第21話 優斗の過去①

 ダイニングのソファで時間をつぶしていると、パジャマ姿の日奈たちがさっぱりしたという様子でLDKに入ってきた。


 舞依がタオルで黒髪をふきながら、上半身を起こした俺に声をかける。


「上がったわ、桜木君。入ってきて」


 その舞依の言葉を受け、お風呂で親睦を深めて親密になったという様子の三人をあとに残して、浴室に向かった。


 脱衣所で服を脱ぎ浴室に入る。綺麗なタイルに包まれた心地よい空間で、バスタブから湯気が立ち上っている。身体を洗い流してから湯舟の中に入る。暖かいお湯に包まれて、ふぅと息をついた。


 先ほどの舞依や日奈たちの様子。和気あいあい。長年の付き合いで気心の知れた親友という様子だった。ここで何か会話とかコミュニケーションがあって、分かり合った部分があるのだろう。


 まあ、男子の俺にはわからないし、関わりのない事だとも思う。詮索するつもりもない。確かに俺は昔『あいつ』、綾崎まどか(あやさきまどか)と付き合っていて、互いに相手の心の奥にまで入り込んで分かり合ったと『思い込んで』いて……。そして失敗した。


 天井を仰ぐ。


 薄ベージュのコンクリートに湯舟から立ち上っただろう雫がついている。


 俺は静かに目を閉じた。



 ◇◇◇◇◇◇



 俺とまどかのほころびは突然で、最初は些細なものだった。些細なものに思えた。


「アメリカのカーネギーメロンに留学するって話があるんだけど……」


 まどかが俺の部屋でくつろぎながら口にしてきた。


「アメリカ……。そのカーネギーなんちゃらってすごいのか?」


 俺もまどかの突然のセリフに戸惑いながら反応を返す。


「まあ、すごい。カルフォルニア大バークレーとスタンフォードと合わせて、三大IT学部」

「まどかがすごいっていうんだから、すごいんだな。やったじゃん。つーか、飛び級で大学か?」

「うん。コンピュータサイエンスの研究室」

「やったじゃん! まどかが認められたってことだよな!」


 と、まどかは少し難しい顔をして言葉を継いだ。


「でも……断ろうと思ってる」

「え?」

「断るつもり」

「なんで?」


 俺の素直な疑問に、まどかが少し険しい顔を見せた。


「だって、優斗と別れなくちゃならないんだよ。なんで『やったじゃん』なんていえるのかな?」

「でも……まどかは行きたいんだろ?」

「………………」


 押し黙るまどか。


「世界中の天才が集まるんだろ? そこでコンピュータ、やるんだろ?」

「………………」

「なら、行くべきじゃないのか?」


 この時の俺は、まどかの気持ちを少しもわかってなかった。まどかの背を押すことが、まどかの為になって、まどかの幸せにつながるんだと思い込んでいた。


「でも……。優斗と別れなくちゃ……ならない」


 まどかが辛そうに口にした。


「今生の別れというわけじゃないだろ。俺たち、まだ中二なんだし、将来だって……」

「もう中二なんだよ!」


 まどかが大きな声を出して俺は驚く。


「中学と高校はあと四年しかないんだよっ! この時間、私は優斗と一緒に過ごしたい! でも……」


 まどかが一拍置いて言い放つ。


「優斗と一緒に中学高校を過ごすのは今しかできないんだよ! なんで優斗は私と別れたいみたいなこと、言うかな!?」


 見ると、まどかの目が薄っすらと濡れていた。


「別れたいわけじゃない。ただ、俺はまどかの為にはそれがいいって思って……」

「私は優斗と一緒にいたい。他の事を全て犠牲にしても!」


 まどかの声が再び俺の部屋に響いた。


「私、優斗のことは本気なんだよっ!」

「俺もまどかのことは本気で思ってるつもりだ」


 思わず言い返してしまった。


 二人の間に沈黙が落ちる。


 じーっとした時間が過ぎてゆく。


「私、今日は帰るね」


 不意にまどかは立ち上がった。


「少し、優斗と一緒にいたいって思ってる私の気持ちも……考えてくれると嬉しい」

「まどかも、俺がまどかのことを考えてないみたいには言って欲しくない。少し頭冷やしてほしい」


 そのまま、まどかが部屋を出て見えなくなる。


 二人のその日の逢瀬はお開きになった。

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