木守②

 世の中には、かの子の他にも妖や幽霊を見ることのできる人間がいる。霊感があると言っていいのか分からないが、鋭い人間は存在する。竹本が、その一人であってもおかしくはない。現に、久子も朔を見て鎮守だと気づいた。

「かの子ちゃんは、木守を知っているだろ?」

 断定する口調で問われた。やっぱり、かの子が妖が見えることを知っているのだ。

 今まで誰かに、妖が見えることを話したことはなかった。祖父や両親にも口止めされていたし、かの子自身、話さないほうがいいと思っていた。

 だけど、こんなふうに聞かれたら答えるしかない。返事をするしかない。

「は……はい。知っています。柿の──」

 妖と言いかけたところで、竹本が大きくうなずいた。そして、

「そう。柿の和菓子だ」

 と、言ったのだった。

(……危ないところだった)

 かの子は胸をでおろす。もう一歩で、秘密を口走るところだった。妖が見えるなんて普通の人間相手に言ったら、空気が凍りついてしまう。

 九死に一生を得た思いのかの子をしりに、竹本は説明を始めた。

「香川県高松市の『さんゆうどう』という老舗しにせに、そういう名前の銘菓があるんだよ」

 さまざまな媒体で紹介されている有名な和菓子だ。

「柿あん入りのせんべいと言おうかねえ。小豆こしあんと干し柿を練り合わせたものが挟まれているんだ。表面に押された渦巻の焼き印が特徴的な銘菓でね」

 かの子も食べたことがあった。サクサクと軽い麩焼煎餅の食感と、まったりとした柿あんの相性は抜群だ。

「茶席菓子としても好まれていて、抹茶ともよく合うと評判の和菓子だよ」

 そこまで話してから、竹本はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「三友堂さんの木守と張り合ったわけじゃないが、干し柿あんの大福を作ってみたんだよ」

 なるほど。竹本の大福には、確かに、白あんに干し柿を練り込んだものが包まれていた。

「三友堂さんのもう一つの銘菓、『木守柿』という菓子にも似ているはずだよ。お手本にして作ったからね」

 そんなふうにも言ったけれど、竹本の作った大福のほうが干し柿の風味が利いている。白あんは控え目で、干し柿だけであんを作ったと錯覚しそうな味だ。

 和菓子としての味は『木守』や『木守柿』のほうが上だろうが、干し柿を前面に押し出したのには理由があった。

「おじいちゃん、すっごく美味しかった」

 澪が絶賛すると、竹本が真面目な顔になった。

「そりゃそうだろう。自分で作ったんだから」

「え?」

 きょとんとする少女に、和菓子作りの名人は言った。

くさもちと一緒だよ」

 そうか。そういうことだったのか。竹本がこの大福を作った意図が、かの子にもようやく分かった。

「澪ちゃんの畑の柿で作ったんだよ」

 それが、竹本の工夫だった。木守の柿──ずっと梅田家を見守ってきた柿の木の実で、この大福を作ったのだ。

「かの子ちゃんの真似をしたみたいになっちゃったね」

 竹本は肩をすくめて見せるが、発想は似ていても技術が違いすぎる。また、彼の仕込みは大福だけではなかった。

「来年は、この柿でようかんを作ろうと思っているんだよ」

「柿の羊羹って美味しい?」

「ああ。美味しいとも。すごく美味しいよ」

 断言してから、秘密を打ち明けるような口調で続けた。

「澪ちゃんのおばあちゃんの大好物なんだよ」

 この一言は効いた。

「本当?」

 澪が、祖母の顔を見た。久子が、こくりと頷いた。無言で何度も頷いている。竹本が何を言おうとしているのか分かったのだろう。

「おじいちゃん一人だと、ちゃんと作れるか分からないんだ。おばあちゃんの気に入るような柿羊羹を作るのは難しいからねえ」

 しばらく困った顔で腕を組んでから、助けを求めるように竹本は聞いた。

「澪ちゃん、手伝ってくれないかね?」

「うん! いいよ! 手術が終わったら手伝うね!」


    ○


 澪のお見舞いを終えて、かの子は病室を出た。久子は、もう少し澪のそばにいるということだ。竹本と二人で、病院の外に向かって歩いていた。

 このとき初めて、澪の病室で竹本とかち合ったことが、偶然ではなかったと知る。

「今日、かの子ちゃんがお見舞いに来ると、久子さんから聞いてね」

 竹本が言った。澪が食欲を失っていることを、彼にも相談していたのだ。古くからの知り合いのようだし、澪も懐いている。しかも、頼りがいのあるタイプだ。久子が竹本に相談したのは、当然と言える。

