エピローグ

 植物も踊りだしそうになるうららかな陽光が射し込む空間。スポットライトのような日差しには時折、漂うホコリが光る。

「ね、りん聞いてる〜?」

「んー」

 おどけた声を出しながら私は壁の棚に飾られたティーセットに目を移す。ピカピカに磨き上げられているため、光をよく反射し、目立つのだ。

 う〜む、あのティーセットでデザートが食べられればいいんだけどなぁ。

 しかし実際には可愛らしいウサギがプリントされたランチバッグが側に一つだけ。大きい見た目とは裏腹に現在、中には空の弁当箱があるだけだ。

 いかんいかん、これ以上食べると脂肪という名のアーマーがついてしまう。ただでさえ最近危ないのに。

 思い出したように自分のお腹を摘んだ。

 今は絶賛お昼休みでここは演劇棟の道具倉庫。大道具から小道具まで演劇で使うほとんどの道具はここに収められている。しかし物がたくさん仕舞われているだけに如何せんホコリっぽいのは否めない。

 部活以外では会うタイミングと場所を毎回考えねばならない私達がどこかでイチャコラできないものかと思案していたときに丁度よく紹介された場所がここだっだ。この演劇棟内の倉庫を逢瀬のために教えてくれたと言えば、挙がるのは千紗ちさだけだろう。千紗曰く当時の私からは「付き合いたてカップルあるあるの逢いたいけどどこで逢ったらいいか分かんないよ臭」がしていたらしい。どこでそんな臭いを覚えたのかが気になるところだが大体合っているので奴の鼻は鋭い。

 私達って付き合いたてに含まれるのかな。

 いくつか疑問が無いこともないのだが千紗の管轄下のベストプレイスを勧めてくれただけはあり、空間の雰囲気は満足いくものだ。特筆すべきなのはこの暖かい日差しだ。太陽がよく見える日のこの時間だけ、計算されたように陽光が降り注いでくれ、おかげさまでこちらはポカポカである。

 そんな空間の壁の一つに凛が背を預け、その座った脚の間で私が凛に背を預けている。正に極楽の席。どんなファーストクラスもこれにくものは無し。

 だと思っていたが今現在、凛はスマホをタップするのに忙しく、話しかけても構ってくれないのでビジネスクラスぐらい。することもない私は凛の太ももと後頭部の胸の感触を楽しむことにする。

 さすさす、ぷにぷに。

 うむ、今日の脚も百点のいいもっちり具合だ。凛’s太ももソムリエの私が言うのだから間違いない。全く、あの細く美しい脚のどこにこの柔らかさを隠しているのか、永遠の謎である。

「ん、どうしました先輩」

 どうやらお仕事は終わったようでスマホを置くと私を抱えるように腕を組んだ。ぬくい。

「私がこんなに近くにいるのにスマホで何してたのかな?」と蔑ろにしていたことを問い詰める。

「あーあれについてですよ。前に話した弟達の授業参観に行くっていうのを親と相談してて」

「……許す」

 弟妹に関することなら仕方がない。折り紙付きである凛の弟妹愛を責めることなどできないのだから。

「あれ、もしかして嫉妬?」

「他の人とかツイッターとかだったらそうだけど弟君達なら許すわ」

「気を使ってくれてどうも。それで最初に言いたかったことは何です?」

 私は背後から伸びている腕に頬を寄せた。

「そうそう、今度エッチするときはさ演じてるときみたいなクールな感じでして欲しいの」

「包み隠さずストレートですね。喜んでくれるなら全然いいですよ」

「ありがと。あの凛も大好きなんだ」

「え、逆に先輩が嫌いな私っているんですか?」

「いなーい」

 陽だまりの中での一刻一刻が華々しい談笑。話題は「クールな凛」から「凛の性格」に移っていく。

「凛ってさいろんな顔があるけど、これが私だ! みたいなのはあるの? クールだったり家族大好きだったりコミュ障だったりエトセトラ」

「コ、コミュ障は余計です!」

「でも事実」

「うぅ〜」

 頭のてっぺんに荷重を感じる。どうやら顎を乗せしょげているようだ。

「弟とかの前ではどうなの? 一緒に出かける時とか」

「……店員さんとか苦手ですけど、どっちかがいるときは何気ないフリしてます。できる限り」

「隠せてる?」

「微妙」

「そこは演じられないんだね」

 店員さんにおどおどする凛。うん、脳内再生余裕。面白そうだから今度一緒にどこかお出かけよう。まだデートできてないし。

「はい、もうコミュ障の話は終わりです。で、私の本当の顔でしたっけ?」

 これ以上は堪らんとばかりに話を無理くり切り上げるとそれきり押し黙ってしまった。どうやら答を準備しているようだ。その間私はソムリエの職務を全うする。

「うーん、私って本当に色々な役を演じてきたんですよ」

 そうして数分後になってから凛は口を開いた。

「それこそレオンみたいな男性兵士とか変な組織の女幹部とか。今の私のいろんな性格はその演じてきたキャラが少なからず残ってるんだと思います」

「あーそれは分かりみが深い」

 確かに私もそういう経験はある。凛みたいに豹変するまでは無いが印象的だったりクセが強い役を演じるとその個性が体に染み付くのだ。酷いときは公演が終わったにもかかわらず抜ける気配が無く、次の演劇に支障を来したほどだ。

