大河ドラマ「徳川慶喜」感想(3)
徳川慶喜を主人公に据え、成育歴と心情の変化を、家庭環境や水戸藩の事情、政治情勢とからめてじっくりと書いた創作物は他にはいまだにないのではないだろうか。
一応山岡荘八の「徳川慶喜」があるけれども(未読)、紹介文を見る限り、この大河のように内面に食い入ったものではないようだ。
安政の大獄が始まるまでの前半で、水戸の実家、一橋家の内情や辰五郎一家との関りをじっくり書き、主人公ケイキさんの人柄を印象付けたのは何分にもよかった。
「思えばこの時期が一番ケイキさんにとっては楽しい頃だったんだろうねえ。
なにしろああた、この後は、敵は千万守るは一人って有様になっちまうんだから」
というおれんのナレが、後半パートには残響して何重にも悲しい。
きかん気でわんぱくだが母の不在が心に陰を落としている水戸の七郎麿時代。
一橋家に入り、黒船来航で世間が騒然とする中での青年の自我の芽生え。自分を利用しようとする大人たちへの反発も生まれてくる。
自分を将軍継嗣にという取沙汰に、「また養子に出されてたまるか」
このセリフ、よかった。
そんな中でも父斉昭の政治活動を諫めるなど、後年の政治手腕の片鱗を見せていく。
そして安政の大獄。
罪なき幽閉、文字通りの暗黒の中で過ごした四年間。
水戸への弾圧、我が子と父の死、桜田門外の変による情勢の大転換を体験し、「誰にも内面を悟らせぬ鵺のごとき男になる」と誓っての再出発。
幕末創作物でよく出てくる徳川慶喜像、「何を考えているかわからん男」の像は生まれつきのものではなく、そこに到達するまでのこれだけのことがあったのだと、じっくり見せてくれたのはよかった。
他にも父との絆、母や兄との確執、妻や家臣たちとの絆も念入りに書いているのが、後々になってまた響いてくる。
……しかし、そうやって将軍後見職としてリスタートするのが25話、折り返し地点を過ぎちゃってるというのは痛い。
その後も禁門の変が34話、1865年の情勢は1年分が1話で片付けられるし、将軍就任が41話。
前半とは打って変わり、兵庫開港勅許や長州処分などの重要な政治案件はベルトコンベヤのように流れ作業的に片付けられていく。
江戸に帰って無血開城するまでもエピソードが目白押しなのに、あれもカットこれもカット、カットの嵐が吹き荒れる!
新門辰五郎の最大のハイライト「家康公の金扇馬印を担いで東海道を駈け下り」がスルーされるはずですわ。
ほんと、後半になるとアバンで「このドラマでは触れることができなかったが」という前おきで慶喜将軍時代の重要事項が補完されるケースが異様に目立つのが、スタッフの苦労がしのばれて辛いところ。
人間・慶喜の内面はしっかり描いたから、政治活動とかの本で読めばわかるようなことは自分で調べてね!ということか?
プラべといえば徳信院と美賀子との三角関係とか、史実上に元ネタはあるにしてもあんなにネチネチやらなくてもねえ。
それでいて、特に大事なのにすっぽ抜けているという箇所が結構ある。
その中で特に惜しまれるもの、これだけは書いておかないといけなかったのに!というものがある。
それは、「旗本八万騎がいかにドグサレだったか」。
慶喜の政治人生のハイライトは大政奉還と恭順宣言。
なぜそれをしたのか?という問いの答えは上記↓に尽きるのだ。
「幕府には優秀な人材が大勢いた」という言説は好きじゃない。
幕府は黒船来航以前は蘭学を嫌悪して悪けりゃ弾圧、良くてもせいぜい、やむをえず天文学のような実学に限って採用してやる必要悪扱いで邪険にしていた。
ではなぜ幕末期の幕府にあれほど大勢の洋学者がいたのか?
それは!
黒船来航に震え上がった幕府が保身根性丸出しで手のひら返し、親方葵の金と権力にものを言わせて泥縄で人材をかき集めたからである!!
その一部のテクノクラート以外は、累代の旗本はほとんどが幕府をATM扱いしこの世のすべてを冷笑することに命を懸ける、組織を蚕食し腐蝕させる存在でしかなかった。
薩摩の攻撃や外国の脅威がどんなに激しかろうと、組織内部を占める人間たちが優秀で、組織を守るという気概に溢れていれば戦える。
でも現実はそうじゃなかった。
旗本連中の怠惰と無能を示すエピソードをきちんと入れておかないと、慶喜の決断にも血が通わず見えてしまう。
幕臣中唯一薩摩と戦えた男、リーサルウェポンオブトクガワ・原市之進を殺したのは幕臣だった。
そのブラックジョークのようなメカニズムも、結局ほり下げられることはなかった。
これは本当に残念なところ。
しかしそれとは別に、本作において私が評価したい点がある。
それは、慶喜を明確に、尊皇主義者ではなく幕府中心主義者として書いているところだ。
御三家宮家の間に生まれ、名乗るは徳川思うは禁裏、菊をとるか葵をとるか、悩みは尽きせぬ政治の闇路……なんて苦悩はまったくない幕府大好きっ子徳川慶喜。
慶喜の政治行動を俯瞰的に見れば、そう思わざるを得ないのだ。
四侯会議を何度も粉砕する反面、自分の保身や目的遂行のために朝廷を利用しさえしている。
その反面現実主義者だから、幕府はもう昔の強権では立ち行かない、朝廷の権威を借りることも必要と理解している。
その行動が幕府からはいかがわしがられ、反幕府の危険分子とみなされ、しかし当の反幕派からは最大の敵扱い。
そんな中でも、少しでも幕府を存続させるために努力を重ねてきたけど(それに関しては議題草案作成やフランスの協力取り付けの描写でそれなりに書かれはしたが)、ついに幕府の再生不可能性、存在自体が日本に対する害悪であることを悟り、大政を奉還し、抗戦も断念する。
その壮絶な心中は、どんな文豪もよく書きだしうるところではない。
話が深まりすぎたが、しかし、やはり慶喜の胸中にここまで迫った大河はおろか創作物は他にはないだろうなと思う。
この脚本は細かいところにこだわっていて、ほんのちょっとしたシーンやセリフが史実のエピソードそのままだったりする。
慶喜が家臣の月代をそってやるシーンはわかりやすいが、斉昭が妻(慶喜母)吉子の揮毫を見て、「そなたの書はいつも心を打つのう」。
これは、慶喜母貞芳院は書家としても一流だったという事実に対応。
90歳までの長寿を保ったが85歳の時に堂々とした書を残している。
他にも若き日の慶喜が母も見守る前で、父に京都との文通をやめてくれるよう諫言するシーンは昔夢会筆記で慶喜が語る情景そのまま。
もっと資料を読んで知識を増やして、また見れば新たな発見があるんだろうな。
そう遠くないうちに3巡目に入りたい、そんな風に思わせてくれる稀有なドラマなのである。
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