第5話 ふつうの大学生カップル
(4)
スケート靴一式の入ったバッグをコインロツカーに人れ、環は小夜子を振り返つた。
「これでよし。スケート靴って結構重いんだよ」
「練習中なら、無理して出てこなくてもよかったのに」
小夜子は呟いた。大学の語学クラスで奇数月に開催される飲み会に参加できるか、環にメールで連絡を入れたのは小夜子だった。環は大学入学以来、この手の飲み会に一度も参加したことがなかった。
「別に、俺がスケー卜しなくたって地球は滅びないしね…‥あ」
地上への階段に向かい歩きかけた所で、環は立ち止まった。
「なに?」
「いや、何でもない」
「なに、なんなのよ。教えてよ」
環は階段を上りながら「小夜子んち、東海新聞?」と訊いた。
「そうだけど]
「今日、東海のスポーツ面に高槇哲って俺と同じフィギュアスケート選手のインタビューが載ったんだけど」
「ああ、見た」
「そこで高槇哲が、『自分にとってフィギュアスケートとは義務』って言ってたんだけど、あれひょっとしたら、自分がスケートやるのは神に与えられた使命で、やらなきゃ世界が滅亡するぐらいに思ってるんじゃないかと」
「なにそれうけるんだけど! 滅びない、絶対滅びないから!」
小夜子は笑った。環も笑った。
夜空の下、二人は栄駅を出て雑踏ひしめく大津通りを歩いた。大観覧車の脇を過ぎた所で、小夜子が訊いてきた。
「環は、高槇くんとは知り合いなの」
「いや、全然」
と環は即答した。
「お互い顔を知ってるって程度。あいつがノービスからジュニアに上がった時、俺はもうシニアだったし」
ふっと心中に暗いものが兆したが、構わず環は喋りつづけた。
「あいつは両親とも選手で、父親は世界選手権でメダルを獲ってるんだよ。お祖父さんも元選手でコーチで、それで本人もよちよち歩きの頃から、下手したら胎児の頃から? リンクに出入りしてたっていうし。なんか、そういうのって、ずるいよね」
「そうだね。自分じゃ選べないもんね、そういうの」
小夜子の素直な返答に環は大きくうなずいたが、自分がスケートを始めたのが九歳の時からであることは言わなかった。それを言うことで、環が三歳の頃からバレエを習っていたことを思い出されてはかなわないと思ったのだ。
雑踏を歩きながら、小夜子が笑いを含んだ声で話しかけてきた。
「でもさあ、ほんと凄かったねあのインタビュー。なんか意味不明なことゆってたし、オリンピックに行ってれば銅メダルだっただろうとか、謙虚なようで全然謙虚じゃないじゃん。ありえない」
「あ、やっぱそう思う? そうだよねえ、それが普通の考え方だよなあ」
「そりゃ実力はあるんだろうけど、その前の全日本で環に負けて二位だったんでしょ。その環がオリンピック七位で、なんでメダルが獲れるわけ?」
「あ、もう急がないと間に合わなくない?」
環は大きな動作で腕時計を見て、声を上げた。
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