カステラ⑤
○
御堂神社に戻ると、朔がいた。くろまるとしぐれも待ち構えていた。夜じゃなくても現れるようだ。
「どこに行っていたのでございますかっ!?」
「出かけるなんて聞いてなくてよっ!」
「姫、我の質問にお答えくだされっ!」
「わたくしに黙って出かけるなんて百年早いですわ! どこに行ってきたのか、おっしゃいっ!」
問い詰める口調で言われた。ふたりとも、かなり怒っていた。なぜ怒っているのかわからず、その勢いに圧倒されていると、朔がくろまるとしぐれに言い聞かせるように言ってくれた。
「さっきも言ったはずだ。かの子は、買い物に行ってきただけだ。神社から出ていったわけじゃない。心配するな」
その言葉を聞いて、ふたりが怒っている理由が分かった。かの子を心配してくれたのだ。素直にうれしかった。だが、しぐれとくろまるは首を横にぶんぶん振った。
「かの子ごときを心配するわけありませんニャ! 出ていきたければ、出ていってもよろしくてよニャ!」
「我も心配しておりませぬニャ! 姫を信用しておりまするニャ!」
猫語になっている。その様子は、笑い出しそうになるくらい可愛らしい。まだ出会ったばかりなのに、かの子のことを思ってくれるのだ。
「カステラを買ってきたの」
自分の口から説明した。すると、さらに怒られた。
「なんで自分で作らないのよ? 和菓子職人でしょっ?」
「我も納得できませぬぞ、姫」
「手抜きはよくなくてよ」
「その通りでございますぞ、姫。自分でお作りくだされ!」
返事をすることのできない勢いで責め立てられていると、ふたたび朔が助けてくれた。
「そう言うな。かの子には、かの子なりの理由がある」
「理由とは、何でございましょう?」
「わたくしも聞きたくてよ」
ふたりの矛先が、朔に向けられた。だが、美しい鎮守は平然としていた。
「かの子が買ってきた菓子を食べれば分かる。余分に買ってきたんだろ?」
二つ目の言葉は、かの子へ向けたものだ。
「はい」
「余分に買うなんて、無駄遣いですわよ」
言われて、はっとした。多額の借金のある人間が、すべきことではなかった。一億一千万円もの借金があるのに、お土産を買って来るなんてのんきすぎる。
この神社に
「……すみません」
落ち込みながら謝った。それを見て、しぐれが慌てた口調になった。
「まあ、アレですわ! アレ!」
「アレ?」
「つ、つまり……、敵を知るためですわ! そのための必要経費だと思えば、ギリギリ許せますわっ!」
「敵?」
「こ……このカステラを作った男は、かの子をクビにしたのですわよっ! つまり、敵ですわっ!」
その発想はなかった。新と戦っているつもりはないのだが。
「姫をクビにした男の作った和菓子を
「そうよ! 江戸の仇をカステラで討つのよ!」
勢いだけで押し切ろうとしている。仇討ち要素がどこにあるのだろうか? 首を
「そうだ。その仇討ちだ」
御堂神社の鎮守は、いい加減であった。くろまるとしぐれを
カステラの単位は、『号』で表されていることが多い。店によって差はあるが、一号六百グラムが目安だと言われている。尺貫法の名残りだ。
竹本和菓子店では、その一号カステラを十切れにカットして売っている。最初から切ってあるのだ。
改めて包丁を入れる必要はなく、箱を開ければ、すぐに食べることができる。気軽に食べてもらおうという新の工夫だ。包丁を使わなくて済むので、お見舞いにもぴったりだった。
箱を開けると、四種類のカステラ──プレーン、黒糖、
新の作ったカステラは美しく、見るからに
「そ……そこまで言うなら、食べてあげてもよろしくてよっ!」
「いざ、出陣でございますな!」
くろまるは張り切っている。
「我は、プレーンを
「わたくしも、最初はプレーンでよろしくてよ!」
カステラを取ってくれということだろう。かの子は、ふたりが食べやすいように包装を開けてやった。
「では、いただきますぞ!」
「味を見てあげますわ!」
そして、同時に食べた。もぐもぐと
そのカステラは、幽霊や
「もう一切れ、食べてあげてもよくてよ」
「我にもくだされっ!」
「わたくし、蜂蜜を食べてあげてもよろしくてよ」
「我は、抹茶を所望いたしまするぞっ!」
カステラのおかわりを催促する。
「蜂蜜と抹茶ね。はい。どうぞ」
ふたりに新しいカステラを渡し、自分の分を確保した。手本にするために買ってきたのだから、全部食べられてしまう前に味を見ておきたい。かの子は、プレーンのカステラを口に運んだ。
(……美味しい)
悔しいほど美味しかった。口に入れた瞬間から美味しいし、
カステラにかぎらず、新の和菓子作りの技術は高い。代替わりで客が減ったが、いずれ売上げは戻ってくるように思えた。
「次は黒糖よ!」
「我は、もう一度、プレーンを!」
しぐれとくろまるは食欲
「味はどうだ?」
そう聞いたのは、それまで黙っていた朔だ。しぐれとくろまるが返事をする。
「た、たいしたことありませんニャ!」
「ひ……姫のほうが上でございますニャ!」
噓つきは猫の始まりである。ふたりの言葉は、猫語になっていた。勢いで乗り切ろうとしているくせに、目が泳いでいる。
「気を遣わなくていいから」
かの子は、力なく言った。新に負けていることは分かっている。相手は、名店の主である。修業もしっかりと積んでいる。リストラされた半人前の小娘では、敵にすらならないだろう。
だからこそ、このカステラを買ってきた。これを手本にして、祖父のカステラに少しでも近いものを作るのだ。そうすれば、きっと澪も食べてくれる。
その考えを口にした。くろまるとしぐれは感心してくれた。
「敵を利用するのでございますなっ! 姫、名案でございますぞ!」
「かの子にしては、上出来のアイディアですわ」
自分でも悪くない方法だと思ったのだが、朔の意見は違った。
「無理だな」
断言したのであった。
「澪ちゃんに食べてもらえないってことですか?」
「そうだ」
頷く朔は、カステラを一切れも食べていない。味を見なくても、澪が食べないと分かるようだ。
その理由が、かの子には分からない。新のカステラは口当たりがよく、味も抜群なのに。
「どうして駄目なんですか?」
「畑に行けば分かる」
「畑?」
「梅田家の畑だ。そこで話したほうがよかろう」
それが、朔の返事だった。かの子は、自分の失敗にまだ気づかない。とんでもない失敗を犯していたのに。
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