饅頭③

    ○


 から菓子くだものと呼ばれる菓子がある。飛鳥あすかからへいあん時代にかけて遣唐使や学問僧、渡来人によりもたらされたものだ。

 その多くは、米粉や小麦粉を生地とし、枝や虫、縄などのカタチに作って油で揚げられていた。しんせんとして作られることもあり、仏前にも供えられる。つまり、そもそもの時点から神社とゆかりがあったのだ。

 遠い昔の話だが、杏崎家でも神々へささげるための菓子を作っていた。ハレの日にもケの日にも用いられ、神社や寺などとも関係が深く、その菓子は重用されていたという。

 おんみようにも献上していたのは、先に述べた通りである。そのため、「おんみようつかさ」と呼ばれたこともあったようだ。たぶん、陰陽師に気に入られていた。だから、不思議な力を賜った。

 そんなふうに陰陽師から賜ったとされる不思議な力を、かの子は二つも受け継いでいた。


 噓が、猫語──語尾が「ニャ」と聞こえること。

 あやかしや幽霊が見えること。


 そして、後者の能力のおかげで、知っていることがあった。


 妖は、猫に化けている。

 猫の姿を借りている。


 もちろん普通の猫もいるが、多くの猫は妖が化けているものだ。かの子の知るかぎり、たいていの猫は妖だった。八割、九割はそうだと思う。

 人の姿で暮らしている妖もいるようだが、あまり見たことがなかった。妖そのものの姿で生きているものは、一度も見たことがない。妖の存在に気づいていないだけという可能性もあるが、人間の社会で暮らしていくには、猫の姿をしていたほうが都合がいいのかもしれない。

 くろまるが妖であることは疑いがない。それと話している朔も妖だと思ったのだ。そう思って見ると、人間にしては容姿が美しすぎる。二枚目すぎる。格好よすぎる。かんぺきすぎる。

 だが、朔は自分の正体には触れず、女の子の紹介を始めた。

「しぐれ。幽霊だ」

 幽霊は妖と違い、生前の姿で現れることが多い。過去には、ゾンビのような恐ろしい姿をした幽霊を見たことがあるが、しぐれは可愛らしい女の子だ。桜色の着物がよく似合っていた。

「江戸時代から、この神社にいる。見た目は八歳児だが、ただの子どもではない。普通じゃない力を持っている」

 朔は続けた。死んだからといって、幽霊になったからといって、特別な力が宿ることは滅多にない。幽霊のできることと言えば、気配を消したり急に現れたりして、人を驚かすくらいのもので、ほとんどの場合は無力だった。

 だが、何事にも例外はある。恐ろしい霊力を持つ幽霊もいた。「悪霊」だとか、「おんりよう」だとか呼ばれている死魂だ。

 女の子の幽霊──しぐれはそのなケースで、人を呪うような力を宿しているのか? だとすると、さすがに怖い。

 一歩二歩とあと退ずさりかけたとき、朔がふたたび言った。

「金勘定にけた守銭奴幽霊だ」

「へ? 守銭奴?」

 おかしな声が出てしまった。予想の斜め上をいく言葉だった。悪霊でも怨霊でもなく、守銭奴幽霊。そんなものは、初めて聞いた。

 情報をしやくできずにいると、当のしぐれが話しかけてきた。

「あなた、一億円がどれくらい大金か分かってますの?」

「も、もちろんニャ!」

 実は、分かっていない。分かるわけがない。けたが大きすぎる。しぐれが、疑い深そうにかの子を見た。

を張らなくてもよろしくてよ」

 バレていたらしい。噓をついたかの子を責めることなく、子どもに勉強を教える教師みたいな口調で続けた。

「借金は、一億円ではありませんわ」

「ほ、本当?」

 もしかして借金が減るのか。桁が間違っていて、一千万円──いや、百万円だったとか。かの子は期待したが、世の中は甘くなかった。

「利息を忘れていますわ」

 ばっさりと言われた。借金は増えるようだ。まあ、かの子だって、お金を借りれば利息を取られることくらいは知っている。「トイチ」や「トサン」という言葉だって知っている。

