草餅①

 畑に行くことになったが、しぐれとくろまるは一緒に来なかった。

「太陽の光が苦手なわけじゃありませんわニャ!」

「その通りでございますニャ! 太陽ごとき、我の敵ではございませぬニャ!」

 早口だった。息継ぎをせずにまくし立てるような口調で、猫になっている。やっぱり昼間が苦手なのだ。

「あの神社にいるかぎり、昼でも夜でも平気なのだがな」

 梅田家に向かう道すがら、朔が教えてくれた。御堂神社には、不思議な力があるようだ。

「朔さんは大丈夫なんですか?」

 かの子は聞いた。彼もまた、太陽の光が苦手なはずだ。

「日傘があれば大丈夫だ。それに、かの子が一緒だからな」

「わ、私なんて……」

 顔が赤くなってしまった。二人きりの時間はすぐに過ぎ、あっという間に梅田家の畑の前に着いた。

 久子が、草むしりをしていた。病院ではなく畑にいる理由は想像できる。祖父が入院していたころとルールが変わっていなければ、医師の回診のある午前中は面会できない。しかし、家にいても澪のことが心配で落ち着かず、畑で身体を動かしているのだろう。

 自分も、そうだった。祖父が入院するたびに落ち着かない気持ちになり、家にいられなくなった。公園や神社で時間をつぶしたこともあった。初めて好きになった少年と会ったのも、そんなときだった。

 思い出すたびに、その少年と朔の顔が重なる。

 ──前に会ったことがありませんか?

 と聞いてみようかとも思ったが、今さらすぎる。それに今はそういう場合でもなかった。なぜ、カステラでは駄目なのか。その謎を解かなければならない。

 畑にいる久子は、かの子と朔がやって来たことに気づかなかった。何かに取りかれたみたいに、雑草をむしり続けている。朔は話しかけようとしない。とびいろの和日傘を差して、静かに畑を眺めている。

 畑に行けば分かると言われたけれど、これでは何も分かりそうにない。困惑していると、足もとから猫の鳴き声が聞こえた。

「みゃあ」

 いつの間にか、茶トラ猫がいた。あやかしの木守だ。かの子と朔を見て、人間の言葉で話しかけてきた。

「何か、ご用でしょうか?」

 柿の木の妖なのだから、畑にいるのは当然である。木守が宿っているらしき木は、畑の端にひっそりと立っていた。すでに実はなく葉も落ちている。どこにでもありそうな普通の柿の木だった。

「聞きたいことがあって来た。質問してもいいか?」

 そう言ったのは朔だ。木守が現れるのを待っていたようだ。

「かの子が、見舞いにカステラの詰め合わせを買ってきた。澪は食べると思うか?」

「いいえ。お召し上がりにならないと思います」

 即答だった。その瞬間、思い浮かんだことがあった。

「澪ちゃん、カステラが苦手なんですか?」

 本当に今さらの質問だ。誰にでも好き嫌いはあるし、それ以前の問題として、卵や小麦粉のアレルギーを持っている者もいる。引き受ける前に──せめてカステラを買いに行く前に、きちんと確認しておくべきだった。アレルギーは命にかかわることもある重大な問題だ。

 だが、そうではなかった。木守が首を横に振った。

「いいえ。お好きだったと思います。入院する前は、よく食べていました」

 そこまで聞いて、やっと分かった。むしろ、どうして今まで気がつかなかったのだろう?

