第148話 教皇アーデルハイド
「ようこそ、いらっしゃいました」
「あらまあ……教皇の私室、300年前と殆ど変わらないわね。質素な部屋だこと」
「にゃあー」
「はっはっはっ。絢爛様式は外向けに威厳を保たせるものなのですよ」
装束こそ最高階級を表す豪華なローブではあれど、教皇の私室は間取りは広いけれどひどく質素で、まるでそう、清貧を旨とする修道僧みたいな様相だった。
私たちはダンジョンコアゲートを使って総本山アーデルハイドに到着し、聖堂の間で教皇との謁見……いや拝謁? まあ国のトップなのでそのようなイベントがあるのかと思えば、貴人向け待合室で待機後に私たちは彼の私室に呼ばれたのだった。
ハンス曰く、
『本当に腹を割って話がしたいときは、聖下は必ず私室へとその方を招きます』
とのこと。
ちなみにハンスは、こないだのマッチポンプスタンピード中に作った雷の大剣『武甕槌神』を背中に負っていた。白のローブに無骨な大剣が凄くシュール。うひひ。
飾り気の全くない木製テーブルの3つの座席にを勧められ、私たちは席につく。
ハンスは教皇直下の護衛聖堂騎士に大剣を預け……ようとして騎士がその重量で危うく潰れかけたので(剣の重さは500キロある)、慌てて取り上げて自分で部屋の隅の壁に立てかけていた。とても重いから注意してねって言ったのにね。
そんな様子をニコニコと、膝上に乗せたハチワレ白黒にゃんこを撫でつつ眺める教皇。序盤の「にゃあー」は私ではなく、この子の鳴き声であったりする。
「何やら凄まじい大剣のようですね」
「面白がって娘が作ったのよ」
「聖女殿の娘御にして、黒の使徒さまが」
「召喚勇者の武器が片刃の長剣『武御雷』だったらしく、影響されちゃってねえ」
「ほうほう」
「どうやら所有権利者は剣の重量を無視して、手足のように使えるらしいわ」
「それは素晴らしい」
「にゃあー」
特に差し障りのない話から始める。
ちなみに今回のにゃあーも白黒にゃんこの鳴き声である。
私はあえて口をつぐんだまま、静かに自分の出番を待っている。
ハンスはハンスでしばらく元聖女のママ氏に会話を任せようと判断したようだ。
「それで」
と、教皇は目線を左右にやった。
すると、彼直下の護衛聖堂騎士たちは一礼して部屋から退出していく。
「……ハンス枢機卿、報告は届いているよ。キミが神の啓示を受けて2度目の召喚をし、聖女殿と使徒さまを呼び出してくれたと。彼女たちこそ、われらが偉大なる神が僕を憐れんで遣わしてくださった方々。ありがとう……ありがとう……」
「はい……」
「単刀直入に。いつ、叶うのでしょう。僕の残り時間は流石に短くてね……」
「それについては使徒さまより……」
「死霊公爵にはもう連絡が行っていて、ドキドキしながら在りし日の思い出を反芻してるにゃ。よーするに、教皇が自分の身辺整理を済ませたら、いつでもにゃ」
「おお……!」
「……初恋かにゃ?」
「ええ……僕の恩人でもあり、初めての、そしてずっとこの方が心に留まっていて」
「簡単に経緯を聞いても、いいかにゃ?」
「もちろんですよ。むしろ語りたいです」
ノロケ話を引き出したのはわざとである。
だって……。
そのために死ぬというのだから。
高齢で自分に残された時間が少ないとはいえど、人間、死を目前にしたらどんなヒトでも相応にジタバタする。人を辞める覚悟の程を、見せてもらわないと……ね?