「あの……。その利息って──」

 おそるおそる金額を聞いた。相手は守銭奴幽霊だ。とんでもない利息を請求されるのかもしれない。

「ちゃんと書いてありますわ」

 しぐれは、借用書を指差した。一億円のインパクトが強すぎて、借用書の細かいところまで見ていなかった。

 かの子は、改めて証文に目をやった。


 金利は年2%とする。


 肩が落ちるほど、ほっとした。所得税や消費税よりもずっと低い。クレジットカードのキャッシングの年利の相場が15%程度であることを考えると、かなり良心的ではなかろうか。

 2%なんて、タダみたいなものだ。そう思ったのは、大きな間違いだった。安心すべきではなかった。一億円という金額の重さを分かっていなかった。

「一年に二百万円の利息が付きますわ」

「……へ?」

 慌てて頭の中で計算した。本当だった。本当の本当に、二百万円の利息が付く。その金額は、竹本和菓子店でもらっていた一年分の手取り給料とあまり変わりがない。

「借金の日付は、五年前。つまり、一億円に一千万円の利息が加算されますわ。複利なら、もっと利息を取れましたのに」

 しぐれが残念そうな顔をした。複利とは、利子にも利子が付くことである。これが採用されていると、雪だるま式に借金が増えていく。

 とりあえず、祖父の借金は単利だったようだ。しかし、まったくよろこべない。

「つまり、私の借金は……」

「一億一千万円になりますわ」

 あっという間に、借金が一割も増えてしまった。ショックを受けていると、足もとから声が上がった。

「若っ! われのことも紹介してくだされっ!」

 黒猫が力いっぱい主張した。テンションの高い妖だ。しかも、朔を「若」と呼んでいる。

「くろまる。烏てんだ」

 朔が紹介した。面倒くさがっているのか、言葉が短かった。

 烏天狗とは、烏のような顔をした半人半鳥の天狗のことだが、目の前にいるくろまるは、どこをどう見ても小さな黒猫だ。

「烏天狗だったのは、百年前までのことですわ。今は、ただの黒猫。ようりよくがなくなって、もとの姿に戻れなくなったのですわ」

 しぐれが言葉を加えた。それは、珍しくもない話だった。過去にも、妖に戻れなくなった猫を見たことがあった。普通の猫として人間に飼われている妖も、少なくない気がする。

 ただ、くろまる自身にしてみれば、妖としての力を失ったのだ。さぞや気を落としているだろうと思ったが、そんなことはなかった。黒猫は胸を張っている。その姿勢のまま、ものすごく威張った声で言い返した。

「ただの黒猫ではございませぬ! 我は、若の家令ですぞ!」

 家令──。明治時代以後の日本において、宮家や華族のを管理し、使用人たちを監督した者のことだ。名家の執事と言えば、イメージしやすいだろうか。いずれにせよ、一般家庭にはいない。

 朔に目をやりながら、かの子は聞いた。

「もしかして立派なお家の人ですか?」

 どう聞いていいか分からず、微妙な言葉になってしまった。すると、くろまるがいっそう胸を張った。小さな身体で威張りすぎて、今にもひっくり返りそうである。

「超立派でございますぞ!」

 微妙に現代の言葉が混じった。しかも、勢いがあるだけで何の説明にもなっていない。朔は、説明する気がないらしく黙っている。

 かの子の疑問に答えてくれたのは、またしても、しぐれだった。

「この神社の名前を見て気づかなかったのかしら?」

「名前?」

「鳥居に書いてあったでしょ? 神額に書いてありますわ」

 神社の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額のことを言っているようだ。それらしきものがあったような気もするが、暗かったこともあり、文字までは読まなかった。

「『みどうじんじゃ』でございますぞ!」

 横から、くろまるが叫んだ。一瞬、漢字にできなかったが、すぐにさっき聞いた名前が頭に浮かんだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る