赦してあげられたさっちゃんは本当にえらいですね
ずっと苦しめられてきた声の主ですから、前半の激情も当然
謝罪を受け入れ、赦すと言えただけでもえらいです
林くんには思うところもないではないですが、そのまま真摯な気持ちを忘れずに立派な人になってほしいですね
あと好香さんは絶対に逃さないように!
作者からの返信
プロエトスさん、コメントありがとうございます!
さっちゃん、心の棘がひとつ抜けたようです。
最初は相手の勝手な言い分に感情を爆発させてしまいましたが、最後はきちんと相手の話を聞き、そして「赦す」という答えを出しました。彼女の心中を考えれば、それはとても難しく、勇気のいることだったのかもしれません。それでも「赦す」と決断できたのは、揺らぐ心を支えてくれる駿や友だちがいたからだと思います。
実はこのエピソード、他の話と比較すると PV やコメントが多めなのです。イジメへの関心の高さが伺えます。
また、林くんと好香さんは、この後の特別編で主役として再登場します。さっちゃんと出会った後、ふたりはどう過ごしていたのか。そして、未来の目標に向かって進もうとするふたりが直面する大きな問題とは……
夏休みはまだまだ序盤。
さっちゃんたちとの暑い夏をお楽しみください。
幸子ちゃん、ずっと蓄積して忘れることができなかった心の傷を思い切り吐き出すことができて良かったですね。
一人でずっと苦しんできたんですから。
林君も好香ちゃんと出会って、いじめをしたことを反省し、心を入れ替えてスクールカウンセラーとして頑張っているようで嬉しいです。
作者からの返信
この美さん、コメントありがとうございます!
最初は彼らの言い分を飲み込めず、感情を爆発させてしまったさっちゃん。
泣き叫ぶ自分を抱き締めてくれた駿の優しさに触れ、彼女は気がついたのではないでしょうか。
「自分には支えてくれる友だちがいる」と。
だからこそ、さっちゃんは彼らを赦すことができたのだと思います。
さっちゃん、本当に頑張りました。
さっちゃんをイジメていた将吾と、その彼女・好香のふたりは、この後スクールカウンセラーを目指すことになります。大学、そして大学院への進学…… スクールカウンセラーになるための臨床心理士を目指し、長い贖罪の人生が始まりました。
そんな中、彼らはある女の子と出会います。
女の子の名前は「キリカ」。
この後の特別編で、さっちゃんと出会った後の後日談、そしてスピンアウトの短編「ぬいぐるみ」の前日談が語られます。
子どもたちを取り巻く現実の問題を前に、ふたりの高校生は何を思うでしょうか……
僕は仲間外れにされたり、陰口を叩かれたことがある。程度ですが、それでも大人になっても覚えているので、
林くんのように少しは反省してくれていればいいのですが。
本人たちはもう何も覚えていないでしょうね。
作者からの返信
碧絃さん、こちらにもコメントありがとうございます!
林くんも好香と出会わなければ、きっと気にも留めていなかったと思います。当時イジメていた側は、みんなそんな感じですよね。。
イジメられていた好香から責められて、反省していたはずの林くんでしたが、さっちゃんの怒りの叫びは、自分のしたことがどれだけ酷いことだったのかを改めて突き付けられ、彼を後悔の海に突き落としました。
それでもさっちゃんは、赦すことを選択しました。
それはとても勇気のいる決断だったと思います。
心を支えてくれる存在が大きかったのでしょう。
編集済
幸子の言葉選びや言葉遣いは
少し悪かったと思いますですけど
↑幸子の溜まっていた感情の 想いが爆発した
のなら
この ワードフレーズは良いですね♪
良い感じに表現されていました(^^)
さす下東先生〜 ヽ(´▽`)/ 素晴らしい
あ あと 幸子お前も言い過ぎなッ とか
でも少し気になって 引っかかったのは
相手が小学校の 頃 に イジメを
していた 感じですかね
子供の頃の イジメ内容は知りません けど
子供のしたこと? の制裁を まだ少し未熟さ
残る 高校生 が 裁きを ある程度下している
感じ も 考えさせら れる シーンでした
___
了解です ( ̄^ ̄ゞ
下東先生の 作品スタイルは 他の人の考えも見えてくる作品なので 全然大丈夫と思うです。
私の 作品は あたしちゃんが 見た、聞いた、感じた、思ったコトの考えで しか 基本的に 読者様には お伝えしていない スタイル
作者からの返信
エロマンガ先生さん、コメントありがとうございます!