「僕の家は代々神官を努める家系で、しかし僕にはそれがたまらず苦痛でした。あれも教義、これも教義。教義こそ最優先。そういう堅苦しい家だったのですよ……」
意外と思うかもしれない。教皇にもなれた人物が、神への信仰を表す方策の一つでもある『アーデルハイド流、神への信仰の教義』を忌むとは。
でもね、神さまへの信仰は、その人に最も適した形で崇めたほうがいいと思うのですよね。だって、みんな形を揃えて同じ礼拝なんて、最初は良くてもいずれは様式美に堕ちてしまう可能性、無きにしも非ず。中身のない信仰なんてダメでしょう。
幼少期はそれでも我慢した。
綺麗に皆のマネをした。
だけど、常に自分の心に違和感がつきまとった。
12歳になった頃。
僕は、総本山の側にある森を半月の行程で横断するという上級神官訓練に僕は参加したのだった。例えるならそうだね……サバイバル訓練かな。
強き肉体こそ強い精神を育む。
入れ物あっての精神。
持ち物は3日分の水と食料。ナイフ。旅装用神官着、非常時救援魔道具のみ。
うん? 聖職者は刃物を持たない? そんなことはないよ。聖堂騎士なんて全員長剣を差しているからね。だいたい、斬るより鈍器で潰す方がエグいよね……。
それはともかく。
迷いを抱いていたことが、油断をもたらしたのかもしれない。僕は見通しの悪い森の中で、結構な深さの窪地に足を踏み外して気を失ってしまったのだった。
森は林と違って人の手が加わっていないから森という。危険度は段違いに高い。
身体をしたたか打ち付けて気絶して、目が覚めたとき我が身を疑ったよ。
右胸から、木の根が生えていたのだから。
穿いていたんだ。たまたま鋭く上を向いていた根に刺さるという形でね。
普通なら即死。まるでモズの早贄。
それが、不思議と僕は生きていた。
あとで聞く話、内腑を縫う形で穿いていたのだそうだ。
ともあれ、このままではいけない。早く処置をしないとさすがに死んでしまう。
僕は神官術の一つを使った。生命力を増幅させる術の真逆、生命力を閉じる術を。
それで背中の木の根だけを朽ちさせて、串刺し状態から、ひとまずはまだ根が身体に刺さってはいれど移動はできる状態へと抜け出す。
が、それまでだった。
実は食料切れで2日ほど生活術による給水以外口にしていなくて、力がロクに出せなくなっていた……。非常用救援連絡魔道具は窪地に落ちた際に何処かに落としてしまった。きっと近くにあるのだろうけれど、視界にモヤがかかって意識を集中できない。手足にしびれが。僕は膝をついて倒れた。やはりこのまま死ぬのかと思った。
でも、再び目が覚めた。
良い匂いのする寝袋に寝かされていた。
上半身裸で、代わりに胸に包帯をグルグル巻きにされて。
慌てて胸を撫でた。胸に痛みはなかった。
「――起きたかの?」
声は若かった。しかし口ぶりは、たったひと言にも関わらず幾百年も歳を重ねたような得も知れぬ重みがあった。しかし不自然さもない不思議な呼びかけだった。
僕は声の主へ振り返った。
当時12歳の僕より少し年上の少女が、すぐ側でこちらを覗き込んでいた。
「うわっ!?」
失礼にも驚きの声を上げてしまった。
「こりゃ。そんな驚くでないわ。せっかくとりとめた命が口から逃げていくぞ?」
「す、すみません。まさかあの状態から助かるとは思わなかったので……」
「まあ、フツーなら死んでおるの。じゃが、不幸中の幸い。お前を穿った木の根は内腑を縫うように抜けていた。なので、それを取り除いて、回復ポーションで癒してやればわりとあっさり完治した。若さが治癒力を高めたわけじゃなー」
「あ、ありがとうございます……」
「なぁに。たしかに不運ではあったが、それでも助けが入った幸いを神に感謝すればよかろうて。……お前はアーデルハイドの神官であろう?」
「はい。ここへは訓練として」
「アレか、上級神官の試練みたいな」
「はい、お察しのとおりです」
「ふむ。……ああ、わらわの名はアリスという。どこにでもいる冒険者だよ」
「どこにでも……?」
「うむ。冒険者といえばダンジョン探索を指すようだが、旅する冒険者もいるということじゃな。プレインズウォーカーともいう。ここは森じゃがな。うふふ」
「は、はあ……。僕の名前はクレイン・マーセナル。今は中級神官をやっています」
「見た感じ12歳とか13歳くらいじゃろ? それで中級神官とはエリートじゃな」
「いえ……僕は、迷いながらここまで来てしまった不心得者です」
「おっと、一物を抱えておるの? 若いというのは良いことよなー」
「……」
僕は口を閉ざした。
出会ってすぐの、しかも重傷を癒やしてくれた凄腕冒険者少女に自分は何を口走っているのか。下を向く。恥を知れ、自分。しかし腹はぐうと情けない音で返事した。
「あはは。大きな怪我をしてすぐ腹を減らすのは道理よ。なんせ使ったポーションは治癒力は高まる代わりに腹が減る。どうせ数日は水しか口にしてなかろう?」
「はい……」
「その試練というか訓練、見知らぬ人から食べ物をもらってはならぬとあるか?」
「いえ、そもそも人に会う確率が極端に低いので条項には書かれていません」
「それは重畳。ミルク粥を作っていたのじゃ。血を大量に失っておるゆえ少し塩味をキツくしてのぅ。ああ、乳は新鮮じゃよ。遅延性の道具袋に保存していたのでな」
「あ、ありがとうございます……!」
「ゆっくり、食すのじゃよ」
僕は木の皿に掬ってくれたミルク粥を、ゆっくりと味わっていただいた。
