第2話 あらたまの 鶯番う 雲の峰
(2)-1
ベリーショートの少年が、マイクの群れに向かい喋っている。
『んーそーですねー、まーやっぱとにかく嬉しいって感じっすねえ。表彰台の一番高いとこに登るのも金メダルの色も好きですけど、やっぱ、チャンピオンって言葉の響きがいいじゃないですかあ』
「……馬鹿じゃねえの」
もっとも彼に対しては小夜子が勝手に敵愾心を燃やしているだけで、向こうは彼女のことなど知りもしないだろう。
小夜子は今、扉の閉まった大学キャンパスの正門前に立っていた。構内の立木から散った落ち葉がそこかしこに吹きだまり、冬風に巻き上げからからと意外なほど高い音を立てていた。小夜子は環のことを考えることにした。
元旦の初詣なのだから、着物で来てくれると嬉しい。ジーンズにニット帽にブーツという完全に防寒を決め込んだ自分の服装を棚に上げ、小夜子は思った。小夜子が今まで二十年近く生きてきて出会った人間の中で、環は最も和服の似合う顔立ちをしている。
ふと首を巡らすと、視線の先、静まり返った商店街の中に動く小さなものが見えた。それがジャージを着込んだランナーであるということに気づくのに時間はかからなかった。
年が明けたその日からランニングとは、ご苦労さま。小夜子はそう思い、顔の位置を元に戻そうとして目を見張った。走ってくる人間の顔を識別したからだ。
「おし、記録更新! この調子で北京オリンピックも目指すぞ!……なんてね。小夜子、明けましておめでとう」
「……こちらこそ。明けましておめでとう、今年もよろしく」
環はにっこりと笑った。その面は汗みずくだ。
「目指すの。北京」
「まさか。冗談にきまってるじゃないか」
ウェストポーチの中から取り出したスポーツ飲料を飲みながら、環は大真面目に答えた。
小夜子は環の横顔を眺めた。少し長めに伸ばした坊ちゃん刈りの上に童顔で、彫りの深くない純和風の顔立ちだが鼻梁から唇に至るラインが美しい。目は大きく顎は細く、白く滑らかな肌と目と髪の濃く艶やかな漆黒が強いコントラストを示している。
体つきも手足が長くすんなりとして、いかつさというものが皆無の外見だったがそれでも女性のようには決して見えなかった。それはアスリートらしくぴんと伸びた背筋や、細いがしっかりと張った両肩のせいかもしれなかったし、もの静かだが芯の強さを感じさせる眼差しのせいかもしれなかった。
「凄い汗。風邪ひくよ」
ミニタオルで小夜子は環の首筋を拭いてやった
「元旦くらいさ、ゆっくりすればいいのに。気合入ってんだ」
小夜子は視線を落として呟いた。
「うーん、でもねえ」
環はおっとりと言った。語尾が上がる名古屋訛りを交えた彼の鷹揚な喋り方が小夜子は好きだったが、今この瞬間はそれが妙に歯がゆい。
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