あこや①

 しぐれは高笑いしながら、ムカついていた。

 御堂家は地主だし、代々の蓄えもある。朔も鎮守として稼いでいる。控え目に言って金持ちだ。一生かかっても使い切れないくらいの財産がある。

 だけど、一億一千万円が大金であることに変わりはない。ほとんどの人間にとっては、実物を見ることさえかなわない金額だ。よほどの資産家でないかぎり、銀行の口座にもないだろう。

「和菓子を取ってきます」

 かの子はそう断ると、店に逃げるように入っていった。しぐれの嫌みがこたえているようだ。

 その背中を見送ってから、しぐれは朔に意見した。

「あんなのを雇うなんて、お金の無駄ですわ」

 ケチすぎると、しぐれを馬鹿にするあやかしや幽霊もいるが、そういう連中のほうが絶対に馬鹿だ。お金がなければ生きていけない世の中で、節約するのは当然のことだ。

 無駄遣いは我慢できない。ましてや、一億一千万円の借金をチャラにするなんて愚行を許せるわけがない。鎮守以外の人間──かの子のような小娘が、由緒正しき御堂神社に住むというのも気に入らない。さっさと借金を取り立てて、ここから追い出して欲しかった。

「しぐれは、子どもでございますな」

 そう言ったのは、くろまるだ。意見を求められたわけでもないのに、しゃしゃり出てきた。

 見た目は小さな黒猫だが、中身は老害全開の妖だ。隙あらばマウントを取ろうとする。よく分からない謎理屈で、しぐれを押さえ込もうとする。年齢が上なだけで、自分のほうが優れているという顔をする。

「子どもは、大人の言うことを聞くものでございますぞ」

 こんなときだけ、大人の顔をするのだ。ただの八歳児なら負けてしまうだろうが、しぐれは二百年以上も成仏せずにいる幽霊だ。老害ごときに遠慮はしない。

「お金のことを心配するのが、どうして子どもなのよ」

 堂々と聞き返した。誰がどう聞いたって、まっとうな質問である。しかし、くろまるは、まともに答えない。ドヤ顔で論点をずらした。

「世の中には、お金よりも大切なことがあるのでございますぞ」

 もともと態度は大きいが、いつにも増して偉そうだ。

(また始まりましたわ)

 しぐれは、うんざりする。威張りたがり屋の年寄りが、この手の台詞せりふを言うときのオチは予想できた。二百年の間に、何度も耳にしていた。やさしさだとか思いやりだとか前向きな気持ちだとか、れいなだけで何の中身もない言葉を言うつもりなのだろう。

 抽象的な言葉は、自分の都合のいいようにゆがめることができる。「世の中」みたいに主語を大きくするのは詐欺師の手口だ。しぐれは、怪しげな石や健康になる水、高額な印鑑、正体の分からないつぼを売っている連中を思い浮かべていた。

 だが、違った。くろまるは、詐欺師ではなかった。しぐれの予想を超えただった。

「若と夫婦に──」

 その瞬間、かの子が店から飛び出して来た。


    ○


 くろまるもしぐれも声が大きい。店内にいても、ふたりの話は聞こえた。しぐれの言葉は、もっともだった。

 常識的に考えて、かの子に和菓子を作らせることで借金をチャラにするのは無駄遣いだ。朔は味方してくれたが、自分の作る和菓子に一億一千万円の価値があるとは思えない。

 それは自分にかぎった話ではなく、名人と呼ばれる和菓子職人が高級食材を使って作ったとしても、一億一千万円の値段はつかない気がする。

 そう思いながら聞いていると、くろまるが反論を始めた。お金よりも大切なことがあると言ってくれた。

 あのくろまるが、かの子をかばってくれている。味方してくれている。心が温かくなったが、次の言葉を聞いて目玉が飛び出しそうになった。

「若と夫婦に──」

 また、言っている。しかも、今度は声が大きい。

 朔は見映えがいいし、無愛想なだけで性格も悪くないが、そういう問題では、たぶん、ない。そんなつもりで、ここにいようとしているのではない。

「その話、ストップ!」

 叫ぶように言って、会話に割って入った。それから、こそこそとうかがうように朔の顔を見た。相変わらずと言うべきか、無表情だった。くろまるとしぐれの話が聞こえていないはずがないのに、顔色一つ変えずにお茶を飲んでいる。かの子のことなんて、何とも思っていないようだ。

 いやいや、当たり前だ。何とも思われていなくて当然だ。朔とは出会ったばかりだし、祖父が借金をした相手でしかない。何とも思っていないのは、当たり前だ。

 ショックを受けながら、自分にそう言い聞かせていると、しぐれに言われた。

「お菓子を持ってきたのなら、早く出してくださらない。客を待たせるなんて失礼ですわよ」

 これも、その通りだ。目の前で客が待っているのに、他の人間に気を取られていては駄目だ。頭を切り換えなければならない。

「お待たせしました」

 漆塗りの黒いひしぼんに盛り付けた和菓子を縁台に置いた。

「見たことのない和菓子でございますっ! 丸く伸ばしたしろもちにあん玉が載っておりますぞっ!」

 くろまるがテンション高く報告する。しかしふと、白餅が引きちぎったような形になっていることに気づいたらしく、何やら言い出した。

「引きちぎるとは、雑な仕事でございますな。しぐれごときは、これで十分という意味でございましょう」

 勝手に納得しているが、そんなはずがない。かの子が訂正するより先に、朔が首を横に振った。

「雑じゃない。これでいいんだ。江戸時代からある和菓子で、昔から引きちぎったような形をしている。そうだな?」

 最後の一言は、自分に向けられたものだ。かの子はうなずき、自分の作った和菓子の紹介をする。

「はい。あこや餅です」

 ぎりとも呼ばれるひなだ。あこや貝、つまり真珠貝にちなんでおり、あん玉を真珠に見立てている。その姿は、我が子を抱く母を想起させるものだとも言われていた。

 台となる生地に紅や緑などの明るい色を付けることもあるが、かの子はあえて白餅にした。昔のあこや餅は、今ほどカラフルではなかったはずだ。

「姫、みやびでございまするな!」

 くろまるは元気がいいが、肝心のしぐれが口を利かない。さっきまでの騒々しさが噓のように黙りこくっている。何もいわずに、ただ、じっと、あこや餅を見つめていた。

 様子がおかしいとは思わなかった。朔から事情を聞いていたからだ。

 ──和菓子なんか食べたくありませんニャ。

 この言葉にも意味があった。

 朔が話してくれたのは、しぐれの物語だった。

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