カステラ②
○
十二月は、日が短い。夕陽が沈み、あっという間に日が暮れた。
そろそろ朔に言われた時間になるが、どこに行けばいいのか分からなかった。かのこ庵が消えてしまったのだから。
とりあえず、朔をさがしに行こうと思ったとき、
「姫、時間でございますぞ!」
「初日から遅刻するつもりですの? いい度胸でしてよ!」
くろまるとしぐれだ。今まで気配さえなかったのに、いきなり現れて騒いでいる。相変わらず元気いっぱいだ。
「姫、襖を開けますぞっ!」
「開けますわよっ!」
そう言いながら、かの子の返事を待っている。グイグイくる割りに、ふたりとも礼儀正しい。
「どうぞ」
返事をした瞬間に襖が開き、くろまるとしぐれが飛び込んできた。
「業務の始まりでございますぞっ!」
「一億一千万円分の奴隷奉公してもらいますわよっ! さっさといらっしゃい!」
何を言う暇もなかった。かの子は、まるで悪事を働いて連行されるかのように、建物の外に引っ張り出されたのであった。
拝殿の前に、朔が立っていた。夜なので和日傘は差していない。かの子を待っていてくれたようだ。
「では、行くとするか」
何の説明もなかった。美形の鎮守は、急ぐでもなく境内を歩き始める。
「行くって、どこにですか?」
ようやく聞くことができた。だが返事をしたのは、ちびっ子ふたりだった。
「仕事場でございますぞ!」
「馬車馬のように働いてもらいますわ!」
勢いがあるだけで、答えになっていなかった。このふたりでは駄目なのかもしれない。
改めて朔に声をかけようとすると、前を歩いていた鎮守が足を止めた。そして、かの子に返事をした。
「ここだ」
「……え?」
そこにあったのは、消えたはずのかのこ庵だった。数秒前までなかったはずなのに、ちゃんと店がある。
(おかしい……)
かの子は、目をこすった。しかし、建物は消えない。目の錯覚ではなかった。昨夜と同じように、
「で……でも、今日の朝は──」
竹藪しかなかった。まさか、早朝に見た景色が夢だったのか? それとも、現在進行形で、今、この瞬間に夢を見ているのか?
考え込んでいると、しぐれがため息混じりに言った。
「まだ分からないなんて、本当に鈍いですわね」
「分からないも何も……」
そう言いかけたとき、足もとで犬が
「わんっ!」
「わんっ!」
休んでいた天丸と地丸だ。縁台のそばからこっちを見て、何やら言いたそうな顔をしている。
「どうかしたの?」
「客が待っている」
返事をしたのは、朔である。
「え? お客さん?」
かの子は周囲を見た。──しかし、誰もいない。神社と鎮守の森、そして、夜の闇があるだけだ。困惑していると、ふたたび、しぐれがため息をついた。
「どこまで鈍いのかしら」
「客どのは、そばにおりますぞっ!」
くろまるが
「わんっ!」
「わんっ!」
客がいるのは本当らしいが、かの子には分からない。キョロキョロしていると、やさしげな少年の声が耳に届いた。
「ここにいますよ」
それは、野点傘の陰から聞こえてきた。誰かがいる。かの子は、じっと見た。そうやって目を凝らすと、野点傘の陰からしっぽがはみ出していた。
鈍いかの子でも、何がいるのか想像できた。
「もしかして……」
話しかけてきたのだから、ただの猫でないことは分かる。それでも聞かずにはいられなかった。
「
「はい。
茶トラ猫──木守が、こくんと頷いた。
人間型、動物型、付喪神など妖にもいろいろな種類がある。どんな妖が猫の姿を借りているのかは、朔が教えてくれた。
「木守は、柿の木の妖だ」
長い歳月にさらされると、植物に精霊が宿ることがある。
柿の木に精霊が宿り、妖となった。その妖が、茶トラ猫の姿を借りて現れたということのようだ。
「作って欲しいお菓子があって参りました」
木守は話を切り出した。本当に、かのこ庵の客だったのか。
「でも、どうして──?」
かの子は尋ねた。まだ開店さえしていないのに、いきなり客が注文に来るのは違和感があった。
「腕のいい和菓子職人が店を始めたと噂を聞きました」
「噂?」
木守に問い返すと、くろまるとしぐれが返事をした。
「我の仕事でございますっ! しぐれと宣伝して参りましたっ!」
「わたくしは、宣伝なんかしていませんニャ! ほ……本当のことを言っただけですわよっ!」
客が来たのは、このふたりのおかげだった。でも、いつの間に? かの子がここに来てから一晩しか経っていない。
「おまえを部屋に案内した後、ふたりで町に出ていったんだ」
今度は朔が教えてくれた。その言葉を聞いて、昨夜のことを思い出した。くろまるとしぐれは、わざとらしく
「……ありがとう」
他に言葉がなかった。
「かの子のためじゃありませんニャ! わたくし、一億一千万円を稼いでもらうことしか考えていませんニャ!」
「我は、姫のためでございますっ!」
返事ができない。感動して泣きそうだった。自分のために、こんなことまでしてくれるなんて。
そう思っていると、しぐれが木守に言った。
「最初に、はっきりさせておくことがありますわ」
とたんに涙が引っ込んだ。この女の子の幽霊が、何を言い出すのか想像できたからだ。そして、その予想は当たる。
「いくら払えますの?」
さすがであった。江戸時代から守銭奴幽霊をやっているだけはある。でも、客相手にストレートすぎる。注意したほうがいいと思ったとき、くろまるが声を上げた。
「金銭のことを口にするのは卑しゅうございますぞっ!」
𠮟られても、しぐれはめげない。むしろ、くろまるを
「ここはお店ですわよ。お
「我に口答えとはっ! そのような娘に育てたおぼえはありませんぞっ!」
「わたくしも、育てられたおぼえはないですわ」
「我の恩を忘れるとはっ!」
始まりかけた言い争いを止めたのは、木守の一言だった。
「お金でしたら、こちらに」
穏やかだが、よく通る声だった。視線を落とすと、縁台に黄金色に輝くものが置いてあった。しぐれが飛びつくように反応した。
「
目を見開き、テンションが上がっている。
「慶長小判……金?」
「江戸時代初期に作られたものだ」
横から朔が教えてくれたが、その説明ではぴんと来ない。博物館的な場所以外で、小判を見るのは初めてだった。
「価値のあるものなんですか?」
素人丸出しの質問をしたところ、しぐれが即座に返事をした。
「この状態の慶長小判金なら、三百万で売れますわ」
「さ、三百万っ!? ど……どうして、そんな大金を!?」
竹本和菓子店に勤めていたときの年収以上の金額を聞いて、思わず大声を出してしまった。
「
木守が答えたが、何一つ分からない。梅田家? 先祖? まだ何枚かある? どういうことだ?
頭が追いつかないかの子を見かねたらしく、朔が木守に言ってくれた。
「事情を話してやってくれないか」
「もちろんです」
そう
「でも、この姿では話しにくいですね」
そして、
白い
さすがに、誰だろうとは思わなかった。
「木守……さん?」
「ええ」
青年が頷いた。茶トラ猫が、
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