11

 大総統府、桂十郎の──世界大総統の執務室前。そこに、青水にも負けず劣らずな長身の男が佇んでいた。

 部屋の主が戻ったことに気付いては、男は身体ごと向き直る。


「お帰りなさい、閣下。待ってたわ」


 男なのに、女性のような喋り口調。女性にしては低く男性にしては高めの声。中性的な顔立ち。そういった部分だけを見ると性別不詳とも言えるが、彼は男だ。

 それを、セレンも


「……ゴロー?」

「ええ。お久しぶりね、セレン様。すっかり大きくなって」


 懐かしそうに目を細め、男・渕崎ふちざき吾郎ごろうは微笑んだ。


「セレン、吾郎と知り合いなのか?」

「うん、十一年前はウチで執事見習してた」

「え?」


 元々フレスティアの使用人の一人だったのだから、知らない筈は無い。懐かしい顔だ。あの頃と変わった様子は無い。

 聞けば吾郎の用事は「セレンと話がしたい」という事のようで、応接室のひとつに入った。そこに桂十郎も一緒に入る。


「……桂十郎さん、仕事しなくて大丈夫?」

「大丈夫じゃないけどすげぇ気になる」

「……」


 こうしている間にも遊亜に仕事を増やされ続けているだろうに。執務室に戻って悲鳴を上げるのは桂十郎だ。

 思わずセレンは苦笑するが、見ていた吾郎の方は笑っていた。

 その吾郎に、視線を向ける。


「ゴローはその、どうしたの?」

「あら、気付いたの」

「左右で手袋のシワが全然違うから」

「よく見てるのねぇ」


 今度は苦笑した吾郎が、左の手袋を外す。その中は、金属が剥き出しの機械仕掛けの義手だった。


「十一年前の事件の時、私はご主人様の指示で出かけてたからその場は免れたわね。でもその後、は私の所に直接来たのよ」

「……うん」


 それは分かっている。吾郎以外の他の使用人に関してもそうだった。用事や里帰りでその時に現場に居なかった者も、後でルヴァイドに追われ殺されている。悠仁の調べで最終的に生死の確認が取れなかったのは、吾郎ただ一人だ。


