当然、怒りがないわけありませんよね。
それでも委員長のことを案じられるさっちゃん……。
最後のメッセには胸が熱くなりました。
作者からの返信
プロエトスさん、こちらにもコメントありがとうございます!
さっちゃんが委員長に求めたのは、断罪による破滅ではなく、温情のある贖罪でした。恨むことよりも、赦すことを選択したのです。
委員長はその思いを理解し、今後も学校へ通うことを罰として受け入れました。
そんな委員長からさっちゃんへ最後に出た言葉は「ごめんなさい」ではなく、心からの「ありがとう」でした。
『歪んだ悪意』シリーズも次話「Noise Gate」で終わりを迎えます。そして、後日談「D.C.」へ…… 今しばらく委員長にお付き合いくださいませ。
下東さん、こんにちは😊
幸子ちゃん、委員長と30分話し合う時間を作ったけど、どんな風な話になるのかドキドキしていたけど、お見事でした。
逃げることは解決にならないと幸子ちゃん自身が一番知っていたからこそだと思いますが、
「これ以上みんなを、 高橋くんを裏切るのはやめて!」
この言葉は委員長にも響いたと思います。
そして、
「もしも、どうしても逃げ出したくなったら、逃げ出してもいいです。でも、逃げ出す先をよく考えてください」
この言葉も幸子ちゃんならではですね。
幸子ちゃんの一つ一つの言葉には相手への愛も感じられます。
幸子ちゃん、強くなりましたね。
これも彼女を支えてくれる仲間がいてくれたからこそですね。
委員長もこれを機に嫌なことから逃げずにきっと立ち直ってくれることでしょう。
素晴らしい解決法でした。
作者からの返信
この美さん、こんにちは!
コメントありがとうございます!
さっちゃんは、委員長に厳しくも温情のある裁きを下しました。
委員長が最後に口にした「ありがとう」の一言。それは、さっちゃんの思いやりが委員長に届いたからこそ出た心からの言葉です。
人を赦せるさっちゃん、本当に強くなりました。この美さんの仰る通り、さっちゃんの行動は『仕返し』を目的としたものではなく、『赦し』を目的としています。それも、瞬や亜由美たち、ギャル軍団などの本当の友だちが心の支えとなっているからこそできたのだと思います。
心に抱えた罪の意識を罰として受け入れた委員長は、由紀乃の支えや、さっちゃんたちの影からの支えを得ながら、高校生活を送ることになります。頑張って立ち直ってほしいです。
気持ちや感情の揺らぎから生じる心の歪みは、誰しも抱える可能性があると思います。誰もが委員長のようになるかもしれないのです。日頃忘れがちな「思いやり」の心。意識して心に持っておきたいものですね。
いつもたくさんお読みいただき、本当にありがとうございます!
(すみません、今日は仕事のバタバタで読みに伺えませんでした……)
なかなか出来ることではないですよね…
立会人はいても、難しいし避けて通ってしまいがちになるようなこと…
真正面からぶつかっていくことは、勇気ある行為だけど、こうしないと解決出来ないこともある。
特に、「これ以上、みんなを! 高橋くんを裏切るのはやめて!!!」と、いうさっちゃんの想いに、感動しました…
成長したなぁ、さっちゃん✩.*˚
作者からの返信
さっちゃんは、委員長に自分の姿を投影していました。
だからこそ、さっちゃんの言葉は重く、
逃げようとした委員長にきちんと届いたのだと思います。
Chocoさんにご指摘いただいたさっちゃんの言葉は、
実は何度も書き直しました。
さっちゃんが委員長に一番伝えたいことはなんだろう…
突き詰めていった結果、この言葉になりました。
Chocoさんの心にも届いたようで、とても嬉しいです!
さっちゃん、Chocoさんが成長したって褒めてくれてるよ!
一番苦しい罰ですね。
会わないと決めた方がよっぽど楽です。
この物語はよく、加害者側の人間が、許しを乞いにだったり贖罪をしに、被害者のさっちゃんの元へ訪れます。
何でかな?って思っていました。
加害者は、自分は正しいし、自分が一番素晴らしくて、可哀想だと思っているはずだと想像していました。
だから、二度と被虐者の元に現れないのだと。
しかし、彼らは会いに来る。
自分の過ちを認め、優しい世界を作って行くために。
綺麗事だと片付けられてしまいそうな展開ですが、
ここに作者の下東さんが伝えたい大きな重いメッセージがあるような気がします。
自分の膿を、他人を通して見せつけられるのは、この上ない拷問だと思っています。
作者からの返信
さっちゃんは、これまでの自分の経験や思いを胸に、委員長に対してとても厳しく、そして温情のある沙汰を下しました。
委員長もまた、自分の知らなかった駿たちの思いを知り、自分のやったことの罪深さを改めて思い知ることになったのです。
やり直すきっかけを与えられた委員長。頑張ってほしいと思います。
この作品は「赦し」を意識して書いていることは間違いないですね。
ただ、その「赦し」とは「いいよ、許してやるよ」ではないと考えております。許されて「あー、良かった」って、何か違うと思うのです。自然に書いているので、うまく説明できないのですが、罪を意識して罪悪感が心に芽生え、罰を受けて罪悪感を薄め、赦しを得て罪悪感を無くす、という一連の過程はヒトが持つ根底の感情だと思いますし、罪悪感が深ければ深いほど、赦しは心が破裂するほどの衝動を伴うものだと思います。進歩した通信やデジタル化によって、ヒトとヒトとの距離は縮まり、一方でヒトとヒトとの関係が希薄になった今、忘れかけたそんな根底の感情を表現したいのかな、と思います。
自分のことながら、自分が理解できておらず、うまく説明できずに申し訳ございません。。