に揺れる手を目印に歩く。しかし、十メートルほどで私を呼ぶ人物の顔がわかった。愛された記憶と暴力を振るわれた記憶がくっきりと雷のようによみがえる。
脈が激しく、冷や汗が額ににじむ。歩みを止めた私を目印に「あいつ」は人の良さそうな笑顔を浮かべたまま、近づいてくる。
私は何もできなかった。目の前が真っ白になり、気がつけば彼の腕のなかにいた。
「探したんだよ。昨日はごめんね」
ぶたれた頬と腕が熱を帯びる。深く息を吸うと、私のお気に入りのムスクの匂いがした。
彼は私のことをあやすように優しく髪をなでてくる。髪の一本一本を慈しむような手つきに涙が出てくる。
「やっぱり、野菊じゃないとだめみたい。今度は優しくするから、もう一回やり直そうよ」
心が怪しく揺れる。今のように優しくしてもらえるのなら、と考えてしまう。でも、彼はきっとまた裏切る。私には答えが出せなかった。
「本当に優しくしてくれる? 」
瞳から温かいものが出てくる。彼は声のトーンを一段階下げた。
「もう野菊を傷つけないよ。愛してる」
彼の白いシャツの匂いを深く嗅ぐ。嘘の香りを纏っている。それでも、もう一度信じたくなった。私は微笑みを作り、彼の頬をなでる。彼は目を細めた。
しかし、幸せそうな彼の顔は一瞬で崩れた。私の身体をそろそろと離すと、痛みにもだえるようにその場にうずくまる。私が駆け寄ると、「あいつ」は私を突き飛ばした。
「いってぇ」
じりじりとなくセミの音に混ざってコツコツという硬い靴の音がする。音の方角を見ると、そこには残酷なほどに冷たい色をした臣が立っていた。臣は何かを投げる動作をする。すると、「あいつ」はうめき声をあげる。彼の近くにはピンポン球よりは小さいけれども先の尖った石が転がっていた。
「てめえ、新しい男がいたのか。俺を馬鹿にしてたんだろう。このアバズレ女」
私につかみかかろうとする「あいつ」に違うと叫ぶ。「あいつ」の目は激情に支配されていて、私の声は届かない。血走った目に殺される気がした。いつものように目をつぶって、衝撃に耐える準備をしても、待っていたそれはいつまでもこなかった。目を開けると臣が「あいつ」の手をつかんでいる。彼が力を込めているのか、「あいつ」の口から情けないうめき声が漏れている。
「これ以上、野菊に関わると呪うぞ」
「あんた何なんだよ」
「神だよ。ほら、蛙にされて串刺しになりたくなかったらさっさと逝け」
温度を感じない声の持ち主が手の力を抜いたようで、「あいつ」は舌打ちをして、逃げるようにその場を去って行く。大好きだった香りだけがその場に遺った。
臣はかつかつと座り込む私に近寄ると、私の手を柔らかくつかむ。迷惑そうな臣の顔にだんだんと立つ瀬がなくなってきた。
「あの・・・・・・ありがとう」
おずおずと声をかけると臣は鼻を鳴らして、私から視線をそらした。
「早く風呂に入れ。その匂いは嫌いだ」
その声にはけだるさの裏に別の感情が隠れている気がした。その感情が何かはわからないけれども、親しみを感じるものだ。
「ありがとう」
「礼は一度で良いんだ」
竜神様は浅葱色の鱗を小さく掻いた。
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