烏羽玉②

 五分もしないうちに、天丸と地丸が戻ってきた。

 それぞれが、くろまるとしぐれをくわえている。あまみというのだろうか。首のつけ根を傷つけないように嚙んでいる。けんぞくふたりが小さいこともあって、子犬を運ぶ親犬みたいだった。

 ただ、ふたりは子犬ほど大人しくはない。白犬と黒犬から逃げることはできないようだが、口は達者なままだ。

「天丸と地丸を使うとは、きようでございますぞっ!」

「かの子の手先になるなんて、わたくし、信じられませんわっ!」

 犬にくわえられた格好のまま抗議する。その姿はユーモラスで可愛らしいが、笑ってはいけない場面だろう。

「悪かった」

 朔が、くろまるとしぐれに頭を下げた。それから改まった口調になり、ふたりに頼んだ。

「かの子が、おまえらのために和菓子を作った。味を見てやってくれ」

 鎮守が頭を下げたのだから、眷属は聞くしかない。

「……御意にございます」

「……分かったわよ」

 渋々といった様子を隠そうとしないが、それでも、ふたりは首を縦に振った。かの子の和菓子を食べると言ってくれた。

 頷いたのが合図だったかのように、天丸と地丸がふたりを離した。くろまるとしぐれが、どさりと地面に落ちた。妖と幽霊なのに、痛そうな顔をしている。

 朔は、眷属ふたりから式神二頭に視線を移した。

「ご苦労だったな。あとは休んでいていい」

「わんっ!」

「わんっ!」

 ねぎらいの言葉をかけられて、うれしそうにしっぽを振った。そして、犬の姿のまま縁台の下に寝そべった。式神というより行儀のいいペットみたいである。

 一方、くろまるは不機嫌だった。地面から起き上がり、苦虫を嚙み潰したような顔で言った。

「我に味見させるのなら、早く菓子を出してくだされ。さっさと終わらせとうございますぞ」

 天丸と地丸に無理やり連れて来られたのだから当然だけど、いかにも嫌そうだ。こっちを見ようとさえしない。

 朔はそんなくろまるの態度に慣れているのか、何事もなかったように話を進める。

「いい月が出ている。ここで食べるといい」

「ここ?」

「そうだ。店前だ」

 朱色のだて傘ともうせんを敷いた縁台があり、空には満月が浮かんでいる。こんなれいな場所で食べてもらえるなんて、和菓子職人みように尽きる。

 そう思っていると、もう一つ、幸せが飛んできた。朔が言葉を続けたのだった。

「おれも食べていいか?」

「は、はい。御堂さんに食べていただけるなんて──」

 光栄ですと言おうとしたとき、美しい鎮守が口を挟んだ。

「朔だ」

「──え?」

「下の名前で呼んでくれ」

「……はい。朔さん」

 恥ずかしかった。でも、うれしかった。彼の名前を呼んだだけで胸が苦しくなった。顔が熱くなる。

 頰を赤らめていると、くろまるの投げやりな声が割り込んできた。

「何でもよろしゅうございますぞ」

 一瞬、心の中をのぞかれたのかと思ったが、「ここで食べるといい」と言った朔の言葉への返事だった。

「わんっ!」

「わんっ!」

 天丸と地丸が、くろまるをとがめるように鳴いた。かの子の味方をしてくれているのだろうか。

 そう言えば、朔に頭をでられている姿は、どことなく自分に似ていた。


    ○


 くろまるは、気分が悪かった。やっていられない気持ちだ。小娘の作った和菓子など食べたくなかった。

 そう思っていることくらい分かっているだろうに、朔は話を進める。

「まずは、くろまるに食べてもらうといい」

「はい」

 かの子はうなずき、店の中へ菓子を取りにいった。一度に済ませてしまえばいいのに、わざわざ別々に味見させるつもりだ。くろまるとしぐれのそれぞれに別の種類の和菓子を作ったという。どこまでも面倒くさい。

「茶番でございますな」

 声に出して言ってやった。心の底から、うんざりしていた。馬鹿らしいにも、ほどがある。人間の作った和菓子が、自分のような大ようかいの口に合うはずがない。食べる前から分かっていることだ。

「我は、烏てんでございますぞ」

 黒猫は主張する。烏天狗は、あやかしの中でも屈指の神通力を持っている。また、剣術の達人でもあり、遠い昔、うしわかまると名乗っていたみなもとのよしつねけいをつけてやったこともあるくらいだ。

 時代の波にもまれ、ようりよくのほとんどを失ってしまったが、きようまではなくしていない。どこの馬の骨とも知れぬ小娘とれ合うつもりはなかった。

「若の物好きには、困ったものでございますぞ」

 大きくため息をついた。朔は仕えるに値する立派な鎮守だが、小娘に肩入れしているのは納得できない。店を任せた上に、神社に置いてやるなど言語道断だ。御堂神社はそんなに軽い場所ではない。

 まあ、あえて意をむとすれば、朔も年ごろの男だ。

「側室にするつもりでございましょうかな」

 今度は、声に出さずつぶやいてみた。その可能性は否定できない。むしろ、それしかないような気がする。

 地味な小娘にしか見えないが、たで食う虫も好き好きということわざもある。鎮守といえども、朔は人間の男だ。人間がどんな娘を好むのかは、妖である自分には分からない。

 それに、とくろまるは思慮深く考える。御堂神社の主である朔には、血筋を絶やさないようにする義務がある。

 だとすると、頭から反対するのはよくない。かの子を受け入れて、側室としてお育てするのが家令の役割ではなかろうか?

 考え込んでいると、かの子が戻ってきた。

「くろまるさんのために作ったお菓子です」

 漆塗りの銘々皿を縁台に置いた。皿には懐紙が敷いてあり、その上に、何かが載せてあった。くろまるの目が、その何かに吸い寄せられた。

「宝石でございますか?」

 呟くように問うた。他の何物にも見えなかったのだ。漆塗りの銘々皿の上で、月光を受けてつやつやと光っている。

「宝石ではない。かの子が作った和菓子だ」

 返事をしたのは、朔だった。さっきからずっと保護者のような口振りで話している。くろまるの予想した通り、かの子に気があるのだろう。

 そのかの子を見ると、朔の気持ちに気づいていないようだった。朔を見もせず、うつむいている。頰が赤いのは、風邪でも引いたのかもしれない。

 人間は弱い生き物だから、すぐに病気になる。くろまるの脳裏には、身体を壊した女性の姿が浮かんでいた。かの子の知らない人間の女だ。

 また、ご苦労なことに、恋の病というものまであるらしい。よく知らぬが、医者でも温泉でも治せない難病だと聞いた。朔も、それにかかってしまったようだ。

 病人は、懲り懲りだ。病がひどくなる前に、どうにかしなければならない。

(仕方ありませぬな。我の力でまとめますぞっ!)

 誰に頼まれたわけでもないのに、朔とかの子の仲を取り持つと決心したのだった。

 くろまるの思慮深い考えに気づくことなく、朔はさらに話を進める。

「かの子、この和菓子の正体を教えてやれ」

「は……はい」

 そう返事をし、くろまるに向き直った。

たまです」


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