言葉選びは悩みましたが、先生が仰る通り
鬱積していた思いが溢れ出て、自身を制御できない状態ですので、
あえてこういった言葉を使わせていただきました。
イジメの具体的な描写については、オールカットいたしました。
キツく書こうとすると、かなり陰惨な内容になり、
緩めに書こうとすると、切迫感がうまく表現できず。。
そのあたりを補うためのものが好香の言葉 …のつもりでした。
書いては消し、書いては消し、
悩んだ結果、オールカットになりました。。
自分の表現力不足が恨めしい…
それと、駿の本音ポロリの部分ですが、
あれはそのままにさせていただきたく…
さっちゃんの浴衣姿を素直な気持ちで褒める駿、
というシーンをどうしても入れておきたいので…
申し訳ございません…
最後の相談窓口に付け加えるならば、世の中には「ゲートキーパー」と呼ばれる人達がいます。
その人達は単に「青少年の自殺を食い止める人達」として認識されがちですが、その前段階である「悩みのありそうな人達の力になってくれる人達」です。
そして重要なのはこのゲートキーパー「誰でもなれる」という事です。
特別な職業に就いたり、難しい技能講習を受けなくても(講習自体はあります)、年齢問わず、誰でもなる事ができます。
その役割はシンプル。
近くにいる人に対して、
「気づく」
「話を聞く」
「親身になる」
これだけです。
僕たち一人一人のそれぞれが、誰か彼かの相談窓口になれると良いですね。
作者からの返信
Y.Tさん、コメントありがとうございます!
Y.Tさんの情報を元に、この「第26話 夏祭り (3)」に
『ゲートキーパー』の情報を追記させていただきました。
貴重な情報のご提供をありがとうございました!
傾聴は、とても大切なことだと思います。
人間は泣いているのが本来の姿であり、
成長するにつれてそれを我慢しているだけ、
という話を聞いたことがあります。
誰もが何かを我慢しているのであれば、
誰もがお互いに思いやりの心をもって耳を傾け合う。
そんな優しい社会になればいいな、と思います。
そうなれば、イジメも少なくなるでしょうし。
まずは自分で実行ですね!
『ゲートキーパー』、心に留めておきます。
良かったです…
やっぱり、どんなに忘れようとしても、当事者同士が説明し合わないと、なかなか終われないものですもんね。
しかし、駿くん。
カッコよかったです!!
(≧ω≦)
作者からの返信
とてもセンシティブなテーマですので、
自分ごときが書いて良いものなのか、随分悩みました。
ただ、さっちゃんを成長させるには避けて通ることができませんので、
このようなかたちで書かせていただきました。
Chocoさんから肯定的なコメントをいただけて、本当に嬉しいです。
この先も、同様にセンシティブな要素のある箇所がございます。
Chocoさんも「それは違うだろ」と思われる部分が
出てくるかもしれませんので、その際は何卒ご容赦ください。
たくさん読み進めていただいて、ありがとうございます!
Chocoさんのコメントに、いつもたくさんの勇気とやる気を
いただいております。
さっちゃんたちの夏休みは、もうしばらく続きます。
ぜひさっちゃんたちと一緒に楽しんでいただければと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
編集済
さっちゃんが言えて良かったです。
個人的には、赦す必要はないよ、と声をかけたくなってしまいますが。
でもこれで一件落着だと思わないで、ずっと、一生涯の自分に課せられたテーマだと思って将吾の奴には生きていって欲しいと思います。
小学校時代、自分の感覚で言えばかなり堪えるイジメを受けたことがあります。それを日記に書いたら、先生から花丸をもらっただけだったのを思い出しました。
あの花丸はどんな意味だったのか?
イジメをした方は将来を有望されていた子で、実際それから良い大学に行って、就職先も良いところに就職して。
一方、自分はというと、小学校から問題児として認識されていたようなので。
仕方なかったのかもしれない。そりゃ、良い子の方が人間として尊重されるよね。
とか、憤りを感じるのに、自分を大人達の理屈に当てはめて納得したフリをしてきました。
辛い。
さっちゃんは問題児ではなく、明らかにとっても優しい子です。
さっちゃんは赦さなくていいんだよ、と今一度言いたいです。
この事で、さっちゃんがよけい苦しくならなければいいのですが。
ごめん。もうすでに苦しいよね。
さっちゃんは駿くんと今を楽しんで、最高に楽しい未来が待っているよ!と心から願っています。
作者からの返信
さっちゃんは、心に抑え込んできた思いをすべてぶちまけました。
散々自分をイジメてきて、今度はそれを赦せという将吾の主張は、さっちゃんにとってあまりにも身勝手なものです。
「謝ったんだから赦せ」
これはイジメた側が言うセリフではありません……
それでも、さっちゃんは赦すことを選択しました。
その決断を下すのは難しかったに違いありません。
破れそうな心を包みこんでくれる駿や友だちの存在が、その決断の後押しをしたのだと思います。
この判断がさっちゃんを成長させる一因となってくれることを祈ります。
いじめる側は忘れても、いじめられた側は一生心に傷が残ります。大人の基準で子どもを測ったり、デジタルライクに数字ですべてを判断したりするのではなく、こんな時代だからこそ、もう一度『思いやり』とは何かを、大人も子どもも学ばなければいけないのかな、と思います。