「特に例の演劇中の性格は大分昔ですね」

 凛は過ぎた刻を懐かしむように語り出した。

 これは大切な話だな。

 私もお触りの手を止め、耳を傾ける。

「小学六年ですかね。卒業に合わせた最後の演劇をするって地元の演劇活動会の人と決まったんですよ。そのとき演じたのは私の背丈に不相応なとってもクールな真面目キャラでした。まだまだ子供の私にはそれを演じるのが本当に難しく、一つの壁だったんです」

「……」

「それでも主演でしたし、小学校最後ってことで怒られながらも一生懸命真剣に練習したんです。それはそれはもう今でも私の演劇人生トップスリーに入るくらいには。まぁそのおかげで無事大成功を収めたんですけど、困ったことにそのキャラが抜けなくてですね。いつしか真剣イコールクールになっちゃったんです。それで今に至ると」

 凛はやれやれと息を一つついた。

「なるほど、意外とちゃんとしたルーツがあるんだね」

 てっきり集中して取り組むための一種の自己暗示だと思っていたのだが、中々に興味深い話を聞くことができた。しかしこの一面が本当の凛ではあるまい。

「でまぁこんな風に仮面を取っ替え引っ替えしてるうちに自分が仮面になってたり、仮面が自分になったりして……結局私も自分が分かんないんです」

「……何じゃそりゃ」

 自分で自分が分からない?

「強いて言えば数々の顔の全てが私ですかね」

 そう言うと愉快そうにカラカラと笑った。

 演劇に自己犠牲過ぎやしないだろうか。

 少しそう考えかけたが、それは無いとすぐに自分を否定する。今までの演劇経験が今の凛を形成しているなら、彼女の言う通り全ての顔が凛という人間なのだろう。どれか一つでも欠けたら凛では無い。元の自分が分からないと言ってるのにこんなに楽しそうに笑ってるのが何よりの証拠だ。

 演劇好き過ぎでしょ。

 私も釣られて笑ってしまう。

「あ、でもやっぱり絶対にこれが私っていうのはありますよ」

「何よ、あるんじゃん」

 思い出したようにハッとする凛にツッコミを入れる。

「ふふん、例えどんな仮面を着けてても譲れません。先輩を愛しているこの気持ちは紛れもなく私です」

「なっ……⁉︎」

「……先輩?」

 凛はいつもこうだ。

「え、いや、突然……」

「あ、顔赤くなってる。可愛い〜」

 凛はいつも何の脈絡もなく愛を囁いてくる。対して私はそういうことはしない。

 もちろん私だって然るべき空気だったらいくらでも愛をぶつけるが今のは完全に予想外だった。ろくな対応マニュアルを持たない私は目を白黒させるしかほかない。

 凛は熱く染まっているだろう私の耳を面白がって引っ張り、遊んでいる。私が突然系に弱いのを知ってて、敢えて驚かせて楽しんでいるのがまたいやらしい。

「もう!」

 顔をぐいっと反らせつむじを背後の胸に押しつけた。上下逆転して映る表情にはからかうような笑みが浮かんでいる。

「キスしてー」

 視界が反転したままむーっと唇をすぼめて伸ばした。

 そっちがその気なら私だって思いっきりイチャラブしてやるぞ。覚悟しやがれ。

「こ、このまま?」

「ほら早くー。キスしたくなるようにさせたせ・き・に・ん」

 飛びっきりの甘え声とともに脚をバタバタ。

「このちっちゃな子供をあやす感じ、弟妹きょうだいにそっくり」

 そう口を動いたことを最後に私の見えるものは制服のベージュ一色だけに染まった。高鳴る心とともに餌を待つ雛鳥のように唇を伸ばして蕩ける感触を待つ。

「……」

 だが。

「……」

「……届きませんね」

「届かないね」

 こんな体勢でキスできるほど人間の体は、少なくとも私達のは柔らかくできていなかったのだった。普通に考えれば分かる物理的な問題だったが、私は何を血迷っていたのか。

「うぉ、痛ぇ」

 限界まで反らしていた首と背筋を女子高生らしからぬ呻きを漏らして、戻した。

「おじさんですか」

 やはり言われてしまった。

 背をさすり、「いや、凛もやれば絶対言うから」と顔をしかめる。

「言いません、JKですから。ほら一回立って」

「ん?」

「いいから」

 どういうわけか凛に急かされるように特等席を立つことを余儀なくされた。背の温もりを名残惜しみつつ退くと、凛は脚をトランスフォーム。広がっていた扇を閉じるように細く長いそれを揃えた。

