第11話 休日(2)

 時を同じくして、店内にはそんな大河を遠巻きに見るひとりの人物がいた。

 それは同じクラスで学業をともにし、先日も図書室で同じ時間を過ごした山瀬であった。ただし、同じ時間をすごしたといってもすれ違いから険悪な関係となったばかりなのだが。

 彼女も大河と同じく、貴重な休日を利用して鞄を肩にかけ街で一番の本屋へと足を運んでいた。お目当ての本はまだ発売してまもない、黒猫大和というベテラン作家の書いた新作だった。

 彼女は黒猫大和の作品が好きで、これまでにでた作品はすべて読んでいた。今回の新作は作者が数年ぶりに出すもので、発売前から楽しみにしているのだった。

 黒猫作品の特筆すべきは繊細な心理描写で、黒猫の描く世界観で巻き起こるきらきらとした人間模様はの機微は彼女の心をわしづかみにし、放さなかった。

(買ったらどこかの喫茶店で読んで帰ろうかしら。それとも家に帰ってゆっくり読もうかな)

 彼女は浮ついた気持ちでエスカレーターを上がり、お目当てのコーナーを探す。

 すると、ふと視界の片隅に本屋に似つかわしくない大きな塊が動いたように見えた。

 視線を向けるとそこには店内をふらふらと歩く大河の姿とらえることができたのだった。

(なんで新堂くんがここに!?)

 先日図書室で少し言い過ぎたことをわずかながら後ろめたく思っていただけに、きまずさからとっさに本棚に隠れてしまう。

(まさか、万引き?いや、さすがにそこまで疑うのもよくないわね。エッチな本を買いにきたとか?)

 鉢合わせてもお互いに気まずい思いをするかもしれないと、姿を見られないよう本棚の陰から様子をみることにしたのだった。

 なんで私が気を使わないといけないのよ、と不満を抱きながらも大河の動向から目を離さなかった。しばらく監視を続けるうちにふとあることに気が付いた。

 彼女から見ても大河は万引きどころか本屋の散策を心底楽しんでいるように見えのだった。

 本棚の前で足を止めては、適当な本を手に取りぱらぱらとページをめくる。しばらく流し読みすると満足したのか棚にもどす。その繰り返しだった。その本も誰が読むんだというような難しそうな学術書からライトノベルまで片っ端から手を伸ばす。

 時折棚に戻さずに本を片手に次の本棚へと移動していく。持ち歩いているものは購入予定なのだろう。すでに何冊かの本が抱えられていた。

 山瀬は大河の学校のイメージからは考えられない素の姿に驚いた。普段のイメージは人を寄せ付けない、読書とはまったく縁がなさそうな容姿をしている。それがどうだろう、実際には本屋で過ごしているだけで目を輝かせるような人間だったのだ。

 しばらく様子をうかがっていると、黒猫大和の作品棚の前で立ち止まった。

 すると、大河は山瀬が目的としていた新作を中身を確認することなく手に取りそのまま移動をしたのだった。

(他の本と違って内容を確認しないってことは、新堂君も黒猫先生の作品の読者なのかしら。なかなかいいセンスしてるじゃない)

 山瀬にとって黒猫作品を読む同級生にあったのは初めてで、彼女の中ではすでに同志扱いとなっていた。

(もし次の機会があれば、本について話しかけてみよう。もしかしたら図書室に来たのも何か理由があったのかも。これ以上の詮索は無粋ね。彼にも悪いし私目的を済ませましょう)