「もう誰かが持っていったんですね」

「ええ。いろいろなお店のカステラをいただいたようです」

 当然の返事である。カステラは、お見舞いの品の定番だ。誰もが思いつく菓子でもある。

「最初のころは食べていたのですが……」

 今では、手もつけない。老舗しにせと呼ばれる名店のカステラをもらっても駄目だったという。

 朔が、念を押すように木守に聞いた。

「竹本和菓子店のカステラも、見舞いにもらっただろ?」

「ええ。そのようです」

 よく考えれば病院から歩いていける距離にある有名店なのだから、これも当然だ。澪は、そのカステラも食べなかった。

 かの子は、うなだれた。進もうと思った道は、行き止まりだった。仕事を失ったときと同じように、袋小路こうじに迷い込んだ気持ちになった。

 でも、同じではなかった。あのときと違って、かの子は独りぼっちではなかった。

「新しい和菓子を作ればいい。もっと自信を持って。くろまるもしぐれも、おれも、かの子の作る和菓子が大好きだ。きっと澪も気に入ってくれる」

 朔が言ってくれた。もう一人じゃないと教えてくれた。

 その言葉がうれしかった。独りぼっちじゃないことがうれしかった。涙が出そうになるくらい、うれしかった。

「ありがとうございます……」

 頭を下げると、本当に涙がこぼれかけた。泣き顔になるのを誤魔化そうと、目の前の畑を見た。

 久子が草むしりを続けている。畑自体はそれほど広くないけれど、久子一人で手入れをするのは大変そうだ。

「入院する前は、澪さまがお手伝いにいらっしゃっていました」

 木守が、昔の出来事を話すように言った。すると、見たわけでもないのに、その様子が脳裏に浮かんだ。

 幼い上に身体の弱い澪のことだから、たいした手伝いにはならなかっただろう。それでも、久子はうれしかったはずだ。澪だって、祖母の手伝いができてうれしいと思ったに決まっている。

 自分もそうだったから分かる。和菓子を作る祖父の手伝いをして、褒められるのがうれしかった。大好きな祖父の役に立てるのがうれしかった。あの時間は、かの子の宝物だ。もっとたくさん手伝いたかった、と今でも思う。

「──そっか。そうだよね」

 思わずつぶやくと、木守が不思議そうな顔をした。

「どうかしましたか?」

「はい。どうかしていました」

 かの子は答えた。まだ作ってもいないうちに落ち込んで下を向いた自分は、どうかしていた。

 祖父の言葉が、頭の中で聞こえた。


 職人は、口よりも手を動かすもんだ。

 腕がよけりゃあ、みんな笑顔になる。

 孫だって笑ってくれる。


 笑えなくなった子どもがいる。かの子の和菓子で、澪の笑顔を取り戻すことができたら、どんなに素晴らしいだろう。

 みんなを笑顔にする和菓子を作りたい。ずっと、そう思っている。子どものころからの夢だ。

 それをかなえるためにも、まずできることからやろう。

「草むしりを手伝ってきます」

「畑の草むしり……ですか?」

 木守はきょとんとしたが、朔は聞き返すことなく賛成してくれた。

「それしかないだろうな」

 そう。

 かの子にできるのは、それしかない。


   ○


 翌日、病院の面会時間が始まるのを待って、久子と澪のお見舞いに行くことになった。朔は一緒に来ない。

「これ以上、神社を留守にするわけにはいかない」

 鎮守なのだから当たり前だ。ただでさえ久子に会いに病院に行ったり、梅田家の畑に行ったりと、毎日のように外出している。

「本来なら、神社から離れてはいけないんだ」

 決まりがあるようだ。しぐれとくろまるも、昼間は神社の外に出られない。

「かの子なら平気ですわニャ」

「姫、余裕でございまするニャ」

 またしても、猫語になっている。平気でもなければ、余裕でもないと思われているのだ。小さな幽霊と妖に心配されるほど、かの子は頼りない。

 幼い少女の命がかかっている。そう思うとひざが震えた。逃げ出したい気持ちになったが、かの子には朔からもらった言葉があった。

「ここから先は、おまえの仕事だ」

 ──私の仕事。

 和菓子を作るのは、かの子が自分で選んだ仕事だ。誰に強いられたわけでもなく、自分の意志で選んだ。みんなを笑顔にする和菓子を作ることに、人生のすべてをささげるつもりで生きている。

 心配してくれている仲間たちへの返事は一つだ。かの子は、その言葉を口にした。

「大丈夫だから、私に任せて」

 自信があるわけではない。自分ごときが誰かを救えるとも思っていない。

 だけど、やらなければならないときがある。

 助けたい人がいる。

 自分を心配し、そして信じてくれる仲間たちがいる。

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