 はは〜ん、なるほど。

「さ、どうぞ」と自身の膝を叩いて誘う。

「それでは遠慮なく」

 凛の脚に跨がり、肩に腕を回して上半身を密着させた。これなら思う存分キスし放題だ。そして凛は何の前触れもなく、首に狙いをつけ斜め下から口による愛撫を始めた。

「んんぁ……」

 決して大きくはない喉仏を咥えるようにはむはむと舐められる。ぷるっとした唇が塗り込む唾液と温い吐息によりたちまち喉が湿ってしまう。

「ふぁむ、ぁむ、んあむ」

 おまけに愛らしい声が聞こえてくるのも私をムンムンと焚きつける。

「りん、あっ、すごくいぃ」

 天を仰ぎ、目をキュッと細めて心地よさに身を任せる。内側がじわじわと熱くなってくるのを感じた。何度経験しても褪せることない幸福感が満ち満ちてくる。

「あぁ、りん、りん、すきぃ」

「くるみ、せんぱい。わたしも……んん、止まらない……」

 愛する相手の名前を呼びながら互いを抱き寄せる。絶対に離れることがないように強く、強く、ギュッと。

「せんぱいのこと、はむ、もっと、味わいたいの……」

 ペロっと大きく舐められた。

「良いよ。私を好きに、して……」

 肩で息をしている姿。薔薇色に上気した顔。煙のように浮かぶ魅惑的な女性の香りが我慢の鎖を断ち切る。それは凛も同じようでさっきから下半身がそわそわと忙しない。

 私も、欲しい……

 凛の手が私の膨らみに添えられた。

 私がふーっと深い息を吐いた。

 二人の視線が交差した。

 その距離が縮まる。

 あの柔らかさを、あの体温を、あの愛を口唇で受け入れるため、そっと、目を閉じた。

 

 あぁ……

 

 時が満ちた。

 頼りとする視覚を封じた今、その感覚は私の脳内を光の速さで占拠し、我慢の末の期待感を別のものへとコンバートしていく。この形容しがたい感情をどうすればいいのだろうか。本当に、もう。

 あぁ……最悪だ。

 五月蝿うるさかったチャイムの残響が触れずじまいの唇の空白を嘲笑うように走り抜けた。昼休みが終わってしまったのだ。次の授業の用意をせねばならない。

「……」

「……本当に空気の読めないチャイム。誰よ、鳴らした奴。ナンセンス極まりないわ」

「全くですね、興ざめ」

 凛はだらんと腕を垂らし、元のように壁に寄りかかった。吐露した言葉は刺々しくないものの珍しくキレかかっている。それほど期待でいっぱいだったのだろう。

 まぁ時間見なかった私達が悪いんであって、時間通りに職務を全うしたチャイムが非難されるいわれはないんけど。でも多少は融通ゆうづう利かせてもいいと思うな。

 そんな詮無いことを考えているといきなり肩を掴まれた。

「ああ我慢なりません! 今日先輩んち行きますから! 行っていつもより激しくズッコンバッコンしますから!」

 激しく前後に揺すられる。

「お、おう。いいぜ、どんと来い超常現象!」

 少し戸惑ったが、それだけしたいなら彼女として応えないわけにはいかない。こんなにも求めてくれているのだ。いいだろう、今夜はお楽しみと洒落込しゃれこもうではないか。こっちはヤる気が違うんだ。

 でもズッコンバッコンという表現は如何なものかと……

「よし、そうと決まったら授業なんて早く終わらせて……」

「ま、待って」

 元気にたぎる凛を慌てて諌める。というかこのままだと上の私が弾き飛ばされかねない。

「今一回だけ、ちょっとだけキスしたいの」

 今度は私が肩に手を置いてしなだれかかる。

「……そんな可愛い顔されたら、彼女として断れませんよ」

「ありがと」

 ちゅ。

 それを合図に本当に浅く少しだけの口づけをした。それだけで今の時間は満足だ。何故なら今夜も、明日も、ずっと先もこうすることができるのだから。

 唇を離す。

 けれどもその二人に架かった糸は陽光に照らされ、キラリと確かに輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る