カステラ③

 植物にも、寿命がある。どんな巨木でも、美しい花を咲かせる桜でも、時が来れば枯れてしまう。

 だが、その一方で、百年も二百年も、ことによっては千年以上も枯れない植物があるという。

「精霊が宿った証拠だ」

 朔が教えてくれた。植物が妖になると、いつまでも枯れない。そして、猫や人の姿を借りて、動き回ることができるようになる。

 このとき、かの子と朔、木守は縁台に並んで座っていた。十二月の夜だというのに、野点傘の下にいると寒くなかった。ここは、本当に不思議な場所だ。

 足もとでは、天丸と地丸が寝息を立てている。くろまるとしぐれは、面倒くさくなったのか神社に戻っていった。周囲からは、何の音も聞こえない。静かだった。

 その静けさを壊さないような穏やかな声で、木守は言った。

「遠い昔から、梅田家の人々を見守ってきました」

 さっきもその言葉を聞いたが、まずそこから分からない。

「梅田家?」

「今朝の早い時間に、老婦人が神社に来ていただろ? 拝殿に手を合わせているのを見たはずだ。あれが梅田家のひさだ」

 朔が横から教えてくれた。かの子の頭に、朝の光景が思い浮かんだ。

「あのシニヨンの?」

「そうだ」

 朔は頷き、改めて木守を紹介した。

「こいつは、梅田家の守りあやかしだ」


    ○


「最初から妖だったわけではありません」

 木守の話は、そんなふうに始まった。もともとは、畑の片隅に植えられた柿の木だったという。

「植物にも意識はあるのですが、そのころの記憶はあいまいで、忘れてしまったこともたくさんあります」

 それでも、はっきりとおぼえていることもあるらしい。例えば、とくがわいえやすが幕府を開いたころに、一人のろう──梅田家の先祖が話しかけてきたこと。

「どうか、子孫を守っておくれ」

 ただの柿の木でしかなかった木守に手を合わせ、根元のあたりに千両箱を埋めた。

「この金で守って欲しい」

 大金を託されたのだ。精霊が宿り始めたのは、そのときからだったかもしれない。

 妖に比べると、人の一生は短い。すぐに死んでしまう。梅田家の人々もそうだった。数えきれないほどの人間が生まれて死んだ。死にそうになった人間を助けようと思ったこともあったが、寿命はどうにもならなかった。

 時代は流れ、町も人々も変わった。そんな中で、柿の木が伐採されずに済んだのは奇跡だ。いや、梅田家の人間が切らずにいてくれたおかげだ。久子も、枯れないように面倒を見てくれる。孫のみおも、柿の木を好きだと言ってくれた。

「私のようなものを大切にしてくれます」

 かのこ庵の店前で、人の姿になった木守は言った。言葉や表情から、感謝の気持ちがあふれ出ていた。

 だけど、その声はすぐに沈んだ。

「久子さまは息子夫婦を事故で亡くし、六歳になる孫娘の澪さまと二人で暮らしています」

 かの子の胸が痛んだ。祖父と祖母の違いはあるが、自分の境遇に似ている。両親を失った悲しみは、二十歳をすぎた今でも癒えていなかった。死んでしまった父母のことを思い出すと、泣いてしまいそうになる。

「澪は、生まれつき心臓が弱い。今は入院していて、来週、心臓の手術をすることになっている」

 朔が言った。鎮守として久子の願いを聞いたことがあるのか、千里眼のような不思議な力を持っているのか、梅田家の事情を知っているようだった。

 何も知らないかの子は、ただ聞き返すことしかできない。

「手術?」

「そうだ。だが、難しい手術ではない」

「よかった」

 心の底から思った。両親を失った澪に、自分の姿を重ねていたのだ。会ったこともないのに、感情移入していた。

 しかし、朔は首を横に振った。

「いや、あまりよくない状況だ」

「え? 難しい手術じゃないって──」

 言い返すような口調になった。すると、木守が応じた。

「手術を怖がって、すっかり元気がなくなってしまったんです」

「それは……」

 無理もないことだ。大人だって手術は怖い。六歳の少女がおびえるのは当然だ。

「食欲もなくなってしまいました。手術を乗り切れるか、お医者さまも心配しているようです」

 食べなければ身体がたない。体力がなくなってしまう。手術を延期することも検討されているようだが、できるだけ早く手術したほうがいい病気だという。

 そもそも延期したところで、澪が元気になるかは分からないのだ。食事ができない状態が続いて、今よりも体力が落ちることだってあり得る。

 木守が立ち上がり、かの子に頭を下げた。

「澪さまのために和菓子を作ってください」


 その場では、返事をしなかった。少し考えさせてほしいと木守に伝えた。柿の木の妖は無理強いすることなく、かのこ庵から帰っていった。

 木守がいなくなるのを待って、朔が言ってきた。

「断るんだな」

 お見通しなのだ。いつの間にか、足もとで眠っていた天丸と地丸が消えている。朔の懐に戻ったのかもしれない。かの子は、朔と二人きりになっていた。

「自信がないんです……」

 かの子は、正直に答えた。六歳の少女の命がかかっているのだ。荷が重すぎる。

「そうか。分かった」

 朔が縁台から立ち上がり、「行ってくる」と言った。その声はやさしかったが、かの子は慌てた。遠くへ行ってしまいそうな気がしたのだ。

「どこに行くんですか?」

「梅田久子のところだ。澪を助けるのが無理なら伝えるのが筋だろう。何度も神社に来てもらっているからな」

「そんな……。朔さんが助けてあげれば──」

「無理だ。鎮守にそんな力はない。木守も言っていただろう。人を救うことはできない、と。おれも同じだ」

 声が沈んで聞こえた。かの子は、何も言えない。自分が断っても、朔がどうにかしてくれると思っていたのだ。

ようかい相手の神社の鎮守だからな。人間相手には無力だ」

 珍しくちようするようにつぶやき、かの子に背を向けて歩き始めた。久子に謝りに行くつもりなのだ。

 拝殿に手を合わせる久子の姿が、かの子の脳裏に浮かんだ。自分に頭を下げた木守の姿もあった。

 でも、一番強く浮かんだのは、落ち込む朔の顔だった。そんな顔を見たこともないのに、はっきりと浮かんだのだ。そんなはずはないのに、助けを求めているように感じた。

「ま……待ってください! 私も一緒に行きます!」

 何もできないくせに叫ぶように言って、朔を追いかけた。彼を独りぼっちにしたくなかった。


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