「もっと早くお見舞いに来るつもりでいたんだけどね、あまり体調がよくなかったんだよ」

 言い訳するように続けた。店を新に譲ったのも、健康面で不安があったからだ。言われてみれば、また少しせたような気がする。

 大丈夫ですかと聞こうとしたが、その言葉を拒むように竹本が話を進めた。

「もちろん澪ちゃんのことも心配だったが、どうしても、かの子ちゃんに話しておきたいことがあって来たんだよ」

 思いがけない言葉だった。竹本和三郎が自分に会いに来たと言っているのだ。

「私に話ですか?」

「聞いてくれるかね」

 竹本は、今までに見たことがないくらい申し訳なさそうな顔をしていた。その顔のまま、かの子に言った。

「店に戻ってきてくれんかな」

 これが、竹本の話だった。なんと、竹本和菓子店に復職して欲しいと請われたのだった。


    ○


 かの子が竹本と話した数時間後のことだ。しぐれとくろまるが、御堂神社で怒っていた。

「それで、竹本和菓子店に戻っていったのですのっ!?」

「姫を見損ないましたぞ!」

 日が暮れようとしているが、かの子は神社に帰ってこない。一度は顔を出した。澪の見舞いを終えた後、朔に事情を話しにきた。竹本老人に頭を下げられた、ということも話してくれた。解雇を取り消したいと言われたそうだ。

 今の竹本和菓子店の主人は新だが、すべての権限を息子に譲ったわけではない。それにもかかわらず、竹本が体調を崩して東京を離れている間に、新が勝手にかの子を解雇してしまったのであった。

 竹本にしてみれば、かの子は兄弟子の孫だ。恩義もあるだろうし、かの子の和菓子作りの腕も買っていた。解雇を取り消そうとして、澪の見舞いついでに会いに来たということだ。

「必要とされているのなら、竹本和菓子店に戻ったほうがいい。おまえは、おまえの人生を歩め」

 朔はそう言った。相変わらず無表情だっただろうし、突き放すような口調になっていただろう。

 すると、かの子は口を閉じた。しばらく考えるような顔つきで黙った後、独り言を言うようにつぶやいた。

「そうですね」

 そして、神社から去っていった。「さよなら」も言わずに行ってしまった。しぐれやくろまるが知らない間に起こった出来事だ。

 朔の説明を聞いても、ふたりの怒りは収まらない。

「鎮守の借金を踏み倒すなんて、いい度胸ですわねっ! 末代まで呪って差し上げますわっ!」

「こればかりは、しぐれの言うとおりですぞっ! 姫ともあろうお方が、あんまりでございますっ!」

 今にも連れ戻しにいきそうだった。だが、ふたりは勘違いをしている。かの子はそんな真似をする人間ではない。

「踏み倒したんじゃない。おれが、もう返さなくていいと言ったんだ」

 しぐれが、目を丸くした。

「一億一千万円の借金を返さなくていいなんて──」

「ただとは言ってない。その代わり、かのこ庵をもらうことにした」

 その条件を伝えたとき、かの子は返事をしなかった。神社から出ていったのだから、たぶん、それが返事なのだろう。

 借金がなくなれば、ここにいる必要はない。人の世界に戻ったほうがいい。和菓子職人になる夢を追いかけたほうがいい。あやかしや幽霊と関係のない場所で幸せになったほうがいい。

「そんな──」

「若──」

 しぐれとくろまるが食い下がるが、朔はもう聞いていなかった。ただ、昔のことを思い出していた。

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