 山瀬はそう思うと、大河と鉢合わせないように目的の本を買って店からでるのであった。



 大河は書店での周遊を満喫すると、数冊の本を購入し、店を後にした。

 すぐにでも読み始めたいとはやる気持ちを抑えつつ、往路と同様にランニングで帰路につく。

 その時のことだった。突如絹を裂くような女性の悲鳴が聞こえた。

「キャー、なにするんですか!誰か!」

 ただ事ではないことを確信し、大河は足早に声の出どころに向かうと、路上には女性が倒れていた。

「大丈夫ですか、どうしました!」

 大河が倒れる女性に声をかけると女性は目の前の大河を見て一瞬驚いたような表情をうかべたが、すぐに言葉を続ける。

「し、新堂君。あのおじさんに鞄をとられたの。おばあちゃんからもらった大切な鞄なのに」

 目の前の女性は泣きそうな顔をうかべ震える手で遠くを指さした。

 そこには鞄を片手に、お世辞にも快足とは言えない速さで走る、中肉中背の中年の姿をとらえることができた。

 それと同時に鞄を盗まれた女性がなんの因果かクラスメイトの山瀬であることに気が付いた。

 先日は図書室で一方的に注意をうけた大河であったが、彼女はその時と比べると別人かと思うほど弱弱しく、落ち込んでいた。

 そんな彼女をみると、自然と力になりたいという思いが沸き上がってくる。

「山瀬さん、任せてくれ。俺がきっと取り返してみせるから安心してまっていてくれ」

 そうい言い残すと、大河は全速力で走り出し、瞬く間にその場から消え去ったのだった。

「新堂くん…」

 彼女がそうつぶやくころにはすでに大河の背中は遠く小さくなっていた。


 大河が血眼になってひったくり犯を探し求める姿はまるで獰猛なクロヒョウが獲物を狙うような迫力をみせた。

 実際には全身黒ジャージの男が全力で走っているだけなのだが、周囲の人は彼の接近に気が付くとその迫力に驚き、瞬次に道を譲った。

 休日でそれ相応に込み合った歩道の人込みがぱっくりと割れいく様子はまるでモーゼの海割のようだった。

 最短で最速でとにかく追いつくために彼が持つ身体能力を遺憾なく発揮する。

 現場から数百メートルほど走ったところで、犯人がここまでくればひとまずは安心だとペースを落としていたことも幸いして、みるみるうちに距離を縮め、ついには目と鼻の距離までせまっていた。

「まてこらあああああああああああ」

 ひったくり犯が背後から聞こえてくる声に驚き振り向くと、そこには鬼のような形相で追いかけてくる大河の姿があった。

 ジャージ姿の恵体強面凶器が迫りくるシチュエーションは犯人にこれまで経験したことがないような恐れを与えることに成功していた。

 つかまればただでは済まない、生きて帰れるかもわからない。とまで思わせるほどに大河の気迫は伝わった。

 この気迫には百戦錬磨のひったくり犯もさすがに恐怖し、「ひええ」と息を飲むような悲鳴を上げて一目のつかない路地裏に逃げ込んだ。

 この路地はこれまでにもひったくり後の逃走劇に使用した路地で、入り組んだ迷路のようなものだった。

 雑居ビルが旅並ぶエリアなだけに路地は狭い通路とも言えないビル間の隙間が網目状に広がっている。

 さらには密集したビルにより日当たりが悪いことから昼間でさえ薄暗く、夕方以降になると照明無しでは歩けないほどだった。

 一度ここに入り込んでしまえば適当に歩いていてはどこに出るかわからないほど、複雑な様相を呈しており身動きがとりづらくなる。。

 例え誰が追いかけてこようとこの路地に引き釣り込めば、たちまち周辺の地理を熟知した自分のペースとなり、追っ手は途方にくれる。犯人は今回もそうなることを確信していた。

「頑張ってるところ悪いなにーちゃん、ここに入ればこっちのもんだぜ」

 犯人は自分のテリトリーに入ったことで少し余裕がでたのかおどけたように軽口をつくと、走りながら通路の脇に積み上げられたビールケースや樽、段ボールを散乱させる。

 大河の速度を少しでも失速させるための手慣れた手口だった。

 まともに走ろうとしても薄暗い上に足元に気を取られてスピードをだすことは難しいだろう。

 これまでの逃走劇でも同様の手段は効果的で何人もの追っ手をけむに巻いていた。


 犯人を追いかけて路地に入った大河は目の前に散乱する物品をみると、

 さすがにこれだけ物品が散らかっていればまともに走れない。

 そう思ったがつかの間、パルクールのように建物の外壁を三角とびで往復を繰り返し飛び上がると上方の看板に乗り移る。

 さらにそこから外壁を這う雨水管に向かって飛ぶと配管をつかみ振り子のようにしてに障害物を飛び越えた。

 大河の持ち前のフィジカルだからこそなしうるアクロバティックな追走には思わず犯人も舌を巻き、唖然とした。

 自信のあった常套手段をもってしても時間稼ぎすらできず、ついに、大河は犯人が着ているジャケットの襟をつかみ、チェイスを終えることができたのだった。

「おっさん、手に持った鞄をかえしてもらおうか」

「くそっ!離せ!これは、俺の鞄だ。誰かと間違えてるぞ!」

「この後に及んでその言い訳はちょっと無理があるんじゃねーか?とりあえず警察に通報させてもらうからな」

 そう言って大河は未だ女性ものの鞄を片手に冤罪を主張する犯人を組み倒し、難なく拘束すると警察へ通報したのだった。

 パトカーの接近を知らせるサイレンを耳にすると、山瀬の鞄を取り返すことができたことに安堵し、ほっと一息ついたのだった。。

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