第23話 舞依の過去

 風呂から上がって舞依たちがわいわい騒いでいる様をなんだかなーと見ているうちに夜も更けてきた。俺たちは寝ることになったのだが、どこに誰が陣取るかで少々時間がかかった。


 舞依と一緒に寝るといって譲らなかったユリカには舞依の部屋のベッドがあてがわれて、ユリカは喜んでその中で丸まっている。そのベッド脇に日奈。舞依の部屋には二人が限界なので、俺と舞依はリビングで布団を敷いている。


 俺と舞依が二人きりになることに関して、異論反論は出なかった。俺たちはトモダチの間柄なのだが、それでも思春期の男女だ。間違いのありうる年頃だ。夜中のリビングで俺と舞依が何かヘンなことをする、あるいは俺が舞依に悪さをすることを懸念されてしかるべき年齢なのだが、俺を排除するという案は出なかった。


 俺、信用されている?


 あるいは、俺、仮面リア充で陽キャの女子に全く手を出してないから侮られてる?


 まあ、どちらでもいい。舞依と出会った時の悪印象は消えていて、「好意」と呼べるものに変わってはいるのだが、その舞依に手を出すつもりは毛頭ない。そりゃあ、俺も年頃の男子だから異性に対する本能的な欲望はないわけではないのだが、理性がそれを上回る。


 過去の、風呂で思い出したばかりの「まどか」との思い出が、それに拍車をかけている。あの思いを再びするぐらいなら、俺は「彼女」はいらないし、一生「仮面リア充」で十分だと思ってしまう。


 そんな事を考えながら、歯磨き洗顔を終え、舞依と隣合わせの布団に入って電気を消して『おやすみなさい』をして眠りについた。


 ………………


 眠れなかった。


 胸の奥底から湧き出してきた記憶が、俺を未だに惑わせていた。


 忘れよう……そう思うほどに意識してしまい、まだ過去の事として消化しきれていない俺自身を認識せざるを得ない。


 俺が人として未熟なのか、あるいは傷が大きくて癒えていないのかはわからない。でも、成長して大人になればそういうこともあったと笑い話に出来るとはとても思えなくて、たぶん一生俺の中で後悔として俺をさいなみ続けるのだろうと、思っている。


 ――と、


「ねえ、寝ちゃった?」


 隣、背中を向けている舞依の小さな声が耳に届く。


「いや……」


 少し戸惑いながらも返事を返した。


「起きてる。風呂で昔のこと思い出して……ちょっと眠れそうにない」


 舞依の優しい吐息が聞こえた。


「なんで桜木君、『トモダチキャラ』とかやってるの?」


 舞依が、そっと優しく、問いかけてくる。


「外見イケてるし中身もいいんだから、誰でもいいから彼女の一人も作ればいいのに、とか思ったりもして……」


 ふふっと、舞依は小さく笑った。続けて舞依は、興味があるという抑揚で聞いてくる。


「気になる娘とか……いないの?」


 俺は戸惑う。舞依が俺の中に入ってこようとしていると感じる。心がちりちりする。でも不思議なことに、舞依のその問いかけが傷に掛けられる優しい息吹の様にも感じる。傷が疼くと同時に、少しだけ。ほんの少しだけ癒されてゆく様にも感じていた。


「昔、彼女がいたんだ……」


 気付くと、舞依に吐露していた。


「その彼女と『友達同盟』を作って……そして些細な事ですれ違って、別れた」


 一度口にして一拍置く。自分の心中を手探りで確かめる様に続ける。


「違うな。そうじゃない。些細な事だと思っていたのは俺の方で、彼女には大切な事だった。俺にはそれがわからなかった。だから俺は失敗して、彼女を傷つけた」


 苦いセリフだった。でも何故か舞依に伝えたいと思っている俺がいた。誰かに白露して楽になりたかったのかもしれない。


「俺がわかってやれなかったんだ。だから、俺には彼女を作る資格がない。いや、それも違う」


 俺は続ける。


「怖いんだ、分かり合えないのが。分かろうとして傷つけあうのは……もう、嫌なんだ……」


 苦しかった。自然と身が震えていた。


 そんな俺を……優しく背後から抱きしめてくれる腕があった。


 いつの間にか俺の布団の中に入ってきた、舞依だった。


「辛かったんだね、桜木君……」


 舞依は、そっと、母親の様に優しい言葉をかけてくれた。


 舞依の体温を感じる。その温かさに、ずっと苛まれていた重しが溶けてゆくと感じる。


「私はね。ずっと独りぼっちだったわ」


 舞依が耳元で、囁いてきた。


「小さいころから引っ込み思案でぼっち。家は母子家庭でむしろ裕福だったんだけど母親はキャリアウーマンで家を顧みず、仕事三昧。幼稚園にはいかないでベビーシッターを頼まれていたから小さいころから家でぼっちで、一人でご飯食べる毎日で。寂しくてずっと『友達』にあこがれてた」