たしかに塩味が少し強めだった。いつもならカラいと感じるだろう。
しかし、このときばかりは、最高に美味しく感じた。食事速度が思わず上がりかけては気を張って抑制するのが大変だったほどに。
しばらく、食事を楽しんで。
僕は皿を彼女に返し、感謝を述べる。とても美味しかった、と。
少女はなんのなんのと鷹揚に頷いた。
そんな彼女を、僕は……素敵な人を見る目で、眺めた。12歳の青い少年である。
黒髪、黒目。大陸極東に住む扶桑という国の血でも入っているのだろうか。
均整の取れた顔立ち。
美しい。
変わった喋りもするりするりと耳に入ってちっとも不自然に思わない。
「うふふ……惚れたかの?」
「あっ……いえ……っ、な、なんというか」
「良い、良い。存分に惚れてくれて良い」
「あの、その……」
「うふふ。……まあ少年をからかうのもこれくらいにして。話を戻しても良いか?」
「な、何の話でしょうか?」
「若きゆえ悩みもあろう。ならば年長者として助言したい。どうせその場の行きずり、本音を吐いたところで得るものはあっても害にはなるまいよ」
「えっと……」
「大丈夫じゃ。わらわしか聞いておらん」
「うう……」
「ほれ、遠慮はいらんぞ」
「……し、信仰への教義は教義として、それだけが真の信仰なのでしょうか?」
「ほう……ほう! その歳でそれに気づくとは畏れ入るのう!」
「そ、そんなものでしょうか」
「……この世界ではない、いわゆる異世界には仏教という悟りを求め、仏にならんとする思想がある。まあ、人が人であることを超える超人への道であるな。ある時、創始者の仏はこう言った。『自分は自分なりのやり方で悟りを得た。方法は皆が知っての通り。が、悟りへの道は人それぞれ存在する。自分のやり方は無限にある悟りへの道の一つに過ぎない。なので自分に合った悟りへの方法を探しなさい』とな」
「つまり……?」
「教義を守るのも信仰のうち。礼節を失わず独自の信仰心を持つのもまた然り」
「そう……なん……ですか?」
「うむ。お前はお前の神を一つの側面だけで見てはならない。世にあまねく存在する神は、特にアーデルハイドで信仰される『神』が、なぜこの世界で主座にいるか。
「……鈍器で頭を殴られたような気持ちです。しかし清々しい気持ちでもあります」
「それは良かった。様々な角度に目を向けられる者、受け入れられる者は伸びる」
「はい、アリスさん」
「お姉ちゃんと呼んでくれても良いぞ」
「お、お姉ちゃん……?」
「うむ! もう一度! ほれ、もう一度!」
「お、お姉ちゃん……」
「うむ!」
よくわからない応答ではあったが、これをきっかけに僕たちは急速に仲を深めていった。別にこの訓練では仲間を募って行動してはならないとは書いていない。
条件は、三つ。
『指定の装備、指定の量の食糧を持つこと』
『3日間の食料がある間は単独で行動すること』
『半月の期日までに森を横断、目的地に着くこと』
いや、そんなことよりも、なのだった。
僕は彼女に恋をした。
可愛く、美しく、聡明で、優しい。
訓練が終わって彼女と別れても、いつかまた会う約束をし、しかしそれは叶わなかったが……ずっと僕は彼女を想い続けた。
司教に昇進して後、アーデルハイドの秘蔵する他国の要人資料集に、全人類の不倶戴天とされる魔国、リーン大陸の大半を埋める大国スレイミーザ帝国の三大公爵の一家、デスメトゥ家の当主にアリスがいたとしても、逆に腑に落ちるというか納得が行くだけで想いに陰りが差すことはなかった。
アリス・ツーアンクルズ・デスメトゥ。
スレイミーザ帝国三大公爵の1人。
通称、死霊公爵。
不倶戴天の魔族。だから……なんなのだと思う。
彼女は死に瀕した僕を――
実は自分が魔族であるというリスクを承知で助けてくれた。
なので、繰り返す。魔族だから、なんなのだと。
彼女と共になりたいためだけに、立場を高めることに腐心した。それ以外考えられなかった。それ以後のことも考えなかった。遮二無二に、昇進を目指し……。
僕は、いつの間にか、教皇になっていた。
「……目標設定するのはいいけど、なんでそこまで頑張れるのにその後の対策が抜けちゃうかなー。猪突猛進過ぎるにゃー。後のこともちゃんと考えるにゃー」
「いやあ……お恥ずかしい。一生懸命でそれ以外が思いつかなくて……政治的問題も立場が上がるほど累乗的に難しくなるとは思いもよらず……」
「もー」
と、そのときだった。
バタバタと慌ただしく走る音が。
バンッと開く扉。息せき切った神官の1人が転がり込んでくる。
「た、大変です! ス……スタンピード発生です! 総本山主道近郊にあるダンジョンより魔物が噴き出してきているとのこと!」
「にゃあ……なんで? あんなつまんないダンジョンからスタンピード?」
「……使徒さま?」
「うーん……他のスタンピードの影響で龍脈の流れが変わっちゃった?」
「あらまあ……」
「にゃふ。じゃあ、今回はにゃあが出撃するにゃ。イケナイコにはお仕置きにゃ!」
「にゃあー」
事態は急変する。
スタンピードを推し進めたのは私だ。ならば責任は私が取らねばならない。
教皇の膝上で寝そべる白黒にゃんこは、そんなもん知らんと鳴き声を上げていた。
【お願い】
作者のモチベは星の数で決まります。
可能でしたら是非、星を置いて行ってくださればと。
どうぞよろしくお願いします。
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