烏羽玉③
和菓子には、
「烏羽玉も、その一つです」
かの子は説明する。いろいろな店で作られているが、ぱっと思い浮かぶのは、京都の名店『
「うばたま……でございますか?」
初耳らしく、くろまるはきょとんとしている。その様子を見て、今まで黙っていたしぐれが、横から口を出してきた。
「烏羽玉も知らないなんて、無知なくろまるですわ」
「ほう。おまえは知っているのか?」
朔が聞いたが、質問というより
「当然ですわ」
オホホと高笑いをしてから、しぐれは話し始めた。
「簡単に言えば、あん玉ですわ。黒砂糖入りのこしあんを丸めて、寒天で覆い、けしの実をかけてあるのですわよ」
江戸時代からある和菓子だからだろう。しぐれはよく知っていた。
その言葉を聞いて、黒い宝石に興味を引かれていたくろまるが、肩透かしを食らった顔になった。
「ただのあんこの玉でございますか」
そう言われてしまうのは、かの子の技術不足のせいだ。例えば、竹本和菓子店の新が作った烏羽玉には、あんこの玉と分かっても目を離せなくなる美しさがあった。
「つまらぬものでございますな」
くろまるは興味を失ったらしく、烏羽玉を見るのをやめてしまった。このままでは、食べてもらうところまで
「なぜ、この菓子を作った?」
……そうだった。
その説明をしていなかった。緊張するあまり話すのを忘れていた。烏羽玉を作ったのには理由があった。それを客に話すのも、和菓子職人の大切な仕事だ。
朔のおかげで思い出すことができた。彼の顔を見ると、唇が静かに動いた。声は出ていなかったが、かの子には何を言ったのか分かった。
──がんばれ。
応援してくれている。そうだ。がんばると決めたのだ。かの子は頷き、烏羽玉の説明を始めた。
「『うばたまの』というのは、夜や黒などを導く
黒猫にぴったりだと思ったのだ。それだけではなく、くろまるの正体である烏天狗にも関係があった。
「また、中国の伝説とも関係していると言われています」
和菓子の本で紹介されていた逸話だ。『事典 和菓子の世界』には、次のような記述がある。
この手の話は、受け取る相手によって反応に差がある。
「皆までおっしゃいますな!」
何かに気づいた口調であった。皆までも何も、もう話し終わっているのだが。これ以上の意味はなかった。
「かの子が、どうして烏羽玉を作ったのか分かったようだな」
「当然でございますともっ!」
朔の言葉に、くろまるが大きく
「言ってみろ」
「この世を明るくするも暗くするも、我次第ということをおっしゃりたいのでございましょうぞっ!」
ものすごく都合のいい解釈──いや、誤解だ。黒猫も烏も、見かけが黒いので作っただけだ。たいそうな意味は込めていない。
訂正するのも悪いような気がして黙っていると、くろまるが話しかけてきた。
「かの子どのの力作を食べさせていただきますぞ!」
どの?
数秒前まで嫌われていたのに、いきなり名前で呼ばれ、しかも敬称が付いた。予想もしていなかった流れだ。突然の手のひら返しに驚くかの子に向かって、黒猫の姿をした烏
「食してもよろしゅうございますか?」
猫に人間の食べ物を与えるのはよくないと言われているが、くろまるの正体は
「ど……どうぞ」
「いただきまする」
礼儀正しく言って、烏羽玉をぱくりと食べた。ちゃんと一口で食べられるサイズに作っておいた。それにしたって、食べるのが早すぎる。ろくに
「美味しゅうございます! 我の名前が付いているのは、
いつの間にやら、烏羽玉を自分の名前にしてしまった。
「くろまるの名前かどうか分からんが、いい味なのは確かだ」
朔も烏羽玉を食べ、静かな声で褒めてくれた。
「いい味ではなく、絶品でございます! 周囲を覆う滑らかな寒天を嚙むと、黒糖と小豆あんの香りが口いっぱいに広がりまするぞっ!」
くろまるが競うように言った。気に入ってくれたようだ。ほっとしていると、急に声を落として言ってきた。
「合格でございますぞ」
「……ありがとうございます」
烏羽玉のことだろうと見当をつけて返事をした。かの子の作った和菓子を気に入った、という意味だと思ったのだ。
だが、その予想は外れる。合格したのは、烏羽玉ではなかった。
「今後は、『姫』とお呼びいたします」
姫?
謎の
戸惑っていると、くろまるが耳打ちするように言った。
「側室と言わず、若と
○
そ……側室? 夫婦っ!?
何をどう誤解したのか、自分と朔がそういう関係になると思っているようだ。かの子は赤面し慌てたが、朔は何の反応も示さなかった。何事もなかったように烏羽玉を食べている。くろまるの言葉が、聞こえなかったのかもしれない。
安心したような、がっかりしたような気持ちになった。いやいや待って。ちょっと待って。がっかりって、私は何を考えているんだ?
輪をかけて恥ずかしくなって、かの子はうつむいた。そのときのことだ。石を投げつけるような不機嫌な声が飛んできた。
「いつまで待たせるのかしら」
視線を向けると、しぐれが腕を組んで
「姫に無礼でございますぞっ!」
くろまるが注意したが、しぐれは見もしない。面倒くさいおっさんを無視して、かの子に聞いてきた。
「わたくしにも、お菓子をいただけますのよね?」
「は……はい」
この質問は、うれしかった。くろまるに出した烏羽玉を見て、少しは興味を持ってくれたのだろうか。
そんなことを思っていると、しぐれが聞こえよがしに言った。
「一億円の価値があるお菓子なんて楽しみですわ」
嫌みであった。分かっていたことだけど、くろまるより
「一億円じゃない」
ふたたび朔が口を挟んだが、今度は助け船ではなかった。
「一億一千万円の和菓子だ」
ハードルを上げたのであった。千円の和菓子だって作ったことがないのに、一億一千万円の和菓子とは──。
「それは、ますます楽しみね」
しぐれが満面に笑みを浮かべて、かの子に催促する。
「一億一千万円の和菓子を持って来てくださらない? 時は金なりですわよ」
そして、少女漫画やアニメに出てくる意地の悪い令嬢キャラのように、オホホと笑ったのであった。
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