第3話 王者の憂鬱
(3)-1
フィギュアスケートの競技シーズンは十月から翌年三月までの六ヵ月間であり、その間多数の試合が世界各地で開催される。
四年に一度の冬季オリンピックを別格とすれば、トップクラスの選手が目標とするのは十月から十二月にかけてのグランプリシリーズ(GPS)、年末年始に各国で開催される国内選手権、シーズンを締めくくる三月の世界選手権である。
GPSは米・カナダ・中・仏・露・日の六ヶ国で一試合ずつ開催される。シリーズ全参加者のうち、成績の良い上位六名(六組)のみが参加できるシリーズ七番目にして最後の大会が、グランプリファイナル(GPF)である。
高一でシニアデビューして既に三年だが、小春川環はいまだこのGPFに出場したことがなかった。もちろん、高二と高三で全日本を連覇し、オリンピックで七位入賞した環は日本国内ではトップクラスの男子スケーターだ。しかしその彼にして、世界の壁は厚かった。
「さ、終わった試合についてはもう考えないこと。それよりNHK杯まであと一週間足らずなんだから、みっちり練習しないと」
両手を握りしめ熱をこめて語るコーチの橋田あゆみの言葉に、環はかえってうつむくばかりだった。
リンクサイドのベンチに座って、スケート靴の入った袋を開ける動作さえ億劫というようだった。
「いくら頑張ってもなあ」
環は物憂げに呟いた。
「一位になってもファイナルに行けるわけじゃないし、多分今シーズンは世選にも行けないだろうし。枠が一人なら、高槇が獲っちゃうに決まってます」
「何てこと言うのよ!」
橋田は声を荒らげた。リンク内で既に練習を開始しているクラブ生たちの視線に気づき、きまり悪い思いで環の隣に腰を下ろした。
世界選手権並びに五輪の各国の出場枠は、その昨シーズンの世界選手権におけるその国の選手の順位によって決められる。
昨シーズンの出場枠は、昨々シーズンの環の世選十位という成績により二名だった。この結果、昨季の五輪には全日本一位の環と三位の選手が派遣されることになった。二位の選手は、当時十五歳で年齢制限により出場資格がなかった高槇哲である。
五輪に出場した環たちが世選の出場を辞退したため、世界選手権には全日本四位と五位の選手が代わりに出場した。しかしこの二人が予想外の不出来で、今季の日本男子シングル世選出場枠は一人ということになってしまった。
つまり、今シーズンの世界選手権ヘルシンキ大会に行けるのは、全日本の優勝者ただ一名のみなのだ。
「子供みたいなこと言わないでよ。確かに現実を直視して言えば、NHKで一位になってもファイナルに行くことはできないよね。中国杯で六位なんだから」
環は下を向いたまま一言も発しないが、どういう表情をしているかは橋田には容易に想像がついた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます