うさぎ④
○
予想通り、不届き者は取り押さえられていた。だが、その正体は意外だった。
「何の真似だ?」
朔は、不届き者に聞いた。天丸と地丸に生け捕りにされていたのは、神社の妖と幽霊──しぐれとくろまるだった。
「何もしていませんわっ!」
「
騒々しく言い返してきたが、天丸と地丸に一喝された。
「わんっ!」
「わんっ!」
式神は噓をつかない。二頭は、くろまるとしぐれを前足で押さえつけている。このふたりの犯行だ。間違いない。
「金を盗もうとしたのか?」
単刀直入に聞くと、ふたりは首を横に振った。
「若っ! 失礼でございますぞ!」
「そ、そ、そうよ! わたくしが、お金を盗むと思いますのっ!?」
くろまるはともかく、しぐれならやりかねないと思ったが、とりあえず、その指摘はせずにおくことにした。
「では、こんなところで何をしている?」
不届き者たちはうろたえた。
「さ、さ、散歩でございますぞっ! 歩くことは健康にいいと聞きましたぞっ! 老化防止ですぞっ!」
「わたくしは、ダイエットを始めましたのっ! び、美容のためですわっ!」
健康? 老化防止? ダイエット? 美容?
そんなものを気にする
「天丸と地丸も
「そ、そうよっ! 太っていると老化が早いという説もありますわっ!」
必死に話を
「もう一度だけ聞く。ここで何をしている?」
くろまるとしぐれの目を見て問うと、ふたり同時に目を逸らした。誤魔化そうとしたようだが、見た方向が悪かった。
ふたりの視線の先には、それがあった。
うさぎ
店前の縁台に置いてある。
「これは何だ?」
朔が問いかけても、ふたりは返事をしない。とうとう黙り込んでしまった。
「質問に答えないということだな。いい度胸だ」
そう呟くと、くろまるとしぐれの顔が引き
鎮守に隠しごとをする眷属は問題がある。少し脅してやろうと、朔は式神に命じる素振りを見せた。
「天丸、地丸──」
見事に引っかかった。ただし釣れたのは、神社の眷属ふたりではなかった。無人のはずのかのこ庵の戸が開き、彼女が飛び出してきた。そして、盾になろうというのか、くろまるとしぐれの前に身体を割り込ませた。
「もう
これには、さすがの朔も驚いた。竹本和菓子店に戻ったはずの杏崎かの子が現れたのであった。
○
半日前、夕方になる少し前のことだ。
かの子は、竹本和菓子店を訪れた。営業中だったので裏口から声をかけると、竹本和三郎本人が顔を出した。到着する時刻を事前に連絡したので、かの子が来るのを待っていてくれたようだ。
どう話を切り出そうかと考えながら歩いて来たのだが、その必要はなかった。かの子の顔を見るなり、竹本は残念そうに肩を
「戻ってくる気はないんだね」
いきなり話が終わってしまった。竹本和菓子店に戻って来ないか、と病院で声をかけてもらって、迷わなかったと言えば噓になる。日本を代表する名店で働けるのは魅力的だし、生活だって安定する。
だけど、かの子にそのつもりはなかった。
「はい。竹本さんの作った柿あんの大福を食べて分かりました」
自分の未熟さが、改めて分かった。新の味を真似て
それだけが問題なら、むしろ竹本和菓子店に戻ろうと思っただろう。新の味を自分のものにしようと精進すべきだ。
でも、それだけじゃなかった。もう一つ、大切なことが分かったのだ。やっと気づいたというべきか。
かの子が気づくずっと前から、竹本は見抜いていたようだ。
「杏崎玄の味と違うことが分かった、ということかな」
「はい」
竹本和菓子店の味は上品だ。甘さは控え目で、癖がない。新も、名人と呼ばれた竹本和三郎の味を受け継いでいる。
しかし、それは、かの子の祖父の味ではない。やっぱり違う。
「そうだろうね。玄さんの味は、わたしにもせがれにも出せない。いつか、そう言われると思っていたよ」
ため息混じりに言ったのだった。
話が終わったかに思えたが、竹本は言葉を続けた。
「今さらだが、もう一つだけ言い訳をしてもいいかね」
「は……はい」
何だろうと思いながら
「新のやったことだ」
病院で話したときと同じように、申し訳なさそうな顔になった。
「うちのせがれが、かの子ちゃんを解雇しただろう? 実はね、あれは間違いだったんだよ」
「間違い?」
「正確には、順番を間違えたんだ」
「順番……ですか?」
何を言おうとしているのか、まったく分からない。解雇に順番があるのだろうか?
「本当に申し訳ない」
かの子に頭を下げてから、説明を始めた。
「あいつは、かの子ちゃんの腕を買っている。うちの店の若手の中じゃあ、一番の職人だと言っていた」
意外な言葉だった。新がそんなふうに思っていたなんて、想像さえしたことがなかった。
「ただ、竹本和菓子店向きの職人じゃないことにも気づいていた。目指すものが違うようだと」
新は嫌みな男だが、馬鹿ではない。和菓子職人としても一流だ。かの子が祖父の味を目指していることに気づいても、不思議はなかった。
「いったん竹本和菓子店の雇用を解除して、他のところで修業させるつもりだったんだよ」
思い当たる節があった。あのとき、新は仕事を紹介しようとしていた。そうか、あれはアルバイトではなく、修業先を
新の言い方も悪いが、かの子も早とちりだった。嫌みを言われると決めつけて、ちゃんと話を聞かなかった。
「でも、他のところでって──」
祖父の味を教えてくれる店があるとは思えない。すると、竹本が事もなげに言ったのだった。
「わたしの店だよ」
「え?」
竹本和三郎の店は、竹本和菓子店ではないのか?
「秩父の山奥に隠居したんだが、あまりにも暇だから、小さな店をやることにしたんだよ。
その話は知らなかった。竹本が隠居しているのは、駅から自動車で二時間以上もかかる本当の山奥だ。ただ温泉が出るので、いくつか旅館があるという。その旅行客を相手に和菓子を作るつもりのようだ。
「改めて聞くが、わたしの店で働かないかね。玄さんの味は出せんが、わたしは、あの人の和菓子をよく知っている。無駄にはならないはずだ」
竹本和三郎本人に誘われた。光栄なことだし、間違いなく勉強になる。祖父の味に近づけるチャンスだった。
でも、かの子は頷けなかった。修業する必要はあるが、今ではない気がした。かのこ庵は開店したばかりなのだ。それに。
みんなが笑顔になる和菓子を作りたい。
この夢に変わりはなかったが、ここ何日かの間に〝みんな〟の意味が変わった。笑顔にしたいのは、人間だけではないと気づいたのだ。妖や幽霊も笑顔にしたい。そんな和菓子を作りたいと思うようになっていた。
黙り込んでいると、竹本が察したように言った。
「そうか……。かの子ちゃんは、自分の居場所を見つけたんだね」
居場所。その通りだ。
「……はい」
頷きながらも返事に間が空いたのは、その居場所に受け入れてもらえるか分からなかったからだ。
かの子は、朔を思い浮かべた。彼に恋していることは──好きだということは、もう自覚している。
でも、朔が自分をどう思っているのかは分からない。今後、かのこ庵で働かせてもらえるだろうか?
その返事を聞くのが怖かった。
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