「あんなに動ける人だと思って無かったから油断したのはあるけど、左腕を肩から飛ばされてね。命からがら逃げ出したってわけ」

「その後狙われることはなかったの?」

「しばらく追われたわよぉ。とにかく逃げまくって、二年くらい経った頃に香乙ちゃんに拾われてね。大総統府に入ってからは全く追われることは無くなったわ」

「そっか、良かった」


 どういう経緯であれ、無事に生き延びてくれていた。そして追われることが無くなったということは、大総統府内部は守られているということだ。それらに安心する。

 傍では桂十郎が「追われてたとか初耳なんだけど」と苦笑していた。問題視するわけではないようだ。

 それから、ところで、と口を挟む。


「俺が聞いた話じゃ、あの屋敷に居た頃のセレンの『味方』って叔父さんくらいだってことだったけど」

「ああ、表向きはね。マモンママも訓練や勉強の時以外は優しかったし、吾郎も他の人が居ない時は優しくしてくれてたよ」

「屋敷中の人達がセレン様を『居ないもの』として扱ってたものね。私もご主人様の命令があったから、堂々と可愛がってあげられなくて」


 疑問に返すセレンは、別段気にしている様子は無い。付け加えた吾郎も頬に手を当て、小さくため息をついた。

 にっこりと笑ったセレンが「そんな事だと思った」と言う。大丈夫だよと、分かっていたから、寂しくは無かったよと。

 当時のことで一番辛かった思い出は、やはりあの日のことだ。大好きだった母を亡くし、叔父に裏切られ、父も姉も友も、身の回りに居た使用人達も残らず喪った。

 どんなに冷たくされていたって、同じ屋敷で日々を過ごす「家族」だったのだ。

 す、と吾郎が真剣な目をする。


「他に生き残りは居ないの?」

「使用人には、居ない。そうでなくても、ルー叔父様に関わったことのある人はゴロー以外みんな二年以内に死んでる」

「そう……」

「嫁ぎに出た他のフレスティア……マモンママや叔父様の兄弟もみんな死んでるって聞いてる。でも騎士団だとか、叔父様と関わりの無かった人達は生きてる人も居るよ」

「そうなの? そこまで徹底しておいて、関わりが無かったってだけで?」

「え? うん……調べてもらった限りだと、そう……」


 疑問符を浮かべる吾郎の様子に、ようやくセレンも違和感に気付く。本当に徹底するというなら、関わりが有ろうが無かろうが全員を始末しそうなものだ。

 矛盾している。書室での状況と通じるものがあるようだ。


「そもそもは、本当にルヴァイド様なのかしら?」

「どういうこと?」


 真剣な表情のまま、吾郎が言う。その意味が分からなくて、セレンは顔をしかめた。


能力ちからは確かにフレスティアのそれだったし、疑いようが無いっていうのは私も分かってるのよ。でもルヴァイド様って言えば、虫も殺さないような人だったでしょう?」

「……」

「別人みたいだったわ。表情も、目付きも、動きも」


 どうして、希望と絶望を同時に見せるのか。

 当時既に大人だった吾郎が「別人みたい」だと言うほど普段の様子とは違っている。たまたま顔が同じだとか、同じ顔に変えただとかの、本当に別人の可能性を見たかった。

 それなのに彼は、「能力ちから」とも言った。人の持たない能力ちからを持つという時点で、それは限られた人間のみだ。


「閣下の『影』になってから初めて知ったのだけど、人に無い能力ちからを持つのって、フレスティアだけじゃないのよね。でも私の銃撃が二発、確かにヒットした筈なのに彼の身体に吸い込まれて消えた。それに、何も無かった筈の手から武器を取り出していたわ。あれはフレスティアの能力ちからだと思うのよ」


 確かに。物理攻撃を「吸収する」のはフレスティアの能力ちからだ。吸収していた武器などを自在に取り出すことが出来るのも、そう。そうなると、吾郎が対峙したのは確かにルヴァイドだったのだろう。

 彼が生まれてから現在まで、フレスティアの能力ちからを使える「男」はルヴァイドだけだ。


「だから思ったのよ。もしかしてルヴァイド様は、誰かに操られてでもいたんじゃないかしらって」

「え……?」

「急にあんな風に人が変わるなんて、おかしいじゃない」


 操られていた。フレスティアではない、別の能力ちからによって?

 もしそうだとするならば、残された最後の希望になる。操られているだけなら、元の優しい彼に戻せるかも知れないから。

 ゆっくりと歩み寄ったセレンが、ぎゅっと吾郎の腰に抱き着いた。


「ゴローに会えて、良かった」

「私もよ、セレン様」


 長身の吾郎から見ればまだ小さなセレンの肩を、彼は抱き締め返す。

 はよく人目を忍んでこうしていた。小さく幼いセレンを抱き締めてくれるのは、母か叔父、吾郎の三人しか居なかった。


「こういう甘えたな所は変わってないのねぇ。ほんと可愛いわ」


 ぎゅうぎゅうと抱き締めながら、吾郎はにっこりと笑ってセレンの髪に頬を擦り寄せる。

 その後ろ頭を、桂十郎がガッシリと掴んだ。


「人の嫁にちょっかい出してんなよ」

「あらやだ、私からしたわけじゃないじゃなぁい」


 やや低い桂十郎の声に対し、吾郎は甘ったるい声と口調で言う。ぱっと手はセレンから離したが、懲りたわけでは無さそうだ。

 それどころか、楽しげにニヤリと笑った。


「そもそもまだ結婚前でしょ。スキンシップくらい許してあげないと、束縛し過ぎてちゃ愛想尽かされるわよ」

「うっ……」


 刺さる言葉をよく心得ている。そっと桂十郎がセレンを見ると、彼女はやり取りの意味がよく分かっていない様子できょとんと小首を傾げていた。

 ぱっと桂十郎が手を離すと、吾郎は乱れた髪を整えてまた笑う。


「ていうか桂十郎さん、ゴローは妻帯者だよ」

「え」

「セレン様とは二つ違いの息子も居るわよ」

「え」


 何がどう意外だったのだろう。こうして吾郎の口調や言動を見ていれば、確かに想像が付くような気はするが。

 彼のことだ。初対面で桂十郎や香乙を前にして「いい男」だとか、そんな事でも言ったのだろう。男だろうと女だろうと、吾郎の「好み」は幅広い。

 愛妻家で子煩悩。こう見えて他に目移りするタイプでは無いと、知らなければ思いもしないのかも知れない。


「カズラとアキは元気?」

「十一年前の件から会ってないのよ。万一にでも巻き込んじゃいけないと思ってね」

「そっか。寂しいね」

「でもかずらはああ見えてしっかり者だし、安輝もすっかり大きくなってるでしょうし。寂しいけど、心配はしてないわ」

「そっか」


 大丈夫そうなら良い、とそっと微笑む。本当に、今日、吾郎に会えて良かった。

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