二 夢醒独言
(二)-1
寛永年間(1624~1643)に建立されたから、寛永寺という。
芝の増上寺と並んで徳川家の菩提寺というだけでなく、長年にわたって諸大名から堂・門・塔頭の寄進を受け、京都からは代々住職に皇族を迎え人質同様にしてきた。
一方で大歓楽地上野を擁する桜の名所として江戸っ子に親しまれてもきた、まさに徳川の威光と恩沢の象徴だった。
三十万坪の敷地に白壁朱塗りの柱の院坊が整然と立ち並び、普段は数百人以上にも達する僧侶と関係者が生活する聖地だが、今彼らははからずも歴史の激動に際会し、時ならぬ客の乱入に息を潜めている。
今境内に詰める武士は精鋭隊と見廻組合わせて百二十名ほどになる。
寺に入って最初の建築物である山門吉祥閣の周りに集まる者たちが、麟太郎に会釈をしてきた。精鋭隊も見廻組も隊長がそれぞれ恭順を肯定しているから彼らは麟太郎に丁重だったが、もちろんそれで気分が晴れはしない。
一歩を踏み出すたびに、足が重くなる。
あさっての今頃には自分はもうこの世にいないかもしれない。
だから、江戸の誇りである壮麗な伽藍を目に焼き付けておかねばならないと思うのに、どうしても顔が下を向きがちになる。
何も、記憶の風景とはうってかわって今の境内には武装の兵士たちが屯集し、殺気がみなぎっているからというだけが理由ではない。
寛永寺の花見には子供の頃から何度も足を運んだ。
墨田両岸の桜が八重桜一色なのに対し上野のそれは八重から一重まで形も色合いも様々で、茶店で売られる香煎湯の香ばしい匂いが花見客の間をぬってただよってくる。
しかし寺だけに健全すぎる雰囲気が物足りず、成人してからは家族を連れて行くのは上野、友人門弟らと行くのはもっぱら墨田の方になった。
満開の桜の下を人々が笑いさざめきながら行き交う風景は、それ以外の組み合わせがあるなど思いつかないほど強固に胸に刻まれている。あの者たちは、どこに行ったのだろう。
今にして思えばあれは朽ちきった土台の上に過去の余光を糧として辛うじて毎年浮かび上がっていたにすぎない幻影のゆらめきだった。現在目の前に展開するこの風景こそが、徳川の実状に即した真っ当なものなのだ。
「安房守どの」
穏やかながら澄んで張りのある声に、麟太郎は少し慌てて顔を上げた。
白皙の若い武士が、槍を担いで立っている。いつの間にか、寺奥の大慈院の近くまで来ていたのだ。
中背のほっそりした体つきは、槍の重みに耐えるのさえ精いっぱいであるかのようだった。
これが、精鋭隊隊長にして開幕以来最高の武人と賞された「槍の高橋」こと高橋伊勢守であろうとは常人のよく看破しうるところではない。
彼が講武所槍術教授に任命されたのが安政三年(1856)、二十二歳の時だ。
おりからの外警多端の情勢を受け、ペリー来航を火種にして空前の活況を呈し武勇伝には事欠かなかった江戸武術界でも驚きを持って迎えられた人事だった。それももう十二年も前のことだ。
当時は諸藩からも若者たちが陸続と、剣の修業に江戸に集ってきていた。
神道無念流練兵館の桂小五郎、鏡心明智流士学館の武市半平太、北辰一刀流の清河八郎、そして坂本龍馬……
「安房守どの、いかがなさいました」
再度の声に、麟太郎はようやく我にかえった。
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