第9話 図書室(3)~山瀬サイド~
図書室は私にとって、自分だけの世界に浸ることのできる聖域のようなものだった。
古書特有の独特の香りは好きだったし、ここだと自分の思考を遮られることなく読書に没頭できた。
今どきの高校生にとって、世界は数多の娯楽に満たされている。その中からわざわざ読書を趣味に選ぶ人は少ない。
活字というだけで拒否反応を起こしてページをめくる気にすらなくなる人も意外と多いのかもしれない。
そのためか、入学当初からたびたび図書室を訪れては読書に勉強と時間を過ごしているが、放課後にこの図書室を利用する生徒は多くても日に10人もいなかった。
閑散とした教室に次第に居心地の良さを覚え、ついには図書委員へ立候補し、無事勝ち取った。
本日の当番日も人もまばらな図書室のカウンターに座り、お世辞にも忙しいとは言えない委員業務を行っている。
業務といっても書籍管理やラベル作成の時間を除くとカウンター内に座っているだけなのだけれど。
おかげで合間の時間を活用して気になっていた本を読み進めることができた。
学校負担で購入した本なんかも誰かが借りる前に一番最初にこっそり読んだりできるのも委員会に所属している恩恵のひとつだった。
先生から与えられた作業を急いで終わらすと本を開きページをめくる。
数十ページほど物語を読み進めたところだった。ガラリと扉が開かれた。
入り口に目を向けると、そこには悪い噂で持ち切りのクラスメイト、新堂君が立っていた。
確か、聞いたこともないような名前の村から引っ越してきたという話だった。
思いがけない来訪者に思わずじろりと見つめてしまう。
普段私は自分の目で見たわけではない、ただの噂というものはあまり信じないようにしている。
噂話を信じ切ってしまうとどうしても偏見でみてしまうし、そもそも陰口は好きではない。
けれど火のない所に煙は立たぬともいうし、これだけたくさんのうわさがあるのだからさすがにそのうち1つくらいは本当なのかもしれない。
クラスメイト達が口々に話していた情報はどんなものがあったかなと少しだけ思い出そうとした。
しかしすぐにそんな無駄な思考を頭の片隅においやり、目線を手元に戻すと読書を続ける。
どうやら噂の転校生も入室早々いきなり暴れまわるようなことはしないらしく、適当な席に着席したようだった。
私は少し安堵して手元の本を読み進めた。
時刻は17時を回り、図書室閉室の時刻が近づいてきた。。
そろそろ私も図書室の戸締りに取り掛かろうと、読んでいた文庫本にしおりを挟むとぱたんと閉じる。
その時、ふと新堂君の様子が気になった。荒くれものと噂の人物がこんな文化系の筆頭のような教室に来てどんなことをしているのか気になったからだ。
もしかしたら、あんなヤンキーみたいな姿をして勉強をしていたり、本を読んでいたりするのかもしれない。それともとっくに飽きて帰ってしまったのか。
もし本当に本を読んでいたら見た目とのギャップに笑ってしまうかもしれない。その時はどんな本を読んでいるのか聞いてみようか。
あれこれ勝手に妄想を膨らませながら私は年甲斐もなくわくわくを抑えられず窓際の席を見た。
するとそこにはどっしり座って片手に携帯電話を握り、大きな手で時折操作しては画面を見つめて動かない新堂君の姿があった。
その瞬間、不思議な事にその光景を見てがっかりする自分がいた。百年の恋も冷めるほどの落胆とはこういた状況なのかもしれない。
そもそも、勝手な期待をして、妄想を膨らませていたのは自分だ、新堂君が裏切ったり何かをしたわけではない。
聞いていた噂を嘘だと思わせるような何かがでてくるのを期待していただけに、イメージ通りの光景がそこにあったことが残念だったのだ。
例えるなら、今にも倒壊しそうなほどボロボロな外観の飲食店を、無理矢理歴史ある老舗料亭だと思い込んで入店した結果、出てきた料理はやっぱりまずかった、みたいな。
それに自分が大切にしている図書室をたまり場のように特に目的もなく利用されていることが、一層裏切られたような気持ちにさせた。
室内で通話をしているわけではなく、スマホを触るのは周りに迷惑をかけていない分マナー的にもアウトではなくグレーなのだろう。。
だけど、そこからエスカレートすれば空気の悪い空間になりかねない。それだけは避けたかった。
「新堂君、申し訳ないけれど図書室での携帯電話の操作は控えてくれるかしら」
カウンター越しに声をかける。声をかければさすがにやめてくれると思ったのだ。
しかし、彼は返事をするどころかこちらを見ることすらしなかった。
相手にされていないどころか馬鹿にされているような気持ちになり、次第に転校生に対する恐怖よりも怒りの気持ちが勝ってくる。
それでも注意はしなければならなかった。今度は彼が無視できないように席の前まで行き改めて声をかける。
「ちょっと!ねぇ、新堂君、聞いてるの!?」
すると、新堂君は周囲をくるりと見回すと、こちらを見た。
「新堂君聞いてる?ここは図書室なの。携帯で遊ぶ場所じゃないわ」
返事がないことに少しいら立って続ける。
ようやく重い腰を上げる気になったのか、新堂君は口を開いた。
「いや、これは遊んでたわけじゃなくて…」
この期に及んででてきたのは言い訳だった。素直に謝ってくれればこちらも注意だけで済んだのかもしれない。
けれど、まさか開き直られるとは思ってもいなかった。
「遊びじゃないならメールかしら?そんな屁理屈は必要ないわ、あなたの噂話は話半分程度にきいていたけど、その言いぐさじゃそれなりに信憑性はありそうね」
人のうわさ話なんてどれだけ信憑性があるかなんてわからないと思っていた。だけど、彼の態度を見ていると、そんな風に思っていた自分が馬鹿らしく思えた。
それからも彼は言い訳を並べようとしたけれど、一蹴してなんとか図書室から追い出すことに成功した。
教室からでる彼の姿はなんとなく寂しそうな表情をしていたようにもみえ、一瞬悪いことをした気持ちになった。
だけど、居場所を守るためにはしかたなかったのだと雑念を振り払い、私は図書館の戸締りを続けたのだった。
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