あこや②

    ○


 幽霊になっても、生きていたころの記憶が消えるわけではない。生前の思いに縛られているから成仏できずにいるのだ。しぐれも、そうだった。もう二百年以上も昔のことなのに、ずっと忘れられずにいる。

 江戸時代のことだ。今にも崩れそうな古びた貧乏長屋で、母と二人きりで暮らしていた。物心ついたときには、すでに父親はいなかった。

流行はやり病で死んだ」と母は言っていたが、本当のところは分からない。母と自分を捨てて、どこかに行ってしまったのではないかと思ったこともある。流行病で死んだと言いながら、墓どころかはいもなかったからだ。

 だけど、そう思ったことは口に出さない。聞いても仕方のないことだし、母が困りそうな気がしたのだ。

 父の顔さえ知らなかったが、しぐれは武士の娘として育てられた。ろくんでいたわけではない。浪人というやつだ。

 遠い先祖がせきはらの合戦で手柄を立てたと母は言っているが、それも本当のことかは分からない。似たようなことを言っている浪人は、江戸の町にいくらでもいた。そして、そのほとんど全員が食い詰めていた。

 食い詰めていたのは、しぐれの家も一緒だった。男手のない暮らしは貧しかった。母は針仕事の内職をもらって、しぐれを養ってくれた。

 三度の食事を取れないことも多かったし、お腹がいて眠れない夜もあった。家賃の取り立てにおびえて居留守を使ったこともある。

 爪に火をともすような毎日が続いたが、不満はなかった。母がいつもそばにいてくれたからだ。しぐれは、やさしい母が大好きだった。

 しぐれが八歳の年、じようの節句──ひなまつりのことだ。母が、あこや餅を作ってくれた。

 砂糖はぜいたくなものだったし、小豆あずきなどの材料だって、ただでは手に入らない。菓子を作る余裕などなかったはずなのに、自分のために用意してくれた。

「しぐれは甘い物が好きだから」

 そう言っては、団子や大福、甘酒などを買ってくれることがあったが、家で菓子を作るのは珍しかった。

「だって、雛祭りだもの」

 母は、にっこりと笑った。

 雛祭りは、女児の幸せと健やかな成長を祈る行事だ。京やおおさかでは、あこや餅を雛祭りの祝いの配り物とするという。可愛らしい形が、雛菓子にぴったりだ。

 西のほうの習慣だが、江戸には人と情報が集まってくる。あこや餅を作って、雛祭りを祝う親はいた。

 母も、貧しいなりにしぐれの成長を祝いたかったのだろう。いつだって、母はしぐれのことを一番に考えてくれる。

「元気に大きくなってね」

 あこや餅には、そんな母の願いも込められていた。

「はい。お母さま」

 しぐれは約束した。早く大人になって働きたかった。おあしを稼ぎたかった。母に楽をさせたかった。

 だが、その約束を果たすことはできなかった。約束を守ることはできなかった。

 雛祭りの翌月のことだ。しぐれは病にかかって死んでしまった。あこや餅を食べたのに、大人にはなれなかった。

 しぐれは、死んだ後も現世にとどまっていた。泣き崩れる母の姿や自身の葬式、それから、自分のなきがらが墓に葬られるところも見ていた。

 人が幽霊になる理屈は分からない。ただ、しぐれは成仏できずにいる。母を見守っていたい気持ちがあったためかもしれない。

 また、こんなことも考えた。人の一生は短い。母が天寿をまっとうしたら、一緒にあの世に行けばいい、と。

 自分も母も、きっと極楽に行ける。悪いことをしていないのだから、地獄にちるはずがない。そう信じて、母を見守っていた。現世にとどまり続けていた。

 死者は死者のままだが、生きている者は変化する。周囲の環境も変わる。しぐれが死んで三年の月日が流れたころのことだ。母が再婚した。

 不思議なことではない。江戸の町で再婚は珍しくないし、母はまだ十分に若く、そして美しかった。内職を届けた帰り道に、日本橋の商人に見初められた。その相手は、手堅い商売をしていると評判の薬種問屋の主人だった。

 生き馬の目を抜く江戸の町で、女が一人で生きていくのは大変なことだ。堅い商売をしている店に嫁げたのは、母にとってよいことだろう。

 これで内職をしなくても済む。三度のごはんも食べられる。家賃の取り立てに怯えることもなくなるし、病気になっても医者に診てもらえる。薬種問屋なのだから、ちゃんとした薬も飲める。

 ただ、心配なこともあった。母はおとなしい性格をしており、新しい家にめるかは分からない。しゆうとしゆうとめもいれば、古株の奉公人もいる。嫁いだはいいが、いじめられる女はいくらでもいた。

(お母さまをいじめたら、呪ってやりますわ)

 人を呪う方法など知らないのに、しぐれは決心した。どんなことをしてでも、母を守るつもりでいたのだ。

 でも、そんな必要はなかった。幽霊の出る幕などなかった。働き者の母は受け入れられ、嫁として大切にされた。夫婦仲もよく、何人もの子どもが生まれた。そこには笑いの絶えない家庭があった。母も笑っていた。いつもいつも笑っていた。しぐれは、母がこんなふうに笑うことを知らなかった。

 やがて歳月は流れた。町は変わり、母は年を取った。髪は真っ白になり、夫に先立たれていた。人生の終わりに近づきつつあった。

 たいていの人間の晩年は寂しい。長生きすると孤独になる。子や孫に冷たくされているわけではなくとも、一人でいる時間が長くなる。若い人たちの邪魔をしたくないという年寄り自身の思いもあるだろう。

 母も、一人ですごす時間が長くなった。独りぼっちで仏壇に手を合わせて、供も連れずに夫の墓に足を運ぶ毎日だった。

 驚いたことに、あれから五十年は経つのに、しぐれの墓参りもしてくれた。線香と花、そして、あこやもちを供えてくれた。墓石に話しかけるような真似はしなかったけれど、自分のことをおぼえていてくれたのだ。

「お母さま」

 呼びかけたこともあるが、死者の声は生者には届かない。母には、不思議なものを見たり聞いたりする力もなかった。しぐれがそばにいることに、一度だって気づかなかった。

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