烏羽玉①

 竹本和菓子店では、和菓子を作る場所を「作業場」と呼んでいた。「こうぼう」、「こう」、あるいは、普通に「ちゆうぼう」、「キッチン」と呼ぶ場合もあるようだ。

 かのこ庵の作業場は、ピカピカに磨き上げられていた。一度も使われたことがないのか、なべもコンロも新品だった。小豆あずきや白砂糖、上新粉などの材料もそろっている。今すぐにでも店を始められそうだった。

 美しい作業場に目を奪われていると、朔に聞かれた。

「どうだ?」

「す……素敵です」

 店の外見や内装も好きだけど、この作業場は文句のつけようがない。

「それはよかった。おまえの店だ。好きに使うといい」

 そう言って、さっきと同じように、かの子の頭に手を乗せた。やさしい手のぬくもりが伝わってくる。

 また、顔が赤くなってしまった。ずっとこうしていて欲しいと思ってしまった。一目れをしたのは、この店に対してだけではないのかもしれない。朔の顔が、すぐそばにある。胸が痛くなった。

 二人はその姿勢のまま、何秒間か止まっていた。ゆっくりと時間は流れ、朔が手を引いた。

「外にいる。用があったら呼んでくれ」

 それだけ言うと、作業場から出ていってしまった。しばらく、かの子の胸のときめきは止まらなかった。自分の胸を押さえるようにして、朔の出ていったドアを見ていた。このまま、ずっと見ていたかったが、そんな時間はない。

「よし、作るぞ」

 自分の頰をたたき、無理やり正気に戻した。自分には、やらなければならないことがある。正直なところ、半人前の職人には荷が重い。竹本和菓子店で働いていたときだって、一人で売り物を作ったことはなかった。

 でも、不安はなかった。朔の手の感触が、まだ頭に残っている。自分を応援してくれている。

 また、祖父から聞いた和菓子作りのコツを思い出した。


 食べる相手のことを思って作るんだ。

 上手うまく作ろうだなんて思うんじゃねえぞ。


 技術は大切だが、それ以上に、相手を思う気持ちが大切だと教えてくれた。言葉だけでなく、祖父はかの子にいろいろな和菓子を作ってくれた。

 饅頭まんじゆう茶漬けだけではなく、うさぎの顔をした饅頭など、思い出すだけで笑みがこぼれそうになる。自分にそんな和菓子が作れるか分からないけれど、しりみする気持ちはなかった。くろまるとしぐれのことを思いながら手を動かした。

 やがて、二つの和菓子が完成した。慣れない作業場で作ったせいか、予想していたよりも時間がかかった。

「急がなきゃ」

 太陽の光を苦手とするあやかしや幽霊は多い。彼らは、夜が終わると姿を消してしまう。くろまるとしぐれがそうなのかは分からないけれど、早く食べてもらったほうがいい気がする。

 ただ、問題はどうやって食べてもらうかだ。ふたりは、いまだに姿をくらましたままみたいだ。かのこ庵の外は静かで、姿を見せた気配はなかった。ここで待っていても来てくれないだろう。

「さがしに行くしかないか」

 振り出しに戻ってしまったが、見つけないことには話が始まらない。もう一度、鎮守の森に行こう。そう決めて作業場を出た。

 朔は、店の外に出ていた。何をするわけでもなく、かのこ庵の前に置いてある縁台に座っていた。月の光を浴びているようにも見えた。

 かの子が出てきたことに気づくと、美しい鎮守は話しかけてきた。

「さがしに行っても無駄だ。あんなのでも妖と幽霊だ。普通の人間がさがしたところで見つけられない」

 お見通しのようだ。そして、その通りなのだろう。さっき、さがしたときだって、くろまるとしぐれの気配さえ感じ取れなかった。

 だけど、さがすしかなかった。何日かかっても、ふたりを見つけ出すと決めていた。

「がんばって見つけます」

 子どものようなことを言ってしまった。本心だったが、具体性の欠片かけらもない言葉だ。

「そうか。がんばるか」

「は……はい」

 うなずくと、思いもしなかった言葉が返ってきた。

「おれに任せろ」

「え?」

「くろまるとしぐれは、おれが見つけてやる」

「でも、見つけられないって──」

「普通の人間ならば、な」

 朔は、懐から二枚の紙を出した。白と黒の紙が一枚ずつある。七夕に飾る短冊のような形をしていた。

「くろまるとしぐれは、が見つける」

 そして、二枚の紙を宙に放った。ひらひら、ひらひらと白と黒の短冊が舞い上がった。月の光を浴びてちようのように夜空を舞っている。

「姿を見せよ」

 朔が命じると、二枚の紙がふくれ上がった。月の光を吸い込むように、と大きくなり、それから、と変化した。

 次の瞬間、それらが強い光を発した。目がつぶれそうなくらいまぶしかった。慌ててまぶたを閉じた。

 ……その数秒後。

「わんっ!」

「わんっ!」

 犬の鳴き声が聞こえた。目を開けたときには、眩しい光と紙は消えていた。その代わり、二匹の犬がいた。もふもふとした毛並みの白犬と黒犬だ。背中に乗れそうなくらいに大きい。しかも、見おぼえがあった。

「この子たちは、さっきの──」

 間違いない。数時間前、スポーツバッグをひったくられたときに、バイクを追いかけていった犬たちだ。

「そうだ」

 朔は頷き、二匹の犬を紹介した。

「白いほうがてんまる、黒いほうがまる

「まさか……」

 思い浮かんだことを口にしようとしたが、朔がふたたび先回りして答えた。

「そのまさかだ。紙をへんさせた」

「変化……。そ、それは魔法ですか?」

「違う。そんなすごいものじゃない。ただの式神だ」

 朔は言うが、十分にすごいだろう。かの子でも、〝式神〟という言葉くらいは知っている。おんみようの命令に従って、変幻自在、なわざをなす鬼神、あるいは精霊のことだ。かの安倍晴明は京の鬼門の位置に屋敷を構え、『十二神将』と呼ばれる十二体の式神を使役していたという。

「……ただの式神」

 もはや繰り返すことしかできない。陰陽師の子孫だという話は聞いていたが、術まで使えるとは思わなかった。

 ふと、自分の祖先に不思議な力を授けた陰陽師の子孫ではないかとも思ったが、今となっては、確かめようもないことだ。

「天丸、地丸。くろまるとしぐれを連れてこい」

 朔が命じると、白犬と黒犬が返事をした。

「わんっ!」

「わんっ!」

 犬の姿をした式神たちが、夜の境内に駆け出した。その姿は、はつこくの疾風のようだった。


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