 舞依の言葉は、俺の中に清水の様に流れ込んできた。


「ぼっちっていうか友達はものすごく欲しいんだけどでも、小さいころから独りで過ごしてきたから他人が苦手になっちゃって。会話経験がなかったから意識的にじゃないんだけど、他の人に対して身構えちゃう所があるっていうか、自然と壁が出来ちゃって」


 舞依は続けてくる。


「対面して話しかけられると頭が真っ白になってあわあわしちゃって逃げるばかりで。年頃になって、もともと容姿がよいこともあって男子に告白されることが増えてきたけど、女の子の友達でさえ作るのが難儀なのに『男の子の彼氏なんて!』って一言も返さずに逃げ去るばかりだったら、何故か『氷姫』と呼ばれるようになっちゃって……」


 舞依はふふっと可笑しそうに笑う。


「どうしてこうなったんだろうって自分でも思うわ。友達欲しい、もっと言うと彼氏だって究極的には欲しい。学園リア充に憧れていて、でも自分から動くことなんて無理。そんな時、桜木君がきっかけをくれたの。だから……」


 舞依が俺の背に顔を埋める。それが感触でわかった。


「『優斗』には感謝してる。気に入らないクソリア充だったけど、もう全然そんなこと思ってない。優斗が友達同盟の管理人でよかったって、今では心から思ってる」


 舞依がそこで言葉を切る。


 柔らかい腕に抱かれて、温かい体温に包まれて、安らぎを感じていた。


 こんなにリラックスして安寧を感じたのはいつ以来だろうか?


 まどかと仲良く過ごしていた時にはそういう感覚があった気がする。今となっては苦さに打ち消されてしまった朧気な感覚だが……


 俺は、自分の胸にある舞依の手に、俺の手を重ねた。


「ありがとう」


 一言、短く言葉にした。舞依と身体を重ねていてそれで充分だと思ったし、それで俺の想いは伝わると実感していたから。


 口内の苦さは消えていて、身体の震えも止まっていた。


「私……優斗の友達に成れたかな?」


 舞依が無邪気な声音で聞いてきた。どうなんだろうか? と自問自答する。


 俺は『友達』を作るつもりは一生涯ないつもりだった。だから『トモダチ』だけを作ってきた。表面上だけの繋がりの、互いの心に踏み込まないカタチだけのユウジン。でも、今、俺の背にいる舞依はトモダチなのだろうか? 自分に問いかける。違う……と思った。ならば、作りたくはなかった友達なのだろうか? と考えて答えは出なかった。


「私……優斗の『友達』じゃないの?」


 ふふっと舞依が言葉と共に笑った。ねぇ、どうなの? と俺を虐める様な音程。


「どうなんだろう、な?」


 俺は正直に答えた。


「舞依のこと、最初は適当にお茶を濁しながら舞依に『トモダチ』をあてがってごまかして去っていけばいいって思ってた。でも、今は舞依や日奈やユリカと一緒にいたいって思う俺がいる。舞依たちと一緒にいて、怒ったり泣いたり笑ったりしている俺が心地よいって思ってる」


 舞依は黙って聞いてくれていた。


 依然として、人と近づく怖さ、あの昔の苦い味は俺の中から消え去ってはいない。でもその一方で舞依と一緒に活動するに従って、舞依たちを求める気持ち、舞依たちと一緒にいる心地よさを実感している俺がいるとも感じている。


「本当に、どうなんだろうな……」


 独り言ちるようにつぶやくと、舞依が優しく頭を撫でてくれた。


「焦らなくていいって思う。優斗、つかれたんだから、ゆっくりすればいいって思う」


 そのまま……


 二人して身体を重ねたまま安寧の中に沈み込んでゆく。


 舞依はすやすやと寝息を立て始めて、俺の意識も安らぎの中に薄れてゆく夜